ノモンハン事件は日本軍の惨敗だったのか
ノモンハン事件で日本軍は負けていなかった。
昭和14年(1939年)5月、満州と外蒙古(モンゴル)の国境で日本・満州軍とソ連・外蒙古軍が激突。ノモンハン事件が勃発しました。この戦闘はソ連の機械化部隊に対して日本軍はまったく歯がたたなかったと言われてきました。私自身も学校でそう教わった記憶があります。
よく言われるのは損耗率です。数字については色々言われていますが、定評のある小田洋太郎・田端元「ノモンハン事件の真相と戦果」から拾ってみます。
日本軍参戦者 30,000 戦死傷者 17,000 => 56%
教科書などには第二十三師団の2万を母数に損耗率7割としているものもあります。この数字が一人歩きし、「惨敗」となり、ソ連が大量の戦車を投入していることから、機械化部隊に歯が立たなかった、となったようです。戦後、ソ連が崩壊後、ソ連側の被害がわかってきました。
ソ連軍参戦者 77,000 戦死傷者 26,000 => 33%
これを有効率で表すと日本軍30,000がソ連軍26,000を殺傷したのですから、86%。それに対してソ連軍の有効率は22%となります。日本軍は倍以上の敵と戦い4倍の強さを発揮したことになります。
情報史研究家の柏原竜一氏は戦闘に参加した日本軍は3万、ソ連軍は23万であったとし、航空機の日本側の損害はソ連の1/10であり、ソ連の兵器は質がわるく、800台が日本軍によって破壊されたと指摘。日本軍が負けたと錯覚したのは情報不足と国際情勢認識不足と指摘し、対ソ戦略を見誤ることになったと述べています。文学博士の西尾幹二氏はソ連軍将校のマキシム・ホーソン、手記の和訳「赤軍ノモンハン戦闘記、戦車旅団全滅」の中ではソ連軍が壊滅状態になった話が書かれており、昭和16年2月に発行されているにもかかわらず、軍の認識不足、活用が行われていないことを指摘しています。
実際、私の曾祖母の弟がノモンハン事件に従軍しており、大佐でしたから状況はよくわかっていたと思います。戦後も祖父母らと接していましたが、祖父の記録によると「ノモンハン事件で日本軍が惨敗した後始末に」と書いており、「惨敗」の認識が共有されていたと思われます。
関東軍参謀の辻政信少佐は現地戦闘に参加し、ノモンハン戦について戦後家族宛の書信の中で次のように述べています。
「戦場に慣れない間はいつでも誰でも先ず第一に自己の周囲の惨状が目に付く。自分だけひどい目にあって敵は涼しい顔をしているように感じるものだ」「昔から戦場に双退(敵味方共に退却すること)の現象がある。どちらも負けたと思ったのだ。戦争は試合のように審判官がないから、勝負は結局相互の意思で定めるだけだ」
そして「現地軍は勝った、少なくとも断じて負けとらんとの気持ちであった」と書いており、日本軍が大規模攻勢をかけようとしたとき参謀本部は負けたと感じた。「負けたと思ったほうが負け」ということを言っています。また辻の著によると傍聴によってソ連側が大損害によって悲鳴をあげているのも軍は把握しており、やはり軍の情報収集・分析力の欠如ということになるでしょう。
昭和14年(1939年)5月11日、ノモンハーニー・ブルドー・オボーの近くの砂丘で日満軍とモンゴル軍が衝突。5月22日に満軍1,600人が出動することになり、28日にはソ・モ軍の戦車部隊と激戦になり捜索隊の東中佐らは突撃して戦死します。6月20日になると日本軍は空爆を行い、ハルハ河東側120キロ地点の敵基地を27日に空爆します。7月に日本軍はハルハ河を越え攻撃。8月19日よりソ連軍が大規模な反撃を行い、日本軍第二十三師団は壊滅的な打撃を受けます。日本軍は精強な第七師団、第四師団、第二師団を加え、大規模な攻撃を加えようとしていました。そこへ突然の待機命令が下ります。
東郷茂徳大使と陸軍駐在武官・土居昭夫大佐はソ連モトロフ外相と交渉し9月15日に停戦となりました。ところがなんと9月17日にソ連軍はポーランドへ侵攻したのです。(ドイツは9月1日にポーランドへ侵攻) ソ連は東の憂いがなくなったので、西へ行くことができるようになったのです。してやられました。土居昭夫大佐は「こんなことならもう2,3日粘っていれば・・・まんまと騙された感が深い」と語っています。
参考文献
有明書院「ノモンハン事件の真相と戦果」小田洋太郎・田端元(共著)
WiLL2009.9「現代史を見直す」- 『米大統領の心情こそ研究すべきだ』西尾幹二・福井雄三・福地惇・柏原竜一
毎日ワンズ「ノモンハン秘史」辻政信(著)
歴史街道2011.5「日本軍の敢闘とソ連の謀略・・・それは歴史の一大分岐点だった」中西輝政
添付画像
鹵獲したソ連BT-5戦車 歴史街道2011.05より
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コメント
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簡単に56%と書かれますが、軍隊では全滅のさらに上、壊滅に判定される損耗率ですよ
軍隊組織では司令部要員や輜重兵など戦闘要員以外がたくさんいます。おおざっぱに言って、全将兵の半分が死傷する壊滅という指標は、戦闘要員が一人残らず死傷し、後は装備を捨てて後方に逃げ帰るしかない、というレベルを表します。一般にはそういう戦いを惨敗といいます。
寡兵で勇戦された方々は称えられるべきですが、将兵の艱難辛苦に思いをはせると、この戦いそのものはとても賛美する気になりません。
結局ソ連に押し込まれた形で停戦、国境線画定となり領土防衛という戦争目的も達成できたといえませんので、残念ながら負けというほかないと思います。
投稿: 56% | 2012年3月20日 (火) 05時43分
56%さん、コメントありがとうございます。
ノモンハン戦に限りませんが、歴史についての解釈は人それぞれでいいと思いますよ。
投稿: JJ太郎 | 2012年3月21日 (水) 22時10分
返信ありがとうございます
解釈は事実に基づかなければただの妄想です。「ノモンハン事件の真相と戦果」なんて日本の戦果を過大に評価していることで定評のある本をネタ本にしている時点で、日教組と同レベルですよ
私も日本と日本人は大好きですが一人の歴史好きとしてご意見申し上げました
投稿: 56% | 2012年3月23日 (金) 00時34分
56%さん、コメントありがとうございます。
ご意見ありがとうございます。一つの文献にだけだと偏ることがあるので、記事に提示してあるよう複数を参考にしてあります。このほか、古是氏の「ノモンハンの真実」、田中氏の「ノモンハン戦争」も参考にしています。56%さんはどのような文献を参考にして、どのようなブログ記事を書かれていますか?URLを教えてください。
投稿: JJ太郎 | 2012年3月23日 (金) 07時52分
戦死者の数で勝敗が決まるなら、WW2の東部戦線はドイツの勝ちでソ連の負け、中国大陸は日本の圧勝。
歴史ネタの妄想で自己陶酔する日本人が激増中。
106.188.74.60 e0109-106-188-74-60.uqwimax.jp
投稿: 日本人の韓国人化 | 2013年11月13日 (水) 13時13分