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身を殺して仁をなした日本 ~ タイから

タイは同じアジアとして大東亜戦争を評価していた。

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 大東亜戦争時、日本とタイは攻守同盟を結んでいました。緒戦の日本の連戦連勝にタイ国民は酔いしれましたが、やがて戦況は悪化していき、タイは動揺していきました。そして連合国で結成された「自由タイ」がタイ国内の反ピブン勢力と連動し、昭和19年(1944年)7月24日、米英と開戦したピブン政権は総辞職することになりました。続いてクアン・アパイウォンが後継者に指名されます。クアン内閣は裏では自由タイの活動を支持し、連合国に協力しました。
 日本がポツダム宣言を受諾した後のすぐの昭和20年(1945年)8月16日にタイは摂政3名揃わず2名だけ署名した米英に対する宣戦布告は無効と宣言し、日本の強制下のやむをえないものであったと国際社会に訴えました。これにアメリカが受け入れを表明したことからタイは親米政権を立ち上げイギリスを牽制することに成功します。

 タイでは大東亜戦争の終わり方が反日方向だったので、日本への感情がよくないものかといえばそうではありません。終始反日寄りとされたディレック外相は戦後、東京にきたとき、タイ方面軍最高司令官であった中村明人中将を訪ね、旧交を暖めています。抗日組織である「自由タイ」の幹部たちは戦後タイの各界の指導的立場にたつようなりました。彼らは戦後、タイへ進出してきた日本人と接触の機会をよく持つようになりましたが、だれ一人として過去にこだわることなく、親近感をもって日本人に接したといいます。反日親日という二元論では語れない小国タイが生き残りをかけた苦悩がそこにあったのです。

 タイとの国交は昭和27年(1952年)のサンフランシスコ講和会議後に復活しました。しかし、日本とタイの間には大きな問題が残っていました。日本は戦時中、タイに20億バーツの借款を行い、そのうち4億バーツは金塊で返済していましたが、戦局悪化にともない金塊の輸送が困難になり、16億パーツが残っていたのです。タイの国家予算が約2億パーツですから、8倍もの金額です。戦後、タイはお金の返済を日本に求めましたが、日本は財源が乏しく、ディスカウントを求めました。するとタイは了承してくれたのです。このときタイ返済交渉団の顧問にいたソムアン・サラサス氏はこう述べています。

「日本国民は餓死寸前の時でありました。日本中が焼け野原でした。そして皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に『こんな気の毒な日本を見ていられるか』と言いましたよ。だから、私に向かって池田勇人蔵相が熱心に払えない理由を釈明していたけれど、全然聞いていなかったのです」

「『国に帰ったら、殺されるかな』とフッと思った。けれど、『まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから』と自分に言い聞かせました」

 戦後間もなくのころ、タイから象の花子さんが贈られました。この象はソムアン氏の父、プラ・サラサスさん(元タイ経済大臣)が私費で贈ってくれたものです。

 それからタイは大東亜戦争を否定するようなことはしていません。タイ首相のククリット・プラモート氏の言葉は有名でしょう。

「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米・英と対等に話しができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身と賭して重大な決心をされた日である。われわれはこの日を忘れてはいけない」

 タイ北部のバーイ川には昭和17年(1942年)に架設された鉄橋が残されています。日本軍の建設によるもので、プミポン国王が保存を命じたのではないかと言われています。泰緬鉄道も保存され、日本の機関車も保存されています。日本製の海防艦「トンブリ」軍艦「メコン」もスクラップにせず保存しているといいます。メーホンソンにはクンユアム旧日本軍博物館があります。


参考文献
 時事通信社「日・タイ四百年史」西野順治郎(著)
 中公新書「物語 タイの歴史」柿崎一郎(著)
 転展社「アジアに生きる大東亜戦争」ASEANセンター(編)
 「歴史通」2009.7月『神のごとく振舞った英国人が青ざめた』高山正之
参考サイト
 クンユアム第二次大戦戦争博物館 http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/index.html

添付画像
 プーミポン・アドゥンラヤデート国王を讃える肖像画(Adam Carr所有)

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