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「日本人は12歳」と言ったマッカーサー

日本人は12歳の真意は?

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 大東亜戦争後、占領軍の最高司令官であったのはダグラス・マッカーサーが「日本人は12歳」と言った話はは良く聞きます。戦後占領期のGHQの政策は日本の将来的な弱体化、破壊でしたが、絶対的権力と物資が不足している中、日本人はだんだんアメリカかぶれになっていきました。日本人はマッカーサーを称賛し、マッカーサーの離日後、マッカーサーを「永久国賓にしよう」「マッカーサー神社を建てよう」「マッカーサー記念館を作ろう」という声まであがりました。しかし、この「日本人は12歳」発言によりマッカーサーの差別意識に気がつき、マッカーサー熱は急速に冷え、人々から忘れ去られていったのです。

 この「日本人は12歳」という発言はマッカーサーが帰米直後、日本人のことを「like a boy of twelve」と米上院公聴会で証言したときのものです。教育学博士の若狭和朋氏は著書「続・日本人が知ってはならない歴史」では「たぶんに誤解です。ドイツは成人の悪党だったが、日本人はそうでなかったという反省の弁」と書いています。

 WEB「正論」で東京都儀典長・前バンクーバー総領事 多賀敏行氏は東京・永田町の国立国会図書館へいき、公聴記録を調べて述べています。これによると日本は自由主義陣営の一員として留まりソ連側になびくようなことはない、ドイツは悪党だが、日本はそうでない、という日本擁護論の文脈の中で出てきていると書いており、記録を見ますと確かにその通りです。

^^^^^^^^[引用開始]
「そうですね、ドイツの問題は、完全に、そして全面的に、日本の問題とは違っています。ドイツは成熟した人種でした。もしアングロ・サクソンが人間の年齢で、科学や芸術や宗教や文化の面でみて、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人も同じくらい成熟していました。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状況にありました。近代文明の尺度で測れば、われわれが45歳という成熟した年齢であるのに比べると、日本人は言ってみれば 12歳の少年と言ったところでしょう。

 指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい規範とか新しい考え方を受け入れやすかったのです。日本では、基本的な考えを植え付けることができます。日本人は、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができるほどに、白紙の状態に近かったのです。

 ドイツ人はわれわれと同じくらい成熟していました。ドイツ人が現代の道徳を怠けてないがしろにしたり、国際的規範を破ったりしたとき、それは彼らが意図的にやったことでした。ドイツ人は、世界について知識がなかったからそうしたことをしたのではありません。日本人がある程度そうだったように、うっかり、ついそうしてしまったというのではありません。ドイツ人は、みずからの軍事力を用いることが、自分の望む権力と経済制覇への近道と考え、熟慮の上での政策として、それを行使したのです」

「ドイツは言うなれば確信犯で、冷徹に国益の損得勘定を考えてああいう悪いことをやった。日本はそうではない。まだ国際社会に出て間がなくて、ちょっと道を踏み外してしまった。でも、自分が占領統治をして良い国になったのだから、大丈夫だ」「日本はまだ12歳の少年で、まだ教育可能で、覚えが早くて優等生だ」
^^^^^^^^[引用終わり]

 日本擁護論の中での「例え」として使われており、多賀敏行氏は日本擁護が真意と言っています。確かに主旨はそうですが、12歳に例えるというところがマッカーサーの心の底にある「日本人差別」意識を物語っているでしょう。
 昭和天皇はマッカーサーが離日するとき、GHQが見送りを要請したにもかかわらず、侍従長を派遣しただけでした。昭和天皇訪米のとき、マッカーサー夫人の再三の案内にもかかわらずマッカーサー記念館に行くことも、マッカーサーの墓参をすることも行いませんでした。



参考文献
 幻冬社「昭和天皇論」小林よしのり(著)
 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
参考サイト
 Web正論:<特別企画 遥かなり大東亜戦争>
 若き日本人に伝えたい「日本人は12歳」、マッカーサー発言の真意は侮蔑にあらず
  東京都儀典長・前バンクーバー総領事 多賀敏行
  http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0701/ronbun2-1.html

添付画像
 ダグラス・マッカーサー(PD)

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日本兵がマッカーサーに敬意を表して背を向けて立っていた
http://www.youtube.com/watch?v=vuB1n6JcTgI

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30.戦後占領下」カテゴリの記事

コメント

なるほど確かに酷い差別発言と取れますね。
しかし状況は敗戦後、先帝の命さえも、厚木に来たマッカーサー次第という状況です。
このときはコミンテルン工作について多くのアメリカ人同様、マッカーサーは知らされておらず、(前回コメントしたバターン島で戻らされていた間にプロパガンダ工作があったという所からも判ると思いますが)・・・後の朝鮮戦争の時に、原爆または日本人を動員して共産主義者・社会主義者を全滅させようとし、それをユダヤに操られているトルーマン政権に止められ、解任されるところで日米戦争の真実を知ることになったわけですから、そこで初めて日本人を少し理解できたであろうと考えています。当時の12歳発言は、裏を知らない時のマッカーサー発言ですね。

かに蔵さん、コメントありがとうございます。
なるほど、トルーマンは操られていましたか。マッカーシーの赤告発が昭和25年で、マッカーサーの解任が26年ですから、時期的に微妙ですが、根強く共産主義者、フランクフルト学派が米政権中枢にいたことが考えられますね。

記事拝見させていただきました。
うーむ、差別ですかね?
年齢は時間の経過で変わります。日本も33年経てば45歳になるわけで、差別とは違うように思います。差別したければ猿って言えばいいのに、敢えて「未熟な同胞」としているのはむしろ好意的と取れるのでは?あと、言ってる内容自体は全くマトモです。

これからは共に東西冷戦を闘う仲間になるのです。当日の日米関係をアメリカンな価値観で見ると、色々反発した息子が農場の手伝いをするようになった、という微笑ましい状態に見えてたはずです。対立の原因となった中国利権はお互い逃しちゃったんだし、水に流して仲良くやろうぜというムードがよく伝わってくるように思います。

犬さん、コメントありがとうございます。
この話をYahooブログに掲載したとき、やはり意見が別れたのですよ。差別だ、差別ではないと。ただ、この話とリンクするかどうかわかりませんが、マッカーサーは有色人種に対して強い差別意識を持っていたようです。

左翼はこれを日本の過ちにたいする正当な評価とかほざいてるんだから笑える
この発言の真意は「ドイツは確信犯だが日本はちょっと道を踏み外しただけで教えてやれば分かるから危険視するな」
ってアメリカ内部に対して行った発言
要するに日本悪玉説に染まりきったアメリカに対して日本との同盟意識を持たせる為に
アメリカのバカみたいに高い自尊心を傷つけない形で(もちろん日本を賛美なんてできない)
「まぁまぁあいつらは子供みたいなもんだからそんなに敵対視すんなよ、教えてやれば聞く奴らだから協力しろ」
って反日世論を抑えようとしただけ

今日、日経新聞13面に「熱風の日本史 マッカーサーを抱きしめて」という話題記事が掲載され、「手紙は50万通、12歳発言に幻滅」のサブ記事で、詳細が知りたくてネット検索し、こちらに辿り着きました。

マッカーサーは、日本人からのファンレター(意見、嘆願レターもあったのでしょうが)をGHQ翻訳通訳部隊(ATIS)にすべて翻訳させ、執務室でレターを読むのが日課だった。
それは、日本の復興の緊急性を政策に反映させることはもちろん、日本人の考え方の理解に大変役立ったそうです。
さらに、マッカーサーの性格からかファンレターを貰うことにご満悦だったそうですよ。

マッカーサーは有色人種差別者だった、というのは、ルーズベルトやトルーマンの民主党政権に生きた世代だからこりゃもう仕方ないでしょう。
ただ、朝鮮戦争でアカのトンデモなさを知り、日本の戦争の本質を理解して帰国、帰国後の公聴会で日本を擁護した発言が物語るように、敗戦で戦勝国から送られた最高司令官がマッカーサーで本当に良かった。おかしな指導者だったら、それこそ日本はどうなっていただろうか?

映画「終戦のエンペラー」で、マッカーサー役は、あのBOSS、おかしな宇宙人。
適役でしたよ。


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