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日本のシンドラー、杉原千畝

杉原千畝と複数の日本人の合わせ技だった。

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 「6,000人を救った命のビザ」で杉原千畝(すぎはら ちうね)は大変有名だと思います。

 昭和15年(1940年)7月、ナチスドイツに追われたユダヤ人たちはリトアニアに逃れ、日本の領事代理だった杉原千畝に日本通過ビザを求めて殺到します。しかし、日本外務省は行き先国の入国手続きを完了したものしか発給できないと通告。杉原千畝は悩みに悩むことになります。そして発給することに決断します。このとき杉原千畝の決断を支えた一つには「ユダヤ人対策要綱」があったと思われます。迫害されるユダヤ人に対して日本国政府は公正に遇することにしていたのです。ドイツに遠慮する外務省の通告と「ユダヤ人対策要綱」の狭間で悩んだのでしょう。

 ユダヤ人難民は日本通過ビザによってソ連を通過します。(杉原千畝がソ連領事館に事前確認済み)シベリア鉄道経由でウラジオストックから敦賀、神戸へ向かうユダヤ人一団はウラジオストックで「待った」がかかります。外務省から「杉原ビザを容認するな」との電報が届いていたからです。ウラジオストック駐在総領事代理の根井三郎は対応に腐心し、一律に検印を拒否するのは在外公使館のビザの威信を保つためにもよくないと主張し、杉原ビザを認めます。実は根井三郎は外務省留学生として杉原の2期後輩でハルビン学院の同窓生でもありました。

 日本に入国したユダヤ人一団は神戸のユダヤ人協会の保護を受けます。ここでユダヤ人を支援したのは小辻節三という神道とユダヤ教の研究者です。日本通過ビザでの日本滞在期間はわずか14日です。この間では行き先を決めるのは至難で小辻節三は外務省に延長を嘆願を繰り返しますが外務省の反応は鈍いものでした。既に10月に入っており、このときは日独伊三国同盟が結ばれていたのでした。小辻節三は過去、満州で松岡洋右にスカウトされ、大連でユダヤ人との友好を深める役をやっていたため直接、外務大臣の松岡洋右に連絡を入れます。すると松岡はこんなことを教えます。
「難民は入国するまでは外務省の管轄だが、入国後は内務省警保局外事部の管轄となり、滞在期間の延長は各地方長官の権限に委ねられる」。外務省は知らん、と言ってくれたのです。こうして滞在期間は1ヶ月に延長され、ユダヤ人たちは世界へ旅立っていきました。

 6,000人のユダヤ人の命を救ったのは杉原千畝の個人技ではなく、根井三郎、小辻節三、松岡洋右のあわせ技だったのです。そして日本が一貫して掲げていた人種平等の精神による「ユダヤ人対策要綱」が彼等を支えており、さらにこの2年前のオトポール事件で東條英機、樋口季一郎、安江仙弘らによってもユダヤ人救済が行われていたことも大きく影響していたことでしょう。



参考文献
 竹書房「世界が愛した日本」四條たか子(著)
 徳間書店「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー(著)
 オークラ出版「世界に愛された日本」『日本を助けたユダヤ人 ユダヤ人を助けた日本人』岩田温
 文春新書「指揮官の決断」早坂隆(著)
参考サイト
 WikiPedia「猶太人対策要綱」「日独伊三国同盟」「日独防共協定」
添付画像
 外交官時代の杉原千畝(PD)

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コメント

杉原千畝さんのお話は有名ですが、その影でいろいろな方が協力されていたのですね。うれしい話ですね。当時の日本の方々がその人種平等の精神で世界と接していたことはすばらしいと思います。わたしもそういう美しい日本人になれるかな?

スーさん、コメントありがとうございます。
日本人はみな人種平等の精神だったんです。われわれの先人はすばらしかったんですね。

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