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ノモンハーニー・ブルドー・オボーの戦い(ノモンハン事件)

ノモンハン事件はなぜ起こったのか。

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 昭和14年(1939年)、満州国とモンゴルの国境紛争でノモンハン事件が勃発しました。この舞台となったのはノモンハーニー・ブルドー・オボーという地名であり、ブルドーは水が湧き出して小さな湿地や沼ができる場所のことをいい、オボーは塚のことをいい、日本が最初のノモンハーニーだけを略してノモンハンと呼びました。

 ノモンハンでの満州国とソ連の国境線はハルハ河でしたが、昭和7年(1932年)、ソ連は突然国境変更を行い、昭和10年(1935年)にハルハ河より東に国境線を引いた地図を作り、日満側に突きつけてきました。それまでソ連は帝政ロシア時代もソ連時代になっても昭和7年(1932年)まではハルハ河を国境線としていたにも関わらずです。
 日本陸軍は再度、資料収集と現地調査を行い、清王朝時代の部族境界も確認し、「やはりハルハ河が国境」と結論付けます。明治38年(1906年)にロシアと清王朝の間でキャフタ条約が結ばれており、「山脈、連山、河川の存するときはこれを境界とする」に基ずき、ロシアのザバイカル軍測量隊はハルハ河を国境とする八万四千分の一地図を作っています。支那参謀本部は大正7年(1918年)に十万分の一地図を作成していますが、これも国境はハルハ河でした。この国境線を巡ってソ連・モンゴル軍と日本・満州軍が激突しました。これがノモンハン事件です。東京裁判史観の学者たちはソ連のそれまでの国境認識を無視して日本批判をするといいます。

 ノモンハン事件の約1年前の昭和13年7月に張鼓峰事件がおこっており、これも満州国とソ連の国境紛争です。この事件も東京裁判史観でいうと「日本の侵略」とされていますが、平成10年(1998年)、ロシアの有力日刊紙は
「これまで日本が悪玉、ソ連が善玉という解釈をしてきたが、それは誤りだった」と結論し、「ソ連側が日本を挑発するために、国境線をわざとずらしていた事実が判明した」としてソ連の侵略を認めています。

 昭和14年(1939年)のノモンハン事件勃発の頃、日本は支那事変の最中でした。ヨーロッパではドイツ・ヒトラーが台頭しており、日本とドイツは日独防共協定(共産「インターナショナル」ニ対スル協定及附属議定書)を結んでいました。ソ連にとってヒトラーに対抗するためには日本の眼を南に向けさせなければ挟み撃ちに合います。「後顧の憂い」である日本徹底的に叩き、ソ連の強さを思い知らせてやり、日本が南進するように仕向ける、これがソ連・スターリンの構想でした。

 日本国内にはゾルゲを中心とするソ連のスパイ網が敷かれていました。ゾルゲはスターリンに
「日本はソ連との戦争についてウラジオストック及びチタ方面からの攻撃を予想している。しかし外蒙古(モンゴル)を通り、ハイラル、チチハル方面から奉天が脅かされる可能性はあまり信じていない」「日本軍はソ連に戦争を仕掛ける気はない。ただし春には軍事的挑発にでる企てがあるようだ」と報告します。この報告によってスターリンはノモンハンを衝くことを考えたと思われます。

 昭和12年から13年にかけて関東軍参謀副官に石原莞爾が就任しました。ハイラル方面には特設された第二十三師団と騎兵集団がいましたが、石原は四個師団の投入が必要と判断し、さらに方面軍司令部を置く方針を示しました。しかしこれは実現されず、昭和14年(1939年)5月4日、外蒙古兵が国境を越え、ノモンハン地区を襲撃。ノモンハンの戦いは切って落とされました。後世、日本軍はソ連軍の機械化部隊に歯が立たなかったと伝えられていますが、大きな間違いであり、日本軍の強さにスターリンは震え上がり、司令官のジューコフ将軍は後にドイツ戦で勝利に導いた英雄となりましたが、
ノモンハンの戦いが生涯で一番苦しかったと述べています。



参考文献
 有明書院「ノモンハン事件の真相と戦果」小田洋太郎・田端元(共著)
 歴史街道2011.5「日本軍の敢闘とソ連の謀略・・・それは歴史の一大分岐点だった」中西輝政
 岩波新書「ノモンハン戦争」田中克彦(著)
 光人社NF文庫「石原莞爾 国家改造計画」早瀬利之(著)
 毎日ワンズ「ノモンハン秘史」辻政信(著)

添付画像
 ノモンハンの日本軍 歴史街道2011.05より

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