大東亜戦争の中で苦悩するタイ
小国タイは生き残りをかけて苦悩した。
第二次世界大戦の同盟国(枢軸国)というと日独伊(日本、ドイツ、イタリア)を思い浮かべる人が多いでしょうが、同盟国側には多数の国が連携しています。欧州ではフィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどがあげられ、アジアでは自由インド仮政府、フィリピン第二共和国、ビルマ国、満洲国、中華民国南京政府があげられます。
タイは昭和16年(1941年)12月21日に日本と攻守同盟を結び、翌年1月8日、イギリス軍がバンコクを爆撃したのを機に25日にイギリス、アメリカへ宣戦布告しました。
緒戦は日本軍が快進撃を続けたので、タイの国営放送は日本軍の戦果を伝え、連合国を非難します。タイの人々は酔いしれていきました。そのような中でプリーディー摂政とディレック外相は慎重で日本が負けた場合のことを考え、密かに支那国民党に接近しておこうと画策します。また、海外の抗日組織である「自由タイ」運動との連携を模索しました。これらのタイの表裏の動きは「親日」「反日」といった二元論で語れるものではなく、小国ゆえの生き残りをかけたかけひきであるといえましょう。
戦局が悪化してくるとタイも徐々に動揺してきます。ディレック外相は日本に非協力的な態度でしたので、ピブン首相は煙たがって、日本へ大使として飛ばしましたが、昭和18年(1943年)末に再び呼び戻して外相の座につけます。日本敗戦のことを考えだしたのです。
それからタイには日本軍が駐留していましたが、彼らはタイの習慣に疎く、クリークや河川で裸になって水浴したり、タイ人を殴ったり、僧侶に不敬を働くものがいたので、戦局の悪化に加えてタイ人の心が日本から離れていくことになりました。昭和17年(1942年)12月にバーンポーン事件というのがおこっており、連合国捕虜にタバコを恵んだ僧侶がおり、この僧侶を日本兵が殴って騒ぎになりました。これで日本軍の鉄道第九連隊の一隊とタイ警察が銃火を交えるまでに至って日本軍側は軍医1名死亡、兵数名の負傷者を出しています。
戦局悪化によるタイの動揺とバーンポーン事件を重視した日本南方総軍司令部はタイ方面軍司令部を編成して、最高司令官に「ホトケの中村」と呼ばれる中村明人中将を任命しました。中村中将はタイの朝野からたいへんな信頼をうけたといいます。戦後の昭和30年にタイの警視総監パオ大将ら政府要人に中村中将らは招待されましたが、中村中将は「まるで竜宮上にいった浦島太郎のような思いだ」と語ったほど大歓迎されています。タイでは「メナムの残照」(原題:Khu Kham)という日本軍人「コボリ」とタイ人女性の物語がヒットしましたが、コボリのモデルとなったのが中村明人中将なのだそうです。
昭和18年(1943年)暮れに連合国側が日本軍の施設を空爆します。翌年1月にも満州国公使邸や日本大使館が空爆を受けました。昭和19年(1944年)7月にはサイパンが陥落。東條英機は失脚します。タイも大きく動揺し、ピブン内閣は総辞職してしまいました。
ピブン内閣の次はアパイウォン内閣が発足しました。アパイウォン内閣は日本への借款引き受けを増やすなど表面上は日本に協力的でしたが、抗日地下組織「自由タイ」を密かに支援しました。日本軍ではこの動きを察知しており、参謀の中にはタイ軍を武装解除させ、軍政を敷くべきという強硬派もいました。
自由タイは不穏な動きをみせ、タイ軍もいつでも交戦できる準備をはじめました。連合国侵入に備えるという名目でバンコク市内の要所にトーチカが作られ始めました。日本軍も要所要所に砲座や陣地を構築したので、両軍の間に緊張した空気が流れました。しかし、「ホトケの中村」こと中村中将は「自由タイは戦局を左右するものではない」こと、「長い目で日タイ関係を見ると相互に戦争や占領という汚点は残すべきでない」として軍部内の強硬派を抑えました。このお陰で終戦まで日タイ間で血を流すことはありませんでした。この中村中将の決断は戦後タイで随分好評価されたといいます。
こうしてタイは表と裏で巧に動き、終戦を迎え、それから必死の外交を展開して独立を保っていきます。終戦後アパイウォン首相は次のように述べました。
「国の外交は全く複雑多岐である。われわれは白を欲しながら、あたかも黒を欲しているように振る舞い、終局において白を獲得することに成功した」
参考文献
時事通信社「日・タイ四百年史」西野順治郎(著)
中公新書「物語 タイの歴史」柿崎一郎(著)
転展社「アジアに生きる大東亜戦争」ASEANセンター(編)
参考サイト
WikiPedia「中村明人」
添付画像
爆破される泰緬鉄道(PD)
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