日本を戦争に引きずり込め!マッカラム・メモランダム
既に戦争は仕組まれていた。
アメリカ海軍情報部極東課長のアーサー・H・マッカラム海軍少佐は明治21年(1898年)長崎に生まれました。少年時代は日本の諸都市で過ごし、日本文化を理解し、18歳のときにアメリカ海軍兵学校に入学し、卒業後、駐日アメリカ大使館付海軍武官を命ぜられて来日します。アメリカ大使館で当時皇太子であった昭和天皇にジャズのリズムをとるため、膝のたたき方を教えたといいます。
大正12年(1923年)の関東大震災時、マッカラムは米海軍からの救援活動の調整にあたりますが、彼は日本人は尊大で自負心が強く、「異人」の救援活動を快く思わなかったと受け止めます。そしてそれから17年後、日本を戦争に引きずり込むためのマッカラム・メモランダムを作成します。昭和15年(1940年)10月のことです。この頃欧州では第二次世界大戦の最中でした。
A.太平洋の海軍基地他、特にシンガポールの使用について英国との協議締結。
B.蘭領東インド(インドネシア)内の基地施設の使用及び補給物資の取得に関するオランダとの協定締結。
C.支那の蒋介石政権に可能な、あらゆる援助の提供。
D.遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個船体を東洋、フィリピンまたはシンガポールへ派遣すること。
E.潜水船隊二隊の東洋派遣。
F.現在、太平洋のハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持すること。
G.日本の不当な経済的要求、特に石油に対する要求をオランダが拒否するように主張すること。
H.英帝国が日本に対して押し付ける同様な通商禁止と協力して行われる、日本との全面的な通商禁止。
当時、日本は貿易の90%がアメリカ依存で輸入品の2位に石油、4位にくず鉄でした。これらで日本を締め上げオランダ領インドネシアに石油を求めていったらオランダに拒否させようと画策したのです。そして蒋介石政府を支援し、自らも軍事的な挑発行為を行うというものです。マッカラム・メモランダムはルーズベルト大統領が信頼していたウォルター・S・アンダーソン大佐(後、ハワイ就任)とノックス海軍大佐に承認され、ルーズベルト大統領が目を通しています。リチャードソン合衆国艦隊司令長官はF項に反対し、後に更迭されています。
よくアメリカが日本に対して全面禁輸を行ったのは日本が南部仏印(ベトナム南部)に軍を進駐させたからその報復と言われていましたが、マッカラム・メモランダムに従っていただけです。日本軍の南部仏印進駐以前に石油全面禁輸は決まっていました。
この戦争挑発マッカラム・メモランダムの背景には昭和15年(1940年)9月27日の日独伊三国軍事同盟があります。アメリカ国民は欧州戦線への参戦を嫌っていましたから、日本を挑発し、開戦にもって行き、欧州戦線に参加する意図があったのは明らかでしょう。
昭和16年(1941年)7月9日、ルーズベルトは大統領はチャーチルとの会談で「3ヶ月は日本を赤ん坊のようにあやしてやるよ」と言い、裏口からの参戦を約束しました。
参考文献
文藝春秋「真珠湾の真実」ロバート・B・スティネット(著)/妹尾作太男(監訳)/荒井稔・丸田知美(共訳)
光人社「騙しの交渉術」杉山徹宗(著)
朱鳥社「日本人が知ってはならない歴史 戦後篇」若狭和朋(著)
祥伝社黄金文庫「東條英機 歴史の証言」渡部昇一(著)
参考サイト
Wikipedia「日独伊三国軍事同盟」
添付画像
米ルーズベルト大統領 1941年(PD)
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コメント
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なんと!進駐前から決まっていたことなんですか!?
うぬぬ。
投稿: にし | 2011年11月17日 (木) 05時44分
にしさん、コメントありがとうございます。
歴史に学ぶというのはこういうことなんだと思いますよ。アメリカは戦争したがってた。そいういう意図をいかにくみとり、外交をやっていくか、だったのでしょう。
投稿: JJ太郎 | 2011年11月17日 (木) 23時04分