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国際連盟は南京虐殺を無視していた

マスコミは報じませんでした。

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 平成19年(2007年)2月の衆院内閣委員会で昭和13年(1938年)の国際連盟で中華民国側が「南京の死者は2万人」と主張して無視されたことが明るみになりました。その時の週刊新潮の記事によるとこのことは新聞では報道されていないと指摘しています。私はこの頃、ネットでこのことを知りましたが、それまで南京虐殺は東京裁判まで出てこなかったという認識でしたので国際連盟で提議されたいたというのは驚きました。しかも2万人という数字を中華民国側が主張していたのです。

 この国際連盟の議事録をみますと中華民国代表は
「日本軍が南京で虐殺した中華民国市民の数は20,000人と推定され、また若い娘を含む何千という女性が陵辱されました。」と主張しています。しかし、この主張のよりどころはニューヨークタイムス、ロンドンタイムス、デイリーテレグラフ、モーニングポストという新聞記事をベースに主張しており、国民党自身の調査、報告をベースに主張してはいません。各新聞の報道も実は中華民国政府顧問のベイツ教授らの伝聞によるものを記事にしたようです。つまりプロパガンダに利用されたというわけです。

 ホロコーストに匹敵する大虐殺があったのであれば新聞の一面を飾るはずですが、当時ニューヨークタイムズの記事の見出し一覧をみると、南京虐殺があったとされる昭和12年(1937年)12月14日あたりの記事はパネー号事件(日本海軍機が米国アジア艦隊揚子江警備船「パナイ号」を誤爆)の記事ばかりです。しかも12月8日の記事には
「南京防衛戦の攻防、中国焼工作戦」と書かれており、「焦土作戦」の記事が出ています。支那軍は退却時に施設など燃やしてしまい、日本軍に使わせないようにするのです。蒋介石の日記、昭和12年(1937年)11月総括には以下の記載があります。
 
「抗戦の果てに豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いも寄らなかった事態だ。(中略)敗れたときの計画を先に立てるべきだった。撤兵時の略奪強姦など軍規逸脱のすさまじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ」

 これらからも南京では敗残兵が逃げ込み支那兵によるすさまじい行為が繰り広げられたことが想像できます。日本軍はこのあとに南京に入ったのです。

 国民党は南京陥落後、南京から漢口、重慶で10ヶ月間300回もの記者会見を開いています。重要なニュース、緊急ニュースがあり、外へ発表する必要が生じた場合は、臨時緊急会見を開くか、電話で記者たちに電話をする、たとえそれが深夜であっても一刻たりとも遅延することはありませんでした。そこでも南京虐殺には一言も触れていません。記者たちは一部のメディアが報じる日本軍残虐行為の知りたがったと思いますが、何も触れられないのでこれはプロパガンダだと思ったことでしょう。国際連盟でも「またウソ八百かよ」と聞いていたことでしょう。

 当時の欧米人の支那人に対する認識はアメリカの上海副領事をしていたラルフ・タウンゼントの言葉によく表れています。現在の中華人民共和国も全然変わっていません。

「中国に長くいる英米人に『中国人の性格で我々とは最も違うものを挙げてください』と訊いたら、ほぼ全員が躊躇なく『嘘つきです』と答えると思う」



参考文献
 週刊新潮07.03.08
 日新報道「南京の実相」日本の前途と歴史教育を考える議員の会監修
 草思社「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」東中野修道著
 芙蓉書房出版「暗黒大陸 中国の真実」ラルフ・タウンゼント著/田中秀雄、先田賢起智訳

添付画像
 週刊新潮記事

 

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