日露戦争が世界に与えた影響
世界に衝撃が走った日本の勝利。
これは支那革命の父といわれた孫文が神戸で講演した内容の一部です。さらに次の話があります。
「その後まもなく、私は船でアジアにかえることになり『スエズ』運河を通るときに、たくさん土人(原住民のこと)がいまして、これはほとんどアラビア人でしたが、私が有色人種であるのを見て『お前は日本人か』と問いかけてきました。それに答えて『違う、私は中国人だ。何があったのか、なぜそんなにうれしそうなのだ』といいますと、『なんでも、ロシアがヨーロッパからまわした海軍を、日本が全滅させたということだ。そのニュースが本当かどうか知らないけれど、自分たちは運河の両側にいて、通る船ごとにロシアの負傷兵がヨーロッパへ送られるのをよく見る。きっとそれはロシアが大敗した証拠に違いない。これまで我々東洋の有色民族は、いつも西洋民族の圧迫をうけて、苦しめられ浮かび上がれないが、こんどは日本がロシアを負かしたのだから、東洋の民族が西洋の民族を、うちやぶったことになる。日本人が勝ったのは自分が勝ったようなものだと思う。これは本当に歓喜すべきことだ。だから自分たちは、こんなに愉快になり喜んでいるのだ』といっていました」。
インド建国の父、ネルーはこのとき16歳の少年でしたが、「日本の戦勝は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。相当の金をかけて日本に関する書籍を沢山買い込んで読もうと勤めた」と述べています。
「アジアは日本の勝利に飛び上がって喜んだ」と「日露戦争全史」の著者ウォーナー夫妻は書きました。インドを旅行したイギリス人の見聞には「大きな興奮がインド全土を駆け巡った。片田舎の村でさえ、インド人たちは車座になって、また夜は水煙草の壷の囲りに集まって日本の勝利について語り合っている」と述べています。中村屋で有名なビハリ・ボースは日露戦争の日本の勝利に刺激されて日本に来てあのカレーが誕生しています。
支那でも衝撃が走り、大量の学生が東京へ留学に訪れ、明治39年は1万5千人になり、直接日本に触れ、日本が維新によって外圧を克服し、立憲君主と富国強兵を通じて近代化に躍進した歴史の道筋を理解しました。支那だけでなく、フィリピンやベトナムやインドから祖国独立に熱血をたぎらせた青年たちが次から次へと日本に来ました。
ロシアに痛みつけられてきたトルコでも熱狂し、トルコ共和国国歌(独立行進曲)の作詞者であるメフメト、アーキフは賞賛を込めて日本の勝利を描写し、女性作家で英文学のハーリデ・エディーブ・アドバルは日本海海戦の年に誕生した息子を「トーゴー」(東郷元帥のこと)と名づけました。トルコでは息子に「ノギ」(乃木将軍のこと)と名付ける親も少なからずいたといいます。ユダヤ人の中でも子供に「トーゴー」と名付けることが流行しました。
このように私たちの先人はアジアの人たちに感動と勇気、希望を与え、民族主義の気運を盛り上げていたのです。この日露戦争の勝利は世界史上、大変な意義があったと言っても過言ではないでしょう。
参考文献
転展社「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編
転展社「大東亜戦争への道」中村粲著
竹書房「世界が愛した日本」四條たか子著
徳間書店「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著
添付画像
日本海海戦で後部マストを破損した戦艦三笠(PD)
日露戦争_壱
http://www.youtube.com/watch?v=6gY4lHXoHTE
日露戦争_弐
http://www.youtube.com/watch?v=3jJnWlSWTHE
日露戦争_参
http://www.youtube.com/watch?v=3EcMGWAf1JU
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