ドイツ降伏後、講和を模索する日本
孤立した日本。
昭和20年(1945年)4月30日、欧州ではドイツのベルリンが陥落しました。ドイツの総統ヒトラーは愛人エバ・ブラウンとともに、地下防空壕で自殺しました。5月5日、ドイツのカール・デーニッツ海軍大将は連合軍最高司令官のアイゼンハワー元帥に降伏を申し入れました。5月7日、ドイツは無条件降伏します。ドイツの降伏により日本は完全孤立することになりました。
5月6日、ドイツの降伏に関して鈴木貫太郎首相はラジオで演説を行いました。
「私はすべてを捧げて、戦い抜く覚悟である。前線における特攻の有志のごとく、一人(いちにん)をもって国を興すの気迫と希望を打ち出し、勇奮邁進されたいのである・・・」
腹の中に戦争の早期終結を隠し持っていた鈴木貫太郎ですが、まだ時期でないと判断し、戦争継続を訴えました。ここで戦争終結を希望することを言えばクーデターが起こっていたでしょう。
5月中旬、超極秘会議が開かれます。首相、外相、陸相、海相、参謀総長、軍令部総長の6人のみです。以下が決定されます。
1)ソ連の参戦防止
2)ソ連の好意的中立の確保
3)戦争終結にたいしてソ連をして有利な仲介をさせること
初めて「戦争終結」という言葉が登場しました。しかし、6月8日の午前会議では戦争継続が採択されています。
「七生尽忠の信念を源力とし、地の利人の和を以て国体を護持し、皇土を保衛し、聖戦目的の達成を期す」
昭和天皇はこれには落胆し、心配した木戸内大臣は鈴木首相に会い「戦争終結に尽力してほしい」というと鈴木首相はあっさり「同感です。やりましょう」と応諾しました。かと思えば重臣会議で、若槻礼次郎が現在の日本の国力を示す資料を見て「いずれの点から見ても戦争不可能という判断に立ちつつ、なお抗戦するという結論はどういうことだ」と鈴木首相に詰め寄ると「理外の理ということもある。徹底抗戦して利あらざるときは、死あるのみではないか」とドンと机を叩く剣幕に一同は度肝を抜かれました。鈴木貫太郎のそのような感情的な行動はこれまで見たことがなかったからです。
若槻礼次郎回想
「鈴木の腹の中は、私には分かっていた。陸軍は半狂乱になっている。軍の情勢が悪いもんだから、もうそろそろ休戦論が起こりはせんかと血眼になっているから、自重が必要だ。私の発言に対して『その通りだ』などと言おうものなら、八方から食ってかかられ、一騒ぎ起こるに違いない。それで彼は、わざと怒って見せたのだ」
鈴木貫太郎は陸軍の強硬派を刺激しないよう芝居をうったのです。鈴木貫太郎と以心伝心の阿南陸相も表向き強硬派を装っていましたが、国会で護国同志会が鈴木首相を攻めて、それを陸軍強硬派が後押しし、倒閣運動を始めたとき、阿南陸相はこれを厳しく禁止しました。
昭和天皇も援護射撃に入りました。東郷外相を呼び、「戦争につきては最近参謀長、軍令部総長および長谷川大将の報告によると、支那および日本内地の作戦準備が不充分であることが明らかになったから、なるべく速やかにこれを終結せしむることが得策である。されば困難なることとは考えうるけれど、なるべく速やかに戦争を終結することに取り運ぶよう希望する・・・」と述べます。さらに6月22日の御前会議でも「この際いままでの観念にとらわれることなく、戦争終結についても、速やかに具体的研究を遂げてこれが実現に努力することをのぞむのであるが、皆はどう思うか」と述べています。
しかし、ソ連を通じた和平交渉は不調でした。政府は東郷外相、広田弘毅を通じて駐日ソ連大使マリクに対して打診を行いますが、マリクは巧妙にごまかすだけで前進しません。モスクワの佐藤大使がモトロフ外相に当たりますが「マリクから具体的な内容が着次第返事する」としかいわず時間は過ぎていきました。ヤルタの密約でソ連は参戦の胎を固めて準備中でしたから時間稼ぎです。
近衛文麿が天皇の親書を持ってスターリンに渡すことにし、親書の作成やら特派人数やらで大騒ぎでしたが、ソ連からはスターリンとモトロフがベルリンへ出発するため、回答は遅れると言ってきて、その後なしのつぶてでした。外務省は7月末ごろに米英支三国の重要会議がポツダムで行われるらしいことをつかみ、なんとしてもソ連を引き込もうと焦ります。
広田弘毅
「既に罹災(りさい)した家屋を抵当にして金を借りようというようなものだな」
7月18日、ソ連から終戦斡旋依頼の件は具体性を欠くから回答できないという返答が届きます。そして7月26日、トルーマン、チャーチル、蒋介石の三人からポツダム宣言が対日放送を通じて発せられました。
参考文献
幻冬舎「昭和天皇論」小林よしのり(著)
中公文庫「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子(著)
講談社学術文庫「昭和天皇語録」黒田勝弘・畑好秀(編)
文春文庫「昭和天皇独白録」
PHP文庫「鈴木貫太郎」立石優(著)
添付画像
鈴木貫太郎(PD)
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