和夫一家殺害事件
閉ざされた言論空間。
ネットではある程度知られている事件です。5年ほど前ですが、韓国のジャーナリスト金完燮(キム・ワンソプ)氏宛にキム・ソンスという人がメールで自分の体験を告白したものが「親日派のための弁明2」という著に記され出版されています。
戦前のこと、和夫という日本人公務員が政府の命令で朝鮮半島に渡り、地主になりました。この和夫は非常に人情に厚く、貧しい小作人がいると食べ物をわけてあげたり、村で誰かが亡くなると、家族全員が駆けつけて食事の用意は勿論、自ら慟哭して悲しみを分け合うような人でした。さらに和夫は孤児がいると連れて帰って面倒をみたため昭和20年(1945年)には孤児院の規模まで増えました。
昭和20年8月15日の日本敗戦にともない悲劇が起きました。
---著書より引用
「その日から、マンセー(万歳)とともに大極旗が翻り、ついに朝鮮人の世がやってきた。神は自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと、和夫君に嫉妬したのだろうか。和夫が実の子のように育て、東京帝国大学にまで留学させたAを中心に、和夫の家で教育を受け成人するまで育ててもらった青年たちが、鎌とツルハシ、シャベルをもって、和夫のもとに押しかけた。当時、現場にいたキム・ソンス君は、このときのことを次のように証言している。」
「和夫:(優しい目で)なぜこんなことを、お前たち。
A:チョッパリ!日本へ失せろ。失せろってんだ。
和夫:(わざと怒り声で)私がお前たちに何か間違ったことをしたのかい?お前たちはみんな私の子供たちだし、私はこの家の家長でありお前たちの父親だ。お前たちの祖国が独立することは、私も日ごろから強く望んできたことだ。踊りたくなるようなうれしい日に、なんだって凶器をもって私のところに詰めかけてきたんだい(中略)お前たちが望むんなら、帰ってやろう。
A:意味深長な目配せをBに送る。(財産を全部処分して帰ったら、俺たちはどうやって食っていくんだ?」
B:死ね、チョッパリ、このくそ野郎!
次々にツルハシが和夫の後頭部に振り下ろされ、それと同時にたくさんのシャベルと鎌が身体をずたずたに引き裂き始めた。和夫の妻は耐えられずに飛び出してきた。それまでじっとしていたCは和夫の妻を見ると、彼女の神をつかんで庭の片隅まで引きずっていった。そして、なんと13人は、一週間前までお母さんと呼んでいた彼女を強姦しはじめた。(キム・ソンス君はこの場で自分が止めたなら、自分も殺されていただろうなと語る)。彼女はひどい集団強姦の途中で死亡した。Dは普段お母さんと呼んでいた彼女の全身をめった刺しにし、それでも足りずに内蔵を掻き出して撒き散らした」
---引用終わり
和夫夫婦には小学校6年生になる娘がいましたが、学校から家に戻ったとき、この惨状を見て気が触れ9日後に村の橋のしたでやせ衰えた死体となって発見されました。
金完燮氏は命がけでこういった発信をしています。氏は殺人犯を含むテロリストの攻撃を受け、負傷もしています。韓国では親日派は売国奴の扱いになり、命が危険にさらされることもあるのです。
さて、こういった話は日本のマスコミは絶対取り上げません。金完燮氏の「親日派のための弁明」は(1)(2)と日本で無事に出版できることになりましたが、出版できないような例もあります。
川嶋擁子ワトキンス氏が敗戦直後に朝鮮半島から日本に引き揚げたときの体験を「竹の森遠く」というタイトルで出版し、全米で大反響を呼び、推薦図書になり、社会科の教科書にも採用されました。この本の中には朝鮮人が日本人女性を強姦したり、多くの日本人が朝鮮人に虐殺されたことが記されていました。このため韓国人の反発にあい、一部の地域、学校では推薦図書からはずされたと言います。そして、日本でも訳了直後に日本での出版翻訳権契約が解約され、出版できなくなりました。これが日本の言論空間の実態なのです。
参考文献
扶桑社「親日派のための弁明2」金完燮(著)
オークラ出版「拉致と侵略の真実」『全米で起きたヨーコ物語弾圧の真相』加藤久哉
添付画像
戦前の釜山の三中井百貨店(PD)
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