無料ブログはココログ

« 消された言葉「八紘一宇」 | トップページ | 人種差別と戦った日本 »

シベリアのポーランド人孤児の救出

日本とポーランドに驚くべき歴史のつながりがあった。

S


 平成5年(1993年)から4年間、ポーランドの大使を勤めた兵藤長雄氏はポーランドに住むようになると「なぜ日本人に親切なのだろう」「どうしてこんなに親日的なのか」と思うことが多かったといいます。初対面でも、こちらが日本人だとわかったとたんに親近感を表し、好意的になるという体験を何度もしました。これには日本人が忘れていてポーランド人が覚えていた歴史的出来事があったからでした。

 大正6年(1917年)ロシアに共産革命が起こりました。その混乱に乗じてドイツ・ロシアに支配されていたポーランドは大正8年(1919年)に念願の独立を勝ち取りました。このときシベリアには祖国に帰りたくても帰れない10数万人ものポーランド人が取り残されていたのです。混乱の中、シベリアのポーランド人を救出するのは困難で、特に親を失った孤児たちは行き場所もなく、生きる場所も見つかりません。この窮状にポーランド救済委員会が発足し、委員会は各国に支援を要請しましたが、これに応じたのは日本だけでした。
 このときの日本の対応はすばやく、ポーランド救済委員会のアンナ・ビエルキエビッチ会長が大正9年(1920年)6月に来日してから17日後に外務省は救済を決定し赤十字に依頼しています。日本はちょうど、ロシアの赤化による影響防止とチェコスロバキア軍救出のためイギリス、アメリカ、フランスとともにシベリアに出兵しており、ポーランド人孤児を救出したのです。7月下旬には第一陣の孤児たちがウラジオストックから敦賀に到着しています。手間も暇もお金もかかる事業であり、まだ国交のないポーランドからの依頼ですから、驚く話です。第一陣375人。その後も390人の孤児を救出しています。シベリア出兵に従事し孤児を救った51名の日本軍将校に対し、ポーランド政府は大正14年(1925年)にVirtuti Militari勲章を授与して、その功績に報いています。

 救出されたポーランド人孤児は一旦日本に送られました。このとき孤児たちはひどい栄養失調でしたが、日本赤十字社で治療をうけ回復していきました。日本国民から寄付やおもちゃや人形、お菓子など子供が喜びそうな品々を贈る人が後を立たず、歯の治療や理髪、音楽団の演奏などボランティアを申し出る人が相次いだといいます。そして皇后陛下(貞明皇后・ていめいこうごう)が行啓されています。皇后陛下は孤児たちに優しく語りかけ、親のぬくもりを忘れて久しい孤児たちを優しく抱きしめました。孤児のひとりの少女は後にこう述べています。

「どんなに優しくされても心細くてたまらなかった時、孤児収容所を訪問された貞明皇后に抱きしめてもらったことが今でも忘れない」。

 この後、孤児たちは祖国ポーランドに無事、送り届けられました。

 この話には続きがあり、この孤児たちはポーランドに帰国後、「極東青年会」を結成します。ドイツのポーランド進攻が始まるとこの青年団はイエジキ部隊として多くの同胞が集まりレジスタンス活動を行います。彼らは孤児院を隠れ家としていましたが、ナチスドイツの強制捜査の手が入ります。しかし、日本大使館から書記官が駆けつけ「ここは日本帝国大使館が保護している孤児院である。同盟国のドイツ軍といえども勝手な捜査は認められない」として突っぱね、孤児院の皆に「君が代」「愛国行進曲」を合唱させ、ドイツ兵を追っ払いました。まったく奇跡のような歴史のつながりです。さらにこの連鎖は数十年のときを超えても続き、平成7年の阪神大震災のとき、ポーランドは日本の被災児を自国に招くなどして傷ついた子供の心を癒す助けを行ってくれています。
 そして平成14年には今上天皇・皇后陛下がポーランドに訪れ、シベリア孤児にお会いになられています。孤児の生存者のひとり、アントニーナ・リロさんは既に85歳になっており、自分ひとりでは、とても孤児たち全員の感謝の思いを伝えきれないと恐縮しつつも
「それが私に出来る唯一のことだから」と天皇皇后両陛下に謁見しました。リロさんは平成18年に「日本は天国のようなところだった」という言葉を遺して90歳の生涯を閉じています。現在では生存しているポーランドの孤児の方はおりませんが、ポーランドは親日の国であり両国の善意の連鎖はこの後も続くことでしょう。


参考文献
 竹書房「世界が愛した日本」四條たか子著
 SAPIO 2009.7.8「世界から感謝される『人情の日本史』」四條たか子
参考サイト
 WikiPedia「シベリア出兵」
 国際派日本人養成講座 地球史探訪: 大和心とポーランド魂
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog142.html
添付画像
 ヴロツワフ市の日本庭園の太鼓橋 Japanese Garden in WrocBaw, Poland. Taken by Seval (Magdelena Skrabut), May 2005.

広島ブログ クリックで応援お願いします。

大和心とポーランド魂
http://www.youtube.com/watch?v=WOlbMFIZha4

« 消された言葉「八紘一宇」 | トップページ | 人種差別と戦った日本 »

50.歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1079909/38403898

この記事へのトラックバック一覧です: シベリアのポーランド人孤児の救出 :

« 消された言葉「八紘一宇」 | トップページ | 人種差別と戦った日本 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31