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アメリカ本土爆撃

戦後隠された事実のひとつ。

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 大東亜戦争時、風船爆弾でアメリカ本土を爆撃したのは有名ですが、航空機で爆撃したことはほとんど知られていません。
 昭和17年(1942年)9月9日未明、オレゴン州沖にいた伊25潜水艦から零式小型水上偵察機に76キロ焼夷弾2個をつんで発進させました。そして水上偵察機はカリフォルニア州との州境に近いブルッキングス近郊の森林地帯まで飛んで焼夷弾を投下しました。予定通り発火しましたが、数日前まで降り続いていた雨の森林地帯が湿っており、延焼することなく自然鎮火しています。森林を2度にわたって空爆しています。アメリカ史上初の出来事です。9月29日深夜にも二度目の空襲が決行され、今度はオレゴン州のオーフォード近郊の森林地帯に焼夷弾を投下しました。
 
 この爆撃は『たけし・さんまの世界超偉人伝説』で紹介され、パイロットだった藤田飛曹長本人が出演しています。昭和37年(1962年)藤田飛曹長はオレゴン州ブルッキングス市から招待を受けアメリカに渡り、同市市民から「歴史上唯一アメリカ本土を空襲した敵軍の英雄」として大歓迎を受け、同市の名誉市民の称号を贈られています。藤田氏からは戦争中、軍刀として用いた愛刀をブルッキングス市に寄贈しましたが、その刀は戦犯として召喚された場合は自決するために持参したものだったと述べています。
 『たけし・さんまの世界超偉人伝説』では元海軍軍人の西村晃さんも出演しており、「全くしらなかった」と発言していますから戦争当時も極秘にされていたのかもしれません。戦後、極秘にする必要はないように思いますが、日本がそこまで出来たという事実は戦後の言論空間はタブー視してきたのでしょう。

 爆撃だけでなく、砲撃も行っており、昭和17年2月21日、伊17号潜水艦はカリフォルニア州サンタバーバラ近郊のエルウッド製油所を砲撃しています。伊26号潜水艦は昭和17年6月20日にバンクーバーのエステバン岬灯台を砲撃。伊25号潜水艦は昭和17年6月21日コロンビア川の河口にあるアストリア海軍基地を砲撃しています。これは当時日本国内でも大々的にニュースとして報道されましたが、これもほとんど知られていないでしょう。
 
 当時、アメリカ本土空襲構想というのは一般的な話で昭和18年9月には野依秀市という人が「米本土空襲」という本を書いて出版し、アメリカ本土空襲の必要性を説いています。佐藤軍務局長という東條英機首相の腹心がいますが、この人もアメリカ本土空襲について言明しており、「米本土空襲」の本の中でも述べられています。こうした本は日本敗戦後GHQが徹底的に焚書しました。処分して一般の人の目につかないようにしてしまったのです。これも、後に伝わらなくなった一因と思われます。現代日本人は「記憶喪失」にされてしまっているのです。



参考文献
 Gakken歴史群像アーカイブVOL9「帝国海軍 太平洋作戦史Ⅰ」
 徳間書店「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二著
参考サイト
 WikiPedia「アメリカ本土空襲」

添付画像
 史上初のアメリカ本土空襲を行った大日本帝国海軍の零式小型水上偵察機(PD)
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世界超偉人伝説 史上ただひとり米国本土を爆撃した男伝説
http://www.youtube.com/watch?v=Fq4Pv4ioxLQ

 

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