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ラサ蜂起、ダライ・ラマの亡命とチベット亡命政府

ラサ蜂起、血塗られた金曜日。

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 昭和25年(1950年)より中華人民共和国(中共)はチベット侵略を開始します。当初、中共人民解放軍はチベット人に対して親切にふるまいましたが、やがてその本性を現していきます。こうした中共にいちはやくカンパ(カム地方の人)が抵抗を開始し、ゲリラ戦を展開するようになります。中共への抵抗は全国的な機運となっていきました。共産党政府はこうした状況に苛立ち、チベット人の指導者であり象徴であるダライ・ラマ法王の身柄拘束に動きました。

 昭和34年(1959年)3月、中共はダライ・ラマ14世に「人民解放軍司令部での観劇」に招待します。ラサの中共軍の駐屯地です。しかも「警護をつけない」「出発の際、儀式をしない」ことを条件とする異様な“招待”でした。法王側が断っても中共軍は執拗に要請し、徐々に脅迫の色合いを帯びてきます。
 3月10日、中共が法王の「拉致」を企んでいると察知したチベットの民衆は迎えにきた中共のジープの進入を阻むため、ノルブリンカ宮殿の周囲に集合。チベット全土から民衆が集結し、30万人にも及びました。人々は法王が招待に応じないよう叫びながら「チベット独立」「中国人は帰れ」とシュプレヒコールを続けました。11日、1万2千人の女性がポタラ宮殿前をデモ行進しました。共産党政府は武力制圧を示唆し、チベット駐留軍を増強し始めました。

 19日、人民解放軍がノルブリンカ宮殿へ向けて一斉に砲撃を開始。宮殿は徹底的に破壊され、周囲にいた民衆は木っ端微塵に吹き飛ばされました。「血塗られた金曜日」です。9万人に及ぶ犠牲者が出ました。中共側はダライ・ラマ法王の命を狙っていましたが、法王は3日前に極秘裡に脱出し、インド国境へ向かっていました。

 そして4月20日、8万人の民衆とともにインドへ政治亡命したダライ・ラマ14世は、チベット亡命政府を樹立し、中共に強制的に結ばされた「17条条約」の破棄を宣言したのです。この宣言についてジュネーブの国際司法委員会(ICJ)は法学的見地から次のように結論づけています。

「中国が17条条約に違反したことで、この条約の拘束力は失効し、チベットは条約下で失われた独立国としての主権を回復したと見なすことができる」


 チベット亡命政府は昭和35年(1960年)5月にインド北西部のダラムサラに移ります。正式には中央チベット行政府 CTA (Central Tibetan Administration)と言います。13万人に及ぶ亡命チベット人の福祉を守っています。
 チベット亡命政府には憲法があり、自国の建国について「釈尊(ブッダ)の教義に基づいて建てられた」としててダライ・ラマを最高首長としていますが、完全な信教の自由を保障しています。そのほか「戦争と武力行使の放棄」があります。
 チベット亡命政府は三権分立があり、立法、行政、司法機関があります。立法はチベット亡命会議があり、亡命チベット人の直接選挙によって選ばれる46名の議員で構成されています。行政は宗教文化省、内務省、財務省、文部省、公安省、情報・国際関係省、厚生省があります。司法は「亡命チベット最高司法委員会」という裁判所がありますが、亡命チベット人は滞在国の法律に従って生活しているので、亡命チベット人社会の民事問題を裁くのが主な役割のようです。

 ダライ・ラマが亡命してもチベットではアメリカのCIAの援助を受けて、ゲリラ部隊が抵抗を続けていました。しかし、アメリカは泥沼化していたベトナム・インドシナ情勢打開のためにソ連と関係が悪化していた中共と手を組んでしまいました。チベットへの支援は打ち切られました。チベット人ゲリラ部隊は人民解放軍とネパール軍に挟み撃ちにされる危機に瀕する事態に陥り、まずネパール軍と戦う決意をします。そこにダライ・ラマ法王からのメッセージを録音したテープが届きました。

「祖国防衛のためにチベット国内で中国人と戦うのはやむを得ないが、他の民族の地で血を流す権利はどこにもない。我々が幸せになるために他の民族の幸せを踏みにじっていいということもない」

ゲリラ部隊は涙ながらにネパール軍に投降しました。チベットの武力抵抗は終了しました。



参考文献
 文藝春秋「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子(編)
   『胡錦濤への聖火は許せない』櫻井よし子
   『中国のチベット・ジェノサイドの恐怖』三浦小太郎
 祥伝社「チベット問題を読み解く」大井功(著)
 扶桑社新書「中国が隠し続けるチベットの真実」ペマ・ギャルポ(著)
参考サイト
 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
   中央チベット行政府 http://www.tibethouse.jp/cta/government.html

添付画像
 2010年4月チューリッヒで大聖堂-ヤードの上 Author:Roland zh

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【暴れる中国人】チベット旗を暴力で奪い取る【気味悪い】
www.youtube.com/watch?v=4K1XctEI0DU


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