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ダーディン記者は南京虐殺を見たのか?

ダーディン記者はウソつきだった。彼は何故ウソをついたのか。

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 昭和12年(1937年)12月、支那事変南京戦により日本軍が南京市を占領しました。このときニューヨーク・タイムズのダーディン記者は南京城内の日本軍の暴行を記事にしました。似たような記事はシカゴ・デイリー・ニューズにも見られますが、ロイターのスミス記者は「非戦闘員」の殺害など書いておらず、AP通信のアーサー・メンケンカメラマンの報告でも「非戦闘員」の殺害は書いていません。実はダーディン記者は南京大学、国際委員会のベイツ教授(裏の顔は国民党政府顧問)のレポートをもとにして記事を書いたようです。

 このダーディン氏を都新聞の小池秋羊記者が南京城内で目撃しています。
「中央ロータリーから少し離れた中正路の奥のほうから火事が起こり、誰一人いない空き家街は黒煙に包まれ、消化する人もいないままに、燃え募って、いっそう凄まじさを拡大していました。そこへ二台の自動車に分乗した外人たちがやってきて、街を縦横に疾駆して、パチパチとカメラのシャッターを切っていました。そして、彼らは一応の取材をすると疾風のように現場を去っていきました。
 後になってこの一行は、南京における日本軍の蛮行、というスクープを打電した『ニューヨークタイムズ』のティルマン・ダーディン記者であったらしいことがわかりました。それにしても敵地に等しい戦場へ、一分のスキも与えず乗り込んできた報道記者の勇敢な行動に、私たちは頭が下がる気持ちでした」


 ダーディン記者は12月15日まで南京におり
「日本軍は遠慮会釈の無い暴虐行為」「民間人、とくに消防士、警官もしばしば日本軍の犠牲となった」「中国人女性もまた日本兵のなぶりものになった」「2万人の中国軍人が処刑された」と翌年の1月9日に書いています。しかし、同じ頃、南京にいた日本人記者や日本兵にはダーディン氏のいうようなことを見たものはいません。12月13日~15日の間、外国人からなる国際委員会が報告した被害では殺人は5件あり目撃者が判明している殺人はゼロです。(支那敗残兵の処刑は一部の日本人も見ている)
 
 古森義久氏(ジャーナリスト)が昭和64年(1989年)にダーディン記者にインタビューした記事(文藝春秋89.10)があります。

 - 日本軍はやはり民間人をも無差別に殺したのですか。

「はい、無差別の殺害といえます。銃で射つのがもっとも多かった。銃剣を使う場合もあった。とにかくウサギを殺すような感じでの虐殺が行われたのです」「南京の日本軍兵士は、上層部から略奪や虐殺をしてもよいという通達を受けているような印象を、私は受けました。『中国人を殺せ』というような命令ではないにせよ、『殺してもかまわない』というような通達です。こうした行動は私には大きなおどろきでした」

 - どうしてですか。

「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかったからです。上海付近では日本軍の戦いを何度もみたけれども、民間人をやたらに殺すということはなかった。漢口市内では日本軍は中国人を処刑したが、それでも規模はごく小さかった。南京はそれまでの日本軍の行動パターンとは違っていたのです。南京市民にとっても、それはまったく予期せぬ事態でした」

 - 日本軍はなぜとくに南京だけでそうした虐殺のような行動をとったのでしょうか

「日本軍の上層部がそういう残虐行為を首都で誇示すれば、中国側を恐怖におののかせ、おびえさせ、蒋介石総統を降伏へと追い込めるのではないかと考えていた」


 ダーディン氏は日本軍は上海戦から虐殺などしてこなかったのに南京戦だけ特別だった、と述べています。「推測」と断って「日本軍の上層部~虐殺行為を首都で誇示」と述べていますが、日本軍司令部が虐殺を指示した事実はなく、逆に軍紀を厳しくし、支那人を大切にするように指示が出ています。

 ダーディン氏はいったい何をみたのか。そしてベイツ教授の宣伝レポートがいかほど影響を与えたのか。ダーディン氏は12月18日のニューヨーク・タイムズの記事で「日本軍の下関(シャーカン)の占領は防衛軍兵士の集団殺戮をともなった。死体は高さ6フィートの小山を築いた」と書いていますが、後に回想で下関の大量死体は日本軍の殺戮ではなく、支那の督戦隊のものだったとウソを認めています

 ダーディン記者の記事は支那防衛軍司令の唐将軍が部下たちを残して逃げたことを非難しています。ベイツ教授の宣伝レポートはスクープ記事にできるし、兵士をほっぽらかしてトンズラした蒋介石と唐将軍の無責任さを浮き立たせる効果もある。こうしたシナリオをもとにダーディン記者はウソを挿入してきたと思われます。



参考文献
 WAC「南京大虐殺のまぼろし」鈴木明(著)
 草思社「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」東中野修道(著)
 小学館文庫「『南京事件』日本人48人の証言」阿羅健一(著)

参考サイト
 南京事件を世界に知らせた男 http://www.history.gr.jp/~nanking/dathin.html

添付画像
 中華門へ50mに迫って攻撃する野砲陣、手前は一番乗りに待機する部隊(1937年12月12日撮影 PD)

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南京虐殺の証拠写真としてよくあげられる写真。
小さいので確認しずらいが、刀を持つ男はチャンチャンコのようなものを着ている。元陸軍将校の話だと将校、下士官、兵を問わず、このような服装をした軍人は日本軍に存在しないという。

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