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アユタヤ王朝の親衛隊長になった山田長政

戦後語られなくなった山田長政。

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 日タイ400年史というのはタイのアユタヤ王朝の親衛隊長となった山田長政の頃からを指すものです。

 15世紀から17世紀にかけて東南アジアは「交易の時代」に突入していました。タイの国はアユタヤ王朝がありましたが、1558年にビルマのタウングー朝によりラーンナー王国(チェンマイ付近)が陥落し、1569年にはアユタヤも陥落し、ビルマの属国となりました。しかし、1584年、ナレースアンが再びアユタヤ王朝の独立を回復します。ちなみにナレースアン王はムエタイの創始者とされており、ムエタイの選手に高く崇められています。

 アユタヤは外国船が多数入港し、ポルトガル人、ベトナム人、支那人、日本人が町を形成していました。日本人が16世紀末から居住を開始したようで、最盛期には1000人~1500人程度の規模でした。商人ばかりでなく、武士の移住も多く、武士の多くは王室や高官の義勇兵、親衛隊として雇われました。約600人の日本人義勇兵が存在したといいます。

 山田長政は沼津藩主の籠をかつぐ人夫でしたが、慶長17年(1612年)頃、朱印船に乗ってアユタヤに向かったものと思われます。商業に従事し、日本向けの蘇木や鹿皮の買い付けを行い、その成功とともに名声を築いていきました。
 1621年に、スペイン・ポルトガル連合軍がマカオ争奪をめぐってオランダ艦隊と戦い、勝利に乗じてスペイン艦隊がメナム河に入り込んで猛威を振るいました。このとき長政はメナム河関所の管理隊長をしていました。そして長政の水上軍と日本人部隊がスペイン艦隊に奇襲をかけて艦を焼き大勝利を得ました。
 そして長政は日本人義勇兵の隊長にもなり、アユタヤ王朝のソンタム王の信頼を勝ち取って、オークヤー・セーナービムックという欽賜名を得るにいたります。オークヤーは5爵位内の2番目の地位です。山田長政の名声はオランダの東インド会社やインド理事会の記録にも言及されているといいますから、大変な人物だったのでしょう。

 山田長政はソンタム王の死後、王位継承争いに巻き込まれます。長政は王位継承の混乱を避けるためソンタム王存命の頃から日本流の長子相続を王に説いていました。王の死後、王の長子と王の弟との間で後継争いが起こりましたが、長子派が勝利します。そしてチェーターティラート王が即位しました。ところが、ソンタム王の叔父の子で元宮内庁長官のオークヤー・カラーホームが、王は国政をとる力がないのを見抜き、若い王を殺害してしまいました。カラーホームは王位簒奪を計画し、山田長政に同意を求めましたが、長政はソンタム王の第二王子が王位を継承すべきで、カラーホームは摂政に就くべきだとして同意しませんでした。

 王位に野心を持つカラーホームはなんとか邪魔者の長政を追い払おうとして、南タイの太守になることを条件に長政のナコン行きを説得しました。しかし、長政はアユタヤを空けると15歳の新国王が危ないことを知っていたので、なかなか承知しませんでしたが、王の命令というのでやむなく1626年10月、300の日本人と4000人の部隊を率いてナコン・シータラマート(六昆)に向かい、瞬く間に反乱軍を鎮圧しました。その間にカラホームは幼帝を殺害し、自らが王についてしまいました。

 長政はカラーホームへの復讐のためにアユタヤへ進撃する準備を始めますが、カラーホームは密使を送り、長政の主治医に長政の毒殺を命じます。主治医は戦闘で傷を負った長政の足に猛毒の薬をぬり長政を殺害しました。1630年8月ことでした。長政42歳。

 長政の死後、その長子、クン・セーナービムックがナコン・シータマラートの国守を継ぎますが、土着の貴族が彼に服さず、さらに日本人同士の仲間割れもあり、オランダ艦隊の介入などを引き起こして、日本人側が敗退し、カンボジア方面へ逃走したといいます。長政の子クン・セーナービムックは消息は定かではありません。

 この後、新王となったカラーホームことプラサート・トーング王は日本人がアユタヤで商業に従事することを許していましたが、長政の仇を撃つため日本人武士団が宮中に攻め入るという噂が流れると、王は恐れて日本人町を急襲して焼き討ちにしました。その後、王は戻ってくる日本人を寛大な態度で迎え、日本人町は復活しましたが、江戸幕府が鎖国をしたため、次第に衰退していきました。


参考文献
 時事通信社「日・タイ四百年史」西野順治郎(著)
 中公新書「物語 タイの歴史」柿崎一郎(著)
 転展社「アジアに生きる大東亜戦争」ASEANセンター(編)
添付画像
 シャムにいる山田長政の軍 日の丸が見える(PD)

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37.タイ」カテゴリの記事

コメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。

株勉強さん、コメントありがとうございます。

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