出撃、加藤隼戦闘隊
対米英開戦。隼が征く。
昭和16年(1941年)12月8日、大東亜戦争対米英戦の火蓋がきっておとされました。陸軍飛行第六十四戦隊、通称、加藤隼戦闘隊は仏印フコク島で出撃の命令を待っていましたが、爆撃戦隊のいるプノンペン飛行場が豪雨で出撃は中止となりました。しかし、加藤建夫戦隊長は出撃を敢行します。目指すはマレーのスンゲイパタニ飛行場です。
「敵機発見!」
初の実戦に檜與平中尉はゴクリと唾を飲み込みました。喉がからからに乾いていたのです。敵機はイギリスの中型爆撃機ブレニムでした。大泉製武中尉機がブレニムの後ろ上方から最初の攻撃を仕掛け、さらに高山隊長機が攻撃し、その後、檜中尉の隼が攻撃します。ブレニムは被弾しながらもなかなか落ちず、最後は八田米作中尉機が攻撃し、ブレニムは尾部がバラバラに分解して吹っ飛び、ペナン島対岸のアエルタワル飛行場の片隅へ、真っ逆さまに落ちていきました。加藤隼戦隊はこの日、スンゲイパタニ、アロルスター、アエルタワル、ペナンの敵飛行場を次々襲撃し、戦火をあげ、緒戦を飾りました。
9日、ペナン島アエルタワル飛行場を攻撃、11日ケダー州を攻撃。寺内南方軍総司令官から感状が授与されました。13日にはクワンタンを攻撃し、コタバル基地へ前進しました。
22日、加藤戦隊はクアラルンプール上空でバッファロー戦闘機の大編隊と激しい空中戦を展開します。600ないし700mの優位な高度をとった高山編隊が次々反転し、バッファローを攻撃し、片っ端から撃墜していきます。安間編隊は遁走するバッファローを撃墜します。おそらくは全機撃墜したであろうという理想的な大空中戦でした。
12月23日、ビルマ方面で重爆隊がラングーンを攻撃しましたが、戦闘機の護衛が足らず、25日のラングーン攻撃に加藤戦隊が護衛につくことになりました。加藤戦隊はタイのドムアン飛行場に移動しました。飛行場に着くとタイの空軍兵士が群がってきて「ナカジマ、ナカジマ」(中島飛行機製作)と隼戦闘機を撫で回しました。
25日、加藤隼戦闘隊はラングーンへ向けて出撃。爆撃隊はラングーンに爆弾を投下しました。その帰路のこと、敵戦闘機が爆撃隊を襲撃してきました。加藤戦隊の任務は爆撃隊の護衛ですから、敵機を深追いすることは禁物です。加藤戦隊長は敵機が襲ってくると威嚇射撃をし、敵を追っ払い、決して深追いせず、爆撃隊から離れることはありませんでした。しかし、敵機を攻撃したい気持ちで一杯の若い隊員たちは気が焦り、深追いしてしまいます。檜與平中尉はバッファロー戦闘機3機が攻撃してきたので、急旋回でやりすごし、追撃を開始してしまいました。敵機を撃墜したときには、爆撃隊は遠く機影が豆粒のように小さくみえるくらい離れてしまいました。案の定、二手にわかれていた爆撃隊の一隊は敵機の攻撃を受け、三機が撃墜され、一機が不時着という損害を受けてしまいました。
「貴様らは、それでも戦闘機乗りか!」
基地にもどると、普段はやさしい加藤建夫戦隊長は烈火のごとく隊員たちを叱りつけました。檜與平中尉が遅くにひょっこり戻ってくると「檜!今頃のこのこ帰ってくるとは何事だ!」と怒鳴りつけました。戦隊長は爆撃隊の隊長のもとへいき、「自分のいたらぬ指揮で援護ができず、大きな損害を出させ、何とも申し訳ありません」と謝罪しました。
隊員はショボンとして、タイランドホテルに帰りました。皆無言です。食卓に着くと加藤戦隊長は「本日は残念だった。さあ、みんな元気を出して、一杯やろう。ご苦労さん」と声をかけます。もう普段の加藤建夫にもどっていました。
「おい、檜、ここへ来い。うまいのをやろう」
加藤戦隊長はザボン(果物の一種)を剥いて檜中尉へ渡しました。
隊員たちはすっかり元気を取り戻し、「明日もう一度、攻撃をやらして下さい」「お願いします」と戦隊長に熱心に頼み込みました。加藤戦隊長は「そのうち機会はまたあるさ。シンガポールも残っているじゃないか」と諭(さと)すように言いました。加藤戦隊は恨み深いラングーン攻撃をいったんあきらめて、タイを後にコタバル基地へ帰還しました。
参考文献
光人社「隼戦闘隊長 加藤建夫」檜與平(著)
学研M文庫「栄光 加藤隼戦闘隊」安田義人(著)
光人社NF文庫「つばさの血戦」檜與平(著)
PHP研究所「歴史街道」2011.8『加藤隼戦闘隊』
文頭イラスト
倉橋ちみも 仕事を探して3千里 http://ameblo.jp/fumizo4989/entry-11229712704.html
yahoo版 http://blogs.yahoo.co.jp/fumizo4989/9192640.html
ホームページ http://www.ekakineco.com/index.html
Tシャツあります http://clubt.jp/product/208363.html
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