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朝鮮・金玉均のクーデター

日韓同志は固く結ばれていた。

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 日本の明治維新をモデルに朝鮮の独立、近代化を考えていた金玉均(キム・オッキュン、きん・ぎょくきん)は明治17年(1884年)12月、清仏戦争で清が敗れたのをきっかけに日本の支持を得てクーデターを決行します。甲申事変と呼ばれるものです。金玉均は若干33歳です。事大主義で李朝を支配していた閔妃一族を実力で排除し、大院君を奉じ、李戴元を総理大臣にし、自らは財務職を担当しました。

改革政策
1.朝鮮は宗主国清から独立して国王は皇帝として君臨する
2.清国への朝貢廃止
3.税制改革を行い、宦官制度を廃止する
 など14項目


 清から独立し、立憲君主制を敷くとしています。また、李朝の財政は破綻状態であり、権力者が私腹を肥やし、庶民は困窮にあえいでいたため、税制と官僚の改革を宣言しています。

 しかし、閔妃は駐留していた清軍に支援を求めます。そこで清の袁世凱は1300の軍を出動させ、王宮を攻撃。日本軍はわずか150で激しく反撃しますが、多勢に無勢なため、仁川港から撤退。金玉均、朴泳孝(ぼくえいこう/パク・ヨンヒョ)らは日本に亡命します。この事件のときの清国兵、朝鮮人暴徒の掠奪、暴行はすさまじく、日本人家屋からの掠奪は相次ぎ、各地に避難していた日本人集団は襲われ、あちこちで婦女暴行や殺戮の惨劇がおきました。

 金玉均はその後、閔妃の放った刺客に上海におびき寄せられ暗殺されてしまいます。遺体は朝鮮に送られた後、バラバラに切断され、各地でさらし者にされます。金玉均を支援していた福沢諭吉は朝鮮側のあまりにも非道な対応に激怒し、これ以降の清や朝鮮に対する福沢諭吉の厳しい言動はこの事件によるところが大きいといわれています。

脱亜論
「今日の某をなすに、我が国は隣国の開明を待ちて共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人が之に接するの風に従って処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免るべからず。われは心に於いて亜細亜東方の悪友を謝絶するなり」

 歴史が大きく転換しようとしていても金玉均らの勢力はあまりにも弱かったといえるでしょう。また甲申事変の頃は日本はまだ清国と戦う力はありませんでした。この歴史に応えるパワーは10年後の東学党のエネルギー噴出を待つことになります。そして日清戦争となります。日清戦争の日本の勝利を待たずに金玉均が亡くなったのはあまりにも残念なことでした。

 日清戦争後の明治28年(1895年)10月の乙未事変(いつびじへん)で閔妃を殺害したのは三浦梧楼ら日本人が犯人というウソがメディアを通じて撒き散らされているようですが、犯人は朝鮮の訓練隊の禹 範善(ウ・ボムソン)とみてほぼ間違いありません。日本人が加担していますが、これらの背景に金玉均が暗殺されたことがあります。金玉均が亡命中に親交を深めた日本人、岡本柳之助と月成光は事変で日本刀を振るいますが、それは金玉均の遺愛の刀でした。




参考文献
 朱鳥社「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 「世界に愛された日本」『金玉均と李完用から見た韓国近代史』櫻井誠
 転展社「大東亜戦争への道」中村粲(著)
 文藝春秋「韓国併合への道」呉善花(著)

参考サイト
 WikiPedia「金玉均」「朴泳孝」「甲申政変」

添付画像
 金玉均謀殺並ニ兇行者洪鐘宇ニ関スル件(一部) ~ 国立公文書図書館

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