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隼、シンガポールへ ~ 加藤隼戦闘隊

同じカラーだった。

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 昭和17年(1942年)1月12日、マレーのイボーに前進した陸軍飛行第六十四戦隊、通称、加藤隼戦闘隊はシンガポール攻撃の命令を待っていました。敵に機先を制されることなく、夜間に出撃するのです。しかし、あと一時間もすれば明るくなるのに出撃命令が出ません。

「よし、いこう!」

 加藤建夫戦隊長は出撃を決断。離陸寸前に出撃中止命令がでますが、「ここで中止すれば混乱を来たし、大損害を出すおそれがある」として出撃を強行しました。出撃すると重爆隊がすでに出撃しており、加藤戦隊は重爆隊を護衛してシンガポールへ向かいましたシンガポールには百機余りの戦闘機があるはずでしたが、もぬけの空でした。続く13日の出撃もわずかにバッファロー戦闘機が5,6機出撃してきただけでした。加藤戦隊は連日のようにシンガポールへ出撃しました。

 1月20日、まだ夜が明けない頃、檜與平中尉は枕元で物音がしたので目を覚ますと八田中尉が口の周りを歯磨き粉で真っ白にして立っています。

檜 
「おい、どうしたんだ?」
八田
「おい、檜、起きろよ。歯ブラシが折れたんだよ。今日はおれの最期だよ」
檜 
「ばか、歯ブラシだって何かの拍子に折れるさ」

 この日、八田中尉は敵、スピットファイアの奇襲を受け戦死しました。

 1月31日、檜中尉は後藤力曹長と奥山長市曹長を連れて、第三中隊の竹内正吾中尉の指揮する1個編隊に従って出撃しました。爆撃隊の護衛です。爆撃隊は目標へ正確に爆撃し、ジョホール水道の上空を北上して帰路につきかけていました。そのとき敵ハリケーン戦闘機10数機の大編隊が襲ってきました。檜機らは反撃します。檜中尉は数機撃墜し、ふと下をみると後藤曹長機がいました。後藤機の後方から敵機が狙っていました。後藤機は気づいていません。

「後藤危ない!」

 檜機はまっさかさまに突っ込んで救援に向かいましたが、時すでに遅く、後藤機は一連射を浴び、機体から火を噴き、墜落していきました。

 後藤曹長は落下傘降下していました。そしてゴム林の中の小さな村落に降りました。ちょうどイギリス軍が、なだれのように敗走している真っ最中でした。見つかってはまずいので、後藤曹長は一目散にあてもなく走って落下傘の側を離れました。そして、村のはずれの一軒家の物置の中の草むらに身をひそめて外をうかがっていました。
 夕方になり、周囲が薄暗くなると敵の通過も少なくなります。すると、家の中から17,8歳のマレーの少女が出てきて、どうしてか後藤曹長がいることを知っており、「来い」「来い」と手招きしています。しばらくすると、お盆の上に握り飯を乗せて一間ぐらいまで近寄ってきてお盆をおいて、家の中に走り込んでいきました。

 夜になると、また少女が現れて、「来い来い」と招くので、後藤曹長は今度はついていきました。家の中には歳取った父親が何か細工物をしていましたが、少女と何か話すと家を出ていきました。「もしや敵に通報するのでは?」と思った後藤は家を出て行こうとしますが、少女が手を横に振って引き留めて放しません。そうしているうちに5,6人のマレー人の青年が家にやってきました。後藤曹長は拳銃を持って身構えました。ところがマレー人らはニッコリとしてみんな手を出してこういうのです。

「カラー」「カラー」

手の色も顔の色も同じだ。われわれは味方だというのです。後藤曹長は安心しました。後藤曹長はひどい火傷をおっていましたが、彼らは実に親切に看護してくれ、家の外では若者たちが鎌や棒を持って護衛してくれました。後藤曹長は感激し、傷ついた身体も心もふるわせて泣きました。

 やがて日本軍第五師団が進出してきて後藤曹長は野戦病院に収容されました。後藤曹長が生きているという報せをうけた檜中尉は野戦病院を訪ねました。後藤曹長は全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、目だけ出して横たわっていました。

「後藤曹長!」
「檜中尉殿!」

 後藤曹長の目から大粒の涙がとめどもなく流れました。



参考文献
 光人社「隼戦闘隊長 加藤建夫」檜與平(著)
 光人社NF文庫「つばさの血戦」檜與平(著)
 PHP研究所「歴史街道」2011.8『加藤隼戦闘隊』

文頭イラスト
 加藤建夫 武士道Tシャツ http://ameblo.jp/fumizo4989/entry-11298078332.html
 ホームページ http://www.ekakineco.com/index.html
 Tシャツあります  http://clubt.jp/product/219116.html

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