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テロリストを英雄にする韓国

不思議な韓国の歴史観。

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 韓国では日本支配に抵抗した安重根(アン・ジュングン)が英雄になっています。明治42年(1909年)10月26日、ロシア蔵相と会談するためにハルビンを訪れていた初代韓国総監伊藤博文を暗殺したということからです。韓国には安重根義士記念館があり、彼の遺品や書き残したものなどを展示しています。しかし伊藤博文暗殺によって日韓併合が加速してしまっています。伊藤博文は破綻した韓国を立て直すのには莫大なお金が必要として併合には慎重でした。
 実をいうと安重根はブローニング拳銃を五発発射しています。しかし、伊藤博文はフランス騎兵銃の弾丸二発で死亡しています。つまり安重根は犯人ではないということです。彼はなんの成果もあげていないのです。

 金九(キム・グ)も大韓民国臨時政府の主席で英雄とされていますが、この人も乙未事変(いつびじへん)に日本人が関わっていたと憤慨して何の関係もない日本人を殺害しています。偶然出会った日本人、土田譲亮を撲殺したうえに所持品を奪い逃走したのです。正義でもなんでもありません。乙未事変で閔妃を殺害したのは禹範善(ウ・ボムソン)です。金九は大韓民国臨時政府で日本人要人の暗殺を指導しています。無関係の日本人を殺害し金品を奪った強盗殺人犯、そしてテロリストであり、政治的な成果はありません。そして金九は昭和24年(1949年)に大韓民国初代大統領となった李承晩(イ・スンマン)の放った刺客に暗殺されました。

 李奉昌(イ ボンチャン)も韓国で英雄とされていますが、金九から天皇暗殺の指令を受け、桜田門外において陸軍観兵式を終えて還幸(かんこう 天皇がお帰りになること)途中の天皇の馬車に向かって手榴弾2個を投げつけています。(昭和7年(1932年)1月8日桜田門事件) 爆弾は宮内大臣の乗っていたニ両目の馬車を傷つけただけでした。これも何の成果もあがっていません。韓国の民族独立記念館にはこのとき「満州国皇帝が同道していた」と書かれているそうですが、皇帝溥儀の来日は昭和10年(1935年)であり、ウソ(誤り?)もくっつくというオマケまであります。

 このほか、尹奉吉(ユン・ポンギル)も韓国では英雄視されています。昭和7年(1932年)1月、第一次上海事変がおこり、3月には白川大将率いる上海派遣軍が上陸したため支那軍は退却し、事態は収束に向かい、白川大将は停戦を命じて、外交交渉に委ねることになりました。そして4月29日の天長節(昭和天皇の誕生日)の式典が行われたとき、尹奉吉が爆弾を投げ、複数の日本政府、日本軍人を殺傷しました。このことが英雄視されているのです。この事件は停戦交渉を妨害しようとした支那側の謀略ではないかと疑われたほどで、和平に向かっているムードの中でのテロ行為は果たして英雄的行為か?当時の国際連盟総会のイーマン議長は
「かかる行為は断じて排斥すべき」と演説を行っています。

 まったくもって意味不明の韓国の歴史観です。われわれはこのような歴史観に付き合う必要はなく、韓国は韓国の歴史観があり、日本は日本の歴史観でよいわけですが、日本の教科書に安重根を「壮士」と書くと韓国は「壮士」にはゴロツキの意味があるとして書き直しを要求するなど、韓国は韓国の歴史観を日本に押し付けてきているのです。こうしたことは許してはならないでしょう。



参考文献
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」『朝鮮人テロリスト列伝』花御堂久子
 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 株式会社国際企画「日韓2000年の真実」名越ニ荒之助(編著)
参考サイト
 WikiPedia「安重根」「金九」「李奉昌」「乙未事変」

添付画像
 桜田門事件現場(×の地点に爆弾が投擲された PD)

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