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2012年11月

大日本帝国憲法

大日本帝国憲法はどうやって生まれたか。

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 私が子供のころは「イチハヤク大日本憲法発布」と1889年に大日本帝国憲法が発布された年を覚えたものです。この憲法ができるまでの苦労話も何かで読みました。今は学校で近代史は駆け足で教えるそうなので、ほとんど語られていないのではないかと思います。

 明治7年(1874年)からの自由民権運動において、憲法議論が盛んになっていき、明治14年(1881年)10月12日に国会開設の勅諭が発され国会の開催を明治23年(1890年)に行うことが約束され、その組織や権限は政府に決めさせること(欽定憲法)を示しました。

 明治15年(1882年)3月、「在廷臣僚」として、参議・伊藤博文らは政府の命をうけて憲法について調査するためヨーロッパに渡ります。イギリスには明文化した憲法はないし、アメリカは共和制なので参考にならない。そこでドイツ系立憲主義の理論と実際について調査を始めました。伊藤は、ウィーン大学のロレンツ・フォン・シュタインに会いアドバイスを受け、ドイツでビスマルクに会い、ベルリン大学のルドルフ・フォン・グナイストを紹介してもらいます。ビスマルクは「ドイツの帝国憲法はたくさんの小さな国を集めて作ったものだから、日本の参考にはならないでしょう」と言ってドイツ憲法の前のプロシャ憲法が役に立つとアドバイスを受けました。そしてグナイストの講義を受けます。

 日本に戻った伊藤はグナイストと一緒に講義を行ったアルベルト・モッセ、ドイツの法学者ヘルマン・ロエスエルを招き、支援を受け、大日本帝国憲法を作成しました。

 大日本帝国憲法のちょっと不思議な点は「首相」も「内閣」もないことです。では内閣はどこで法的に決められているかというと憲法発布から4年前の明治18年(1885年)に太政官制を廃止して内閣制度が創設されています。そして伊藤博文が初代内閣総理大臣となっています。内閣総理大臣は誰が指名していたかというと元老院が指名していました。元老院の当初のメンバーは伊藤博文、黒田清隆、山県有朋、松方正義、井上馨、西郷従道、大山巌で後に西園寺公望、桂太郎が加わります。明治天皇の信任はあつく、これらの権威によって内閣が成り立っていたわけです。

 よく大日本帝国憲法は統帥権が問題になりますが、考えてみれば日清戦争、日露戦争も同じ憲法下、体制化だったわけで、日清戦争のときには派兵数について軍部は伊藤博文総理の指示は聞かず、独自に派兵数を決めています。司馬遼太郎著「坂の上の雲」では少ない派兵を唱える伊藤博文に対し、派兵数は参謀長が決める、と軍から言われて「憲法だな」と苦い顔をした、と書かれています。自分が憲法を草案したからです。

 統帥権は欠陥といわれますが、当初、内閣は元老の権威がバックにあり、軍部と均衡がとれていたといえます。しかし、元老がいなくなると憲法に定められていない内閣の権威が低下し、憲法に定められている統帥権が強くなり、軍部の意向が強く政治に反映されたということでしょう。ここで問題なのは戦後よく言われる「軍部が暴走した」などということではなく、オールジャパン体制になれなかったこと、ではないかと思っています。軍部と政府が一体化して強い外交戦略を描き、陸軍と海軍も一本にまとまるべきだったということです。全部バラバラでした。

 このほか、憲法発布直後にの明治23年(1890年)に教育勅語が発布されています。これは国民に深く浸透したので、国民精神を説いた憲法のようなものとなりました。



参考文献
 WAC「渡部昇一の昭和史(正)」渡部昇一(著)
 ビジネス社「日本国憲法無効宣言」渡部昇一・南出喜久治(共著)
 文春文庫「坂の上の雲」司馬遼太郎(著)
 徳間書店「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー(著)
参考サイト
  WikiPedia「ルドルフ・フォン・グナイスト」「ヘルマン・ロエスエル」

添付画像
  伊藤博文(PD)

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知識は力なり

知っている、ということは強い。

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 「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)でれい子さんが列車の食堂車でたまたまベルギー人にワインをおごってもらったときの話が面白いです。

ベルギー人「ところであなたは日本人ですね」「イロイトは元気ですか?彼が昔アムステルダムへ来たとき、どんな男か見に行ったっけ。ずいぶん昔のことだなあ」
れい子「イロイト?ああ、昭和天皇のことですね。彼はもうなくなりました。1989年ですよ。私の伯父がなくなったのと同じ年だったからよく覚えています」

ベルギー人「そうか、それは知らなかった。ところで昔、我々は日本人と戦争をした・・・」
れい子「我々って?ベルギーが日本と戦争をしたということですか?」
ベルギー人「私の父はベルギー人だが、母はオランダ人。私は戦争中、インドネシアで生まれた」

つまりインドネシアでオランダと日本が戦争をしたということを言っています。

ベルギー人「我々は長年にわたってインドネシアにたくさんの投資をした。それを日本は奪って、残忍のきわみを尽くした。なぜだ?」

 ヨーロッパ人というのは恨みは忘れないものだそうです。日本には「水に流す」という便利な言葉がありますが・・・。ベルギー人に対してれい子さんは日本の資源のないことや米英の経済封鎖をあげて説明しますが、ベルギー人は怒り出します。

ベルギー人「私はブリュッセルに住んでいるが、ありとあらゆる戦争の本を集めた。そのどれにも日本人は残忍なことが好きな人種だと書いてある」
れい子「それは何語の本ですか?」
ベルギー人「不幸にしてフランス語とオランダ語」
れい子「それはそれは本当に不幸でした。もしあなたがインドネシア人が書いた本を読めば、または日本人の書いた本を読めば、考えが変わるでしょう」

 実にうまい切り返しです。れい子さんはオランダのインドネシア支配や日本がオランダを追っ払ったことのほか、米英の経済封鎖の話も知っており、海外でも常日頃、日本代表の意識を持っています。昭和17年(1942年)生まれの方なので、戦後教育で東京裁判史観を刷り込まれているはずなのに隠された歴史に関して知識を持っています。だからうまい切り返しができるわけです。

 上智大学名誉教授の渡部昇一氏は「知識は力なり」と言っています。渡部氏のところに北朝鮮関連の問題で朝鮮人が押しかけてきて「おれたちは強制連行されたんだ!」と大声で言うので「ところで、あなたは昭和何年に日本に来たのですか」というと、黙ってしまったといいます。相手に知識があると糾弾しないということです。白人が糾弾してくれば「あなたたちのほうがもっと酷かったのだから、昔の話は止めましょう」と言えばいいと述べています。彼らは対日プロパガンダしかしらず、自分たちのやったことについては知識を持ち合わせていないのだそうです。

 田中角栄首相と中華人民共和国の周恩来首相が会談したとき、周恩来は「中国は日本を侵略しようとしたことはない」といいました。田中角栄は「では元寇はどうですか」と切り返しました。このとき周恩来は何もいえなかったといいます。政治家はかくあるべきでしょう。さらに提言すると中共が歴史を問題に出してきたらこういえばいいのです。「毛沢東主席は『日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです』といっていましたよね」※と。


※ 昭和39年に当時の社会党副委員長佐々木氏が北京を訪れたときの毛沢東と会見したときの発言記録。

参考文献
 講談社α新書「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)
 WAC「渡部昇一の昭和史(正)」渡部昇一(著)
 WAC「渡部昇一の昭和史(続)」渡部昇一(著)
 中公文庫「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子(著)
添付画像
 浦佐駅にある元総理大臣田中角栄の銅像。2005年にはフードが設けられて、2005年10月29日に除幕式が行われた。2005年10月撮影。(CC)

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敗戦をバネに科学技術大国となった日本

日本人の記憶は作り替えられている。

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 大東亜戦争敗戦時、日本人はこう思っていました。

「日本は戦争に負けたのではない、科学の力に負けたのだ」

 科学の力・・・原子爆弾を指しています。そしてひそかに不服従の感情を持っていました。

 大東亜戦争で日本はよく科学技術を軽視していたと言われます。本質は重視軽視の二元論ではないと思いますが、敗戦を自省するにあたり科学技術力の不足を認めていました。昭和20年8月16日の朝日新聞には「科学や物量に敗れた・・・」という見出しが出ました。昭和天皇の終戦直後の回想でも「あまりに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したこと」を敗戦の一因として挙げています。私の祖父の記録にも「日本では“器用貧乏村宝”等と言って、技術者を馬鹿にする。精神一到何ごとか成らざんやとか神風とか言っていて最悪の無条件降伏をした。日本がこんなに良くなったのも技術の力である。指導者は反省すべきである」と書いています。戦争を知っている世代はこのような認識が強かったでしょう。

  よく敗戦時に庶民は「戦争がおわってホッとした」というのを聞きます。そういう人もいたでしょうが、おそらくこれは戦後日本が再び立ち上がらないようにするためのGHQ刷り込みで、「悔しい」が大方の気持ちだったでしょう。原子爆弾で街が壊滅した広島でも抗戦意識が強く、広島逓信病院の院長蜂屋道彦氏の日記にこう書かれています。

「日ごろ平和論者であった者も、戦争に厭ききっていたものも、すべて被爆この方俄然豹変して徹底的抗戦論者になっている。そこへ降伏ときたのだからおさまるはずがない。すべてを失い裸一貫。これ以上なくなることはない。破れかぶれだ。私も彼らのいうように徹底的に戦ってしかる後に、一死をもって君国に殉ずるのが私の本分であると思った・・・(中略)・・・降伏の一語は全市壊滅の大打撃より遥かに大きなショックであった。考えれば考えるほど情けない」

 戦後日本は「悔しさ」をバネに「科学技術」重視に向かい、技術立国日本を建設したといえます。

 1970年代オイルショックがあり、石油が高騰し、ソ連は巨額の資金を油田開発につぎ込みますが、原油価格は暴落し、投資は失敗となりました。それは日本の省エネ技術により日本の石油需要が増えなかったからです。日本は科学技術により省エネ大国に変貌し、ソ連は当てが外れてレーガン時代にはついに米国に屈服することになります。評論家の日下公人氏はかつてモスクワ大学経済学部を講義で訪れた際に多くの教授たちと懇談したとき、彼らが異口同音にこう言っていたと述べています。

「われわれが負けた相手はレーガンではない。日本の省エネ技術と省エネ生活に負けたのだ」

 敗戦の悔しさをバネに日本が科学技術に力を注いだ結果、今度は勝ったのです。

 しかし、歴史はGHQによって書き換えられており、大東亜戦争は「終わったとき、みんなホッとした」「最初から無謀な戦争だった」になってしまっています。戦争を知っている世代は実体験の悔しい思い、科学技術の重要性を実感した記憶がありましたが、知らない世代は記憶がありませんからGHQによって創られた歴史を信じています。現に3年前政権交代があり、国民はマスコミが面白おかしく報じる「仕分けショー」で「科学技術」の予算が削られていくのをヤンヤヤンヤと手を叩いて喜んでいる痴呆ぶりを見せています。日本が日本人自身により弱体化させる姿を世界が不思議がり、ほくそ笑んでいることに気づいていませんでした。その後ノーベル賞受賞などで幾分か目覚めた程度です。「歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」と誰かが言いましたが、まさにその通りになりつつあります。



参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 文春文庫「昭和天皇独白録」
 幻冬舎「昭和天皇論」小林よしのり(著)
 祥伝社「日本人の覚悟」日下公人(著)
 展転社「世界からみた大東亜戦争」名越二荒之助(編)

添付画像
 原子爆弾で廃墟となった広島(PD)

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世界が恐れを抱く日本

先人が残してくれたもの。

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「日本は、アジア、アフリカで一度も植民地にならなかった稀有な国だ」

 欧州人はこういう認識を持っており、ごく一般に言われていることなのだそうです。日本ではこんなことは言われないでしょう。あくまで「日本悪しかれ」と政治家もマスコミも学校もGHQの捏造歴史を通してしか語りません。

 デュラン・れい子(著)「一度も植民地になったことがない日本」は外国人が日本をどう思っているかというのが見えてきてなかなか面白いです。
 平成13年(2001年)9月11日、911テロのときです。事件はニューヨークでおきましたが、フランス・パリではいつも混んでいるカフェはガラガラ。イタリアの新聞はこのテロを「KAMIKAZE」と報じました。テロと神風を一緒にしてほしくありませんが、彼らにはイスラムもヤマトも理解不能でごっちゃなのでしょう。この後、フランスで「浅間山荘事件」が報じられたといいますから、欧州人は戦後60年以上たってもどこか日本を恐れ抱いている部分があるのでしょう。

 米国でジャーナリストが20世紀の最も印象深かった出来事は何か?というアンケートをとったことがあり、結果上位は以下の通り。

1.広島、長崎の原爆投下
2.アポロの月着陸
3.パールハーバー(真珠湾攻撃)

 これは深層心理で日本を恐れている、復讐されるのではないかという気持ちの現われではないでしょうか。

 平成20年(2008年)8月。米のライス国務長官(当時)が東京へ飛んできて2日滞在しましたが、なぜ突然来たのか誰もが不可解に思ったようです。どうもその10日前に麻生外相(当時)がワシントンに行ってライス長官に「アメリカが拉致問題を粗末に扱うなら、日本人は原爆所有を考えるようになります」と言ったらしい。来日したライス長官は一生懸命「アメリカの核の傘下を信じよ」と訴えました。日本の核武装を最も恐れているのは米国であり、深層心理で日本の復讐を恐れているのだと思います。

 白人らが日本を恐れ抱くのならどんどん利用してやればいいと思います。英霊たちが命を捧げて残してくれたものでしょう。ジャーナリストの高山正之氏は「日本は再び軍国主義に向かうのか?」(笑)と質問してくる外国人に対してこう答えているそうです。

「それはあなたたち次第だ。日本は、相手が紳士的に振舞う国であれば紳士的に付き合う。もし野蛮な、理不尽なことを押し付けてくるようならば、こちらもそれに応じて変化する。日本の軍国主義の復活を心配するというのは、あなたがたの中に日本に対して理不尽なことをしているという自覚があるからではないのか」

 日本外交は高山氏のいうスタンスでよいと思います。ただ、その前に日本国内で戦後のGHQの政策に洗脳され、反日イデオロギーに犯された「日本悪しかれ観」を持った人らをなんとかせんといかんでしょう。



参考文献
 講談社α新書「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)
 PHP「アメリカはどれほどひどい国か」日下公人・高山正之(共著)
 祥伝社「日本人の覚悟」日下公人(著)
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之共(著)
添付画像
  出撃直前(悪天候で翌日に延期)の第72振武隊の少年兵(PD)

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チベット大虐殺は現在進行形、加担する日本のODA

今も続くチベット大虐殺。日本政府は加担している。

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 平成20年(2008年)のチベットでの騒乱による死亡者数は220名とされています。また、重傷者は1294名、逮捕者は5600名、290名が刑を言い渡され、平成21年(2009年)1月の時点で1000名以上が行方不明です。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所では平成22年(2010年)7月にも依然として行方不明である発表がなされています。チベット大虐殺は現在進行形なのです。

 中華人民共和国(中共)は西部開発を進めていますが、これらは独立志向の強いチベット族、ウイグル族に対して漢族資本を押し寄せることで少数民族を経済支配するものです。貧困を軽減し、観光を促進するという名目で支配するのです。道路や鉄道、光ファイバーなどで漢民族の移住を増加させ、チベットの文化とアイデンティティを弱体化させ、チベット武装化を進めています。

 これらを間接的に支援しているのが日本のODAです。チベットを支配するために造った青蔵公路に沿ってラサから青海省の西寧を経て甘粛省の蘭州を結ぶ全長1300余キロメートルの光ファイバーケーブルは日本のODA援助により中共軍によって施設されています。平成10年(1998年)に完成しました。これらは当然軍事目的でも使用されています。このことを指摘する日本の政治家は誰一人いなかったといいます。ODAは空港拡張工事にも使われ、中共軍が軍事利用しています。

 日本のカネはODA以外にアジア開発銀行(ADB)や世界銀行から迂回して中共に支援が回っています。ADBは昭和41年(1966年)に誕生し、総裁はずっと日本の財務省の高官が就任しています。中共が加入したのは昭和61年(1986年)です。中共はADBから約2兆円の融資を受けています。平成20年(2008年)~平成22年(2010年)をみると約5000億円、37案件になります。この85%が中西部の「開発」支援で、これらは道路、鉄道、交通関連のインフラ支援であり、軍事使用が可能が可能なものです。平成20年(2008年)のラサ蜂起でも援助で作られた高速道路を経由して中共軍や人民警察部隊が現地の治安確保(大虐殺)に向かっています。当然、こうした融資はチベット亡命政府もチベット支援団体も抗議しています。

 チベット支援団体
「中国政府の西武開発計画は占領したチベットと東トルキスタンに集中しつつあります。アジア開発銀行(ADB)は貧困を軽減し、観光を促進すると言っていますが、中国政府がチベット掌握を不動のものにするために、この路線が使われようとしています」

 ウイグルでも日本のODAが使われ、なんと漢民族高官向けの温泉施設に化けてしまっています。中共の中日友好協会の名誉会長の王震氏が絡んでいたといわれており、日本の政治家も絡んでいたでしょう。

 日本のODAもADBも日本国民の税金からの援助、出資金です。これらがチベット大虐殺に間接的に使われてそして使い道に対してなんら言及されないのは異常です。お役人のマッサージチェア購入一つでマスコミは「国民の税金を!」と大騒ぎするのに、莫大な中共支援のODA,ADBは何も報じないのは異常なことでしょう。



参考文献
 「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子編
   『チベットを”核漬け”にした中共軍の野望』平松茂雄 
 オークラ出版「チベット大虐殺の真実」『中国のチベット侵略に加担する日本のODA』青木直人
参考サイト
 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
   ラサでの抗議行動で殺害されたチベット人4名の身元判明 http://www.tibethouse.jp/news_release/2009/090818_4.html
   チベット亡命政府、チベット人2名に対する死刑判決を憂慮 ― 政治犯全員の釈放を要求 http://www.tibethouse.jp/news_release/2009/090409_cta_release.html
   2008年のチベット暴動の逮捕者は未だに行方不明 http://www.tibethouse.jp/news_release/2010/100722_arrest.html

添付画像
 河野洋平 河野洋平 原典Flickr: Japan, April 2008 Auth:Cluster Munition (PD)
 対中ODAを積極的に推進した

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チベットだけでは無い、中国の侵略と弾圧
www.youtube.com/watch?v=7MO87zOUaRg

チベット大虐殺に加担した日本のマスコミ

日本のマスコミはチベット大虐殺に加担していた!

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 昭和25年(1950年)、中華人民共和国(中共)はチベットを侵略し、今日まで120万人といわれるチベット人大虐殺を行ってきました。このジェノサイドをマスコミはどう報道したのでしょうか。「諸君2000年6月『チベット侵略を礼賛した岩波新書の”迷書”』」潮匡人と岩田温氏のエッセイから新聞報道部分など抜粋してみます。

 朝日新聞(昭和26年6月3日)17条協定
「チベット軍も人民解放軍に編入され、またチベットには軍政委員会と軍区司令部が置かれることになっている。内政自治権は認められたとはいえ軍事的にガッチリ押さえられ、さらに外交権まで失った・・・中共のチベット解放は終わり、残るは台湾だけとなった」

 侵略、占領ではなく「解放」と呼んでいます。

 朝日新聞(昭和31年7月23日)
「チベット暴動説は疑問 亡命者の政治的宣伝か」
「このところネパールのカトマンズ、カリンポンなどから盛んにチベット反共暴動が起こっているとの報道が行われ、当地国府系紙は連日大々的に報じているが、当地観測筋では『針小棒大なもの』として批判的に見ている。
 当地の一般観測筋ではチベット問題の報道はカトマンズ、デリー、カリンボンに亡命しているチベットのラマ教徒の話しに基づいたもので、これをそのまま受け取ることは危険であるとしている」

 ラサ決起前ですが、チベット人の抵抗は大して問題になるものではない、としています。

 ラサ決起1年後、読売新聞は昭和35年(1960年)は以下のような見出しの記事を掲載しています。
「反乱1年後のチベット」「『消えた残酷物語』近代化へたくましい歩み」
本文書き出し
「一年の経過を見るとあの反乱で最もバカをみたのは反乱をおこした者・・・」「反乱のおこる前には、北京政府もチベットに忍耐強い態度をとり・・・」

 ラサ決起を「反乱」といい、反乱者を否定的に見ており、北京政府を肯定的に捉えています。

 同紙
「反乱によって、こうした社会制度の改革を頑強に拒んでいた反動的農奴王、支配者たちが、亡命したり投降してしまったので改革はかえって早められることになった。この改革は民主革命の段階と社会主義改造の二段階にわけてすすめられることになっており、目下すすめられているのは第一段階の民主革命である」

 侵略と大虐殺、拷問、強姦、暴行などなどを「民主革命」と報じています。

 岩波新書 A・L・ストロング著「チベット日記」 1960年安保当時の著

 わしらの太陽

 ダライ・ラマの太陽は
 領主達を照らした。

 毛沢東の太陽は
 わしら人民を照らしてる。

 いま、領主の太陽は沈み、
 わしらの太陽がある。

完全なマルクス主義史観です。

 岩波新書 アラン・ウィニントン著「チベット」
「ひとたびチベット全人民の、政治的にめざめた各階層を代表する自治政府が出来れば、--- そしてこれは極めて間近いであろうが --- その政府は、中国の全国的計画および社会主義の目標に歩調を合わせて、チベット開発計画を立てることができる」

 これらのマスコミ報道は中共によるチベット侵略、大虐殺を隠蔽したのです。日本国民はチベットで何が起きているかほとんどの人が知らされていませんでした。これはマスコミがチベット大虐殺に加担したといっても過言ではありません。まったく反省がないことから確信犯です。平成20年(2008年)3月にラサでおきた大規模な騒乱も日本のマスコミは「暴動」という表現を多く使いました。「暴動」というのは鎮圧する側の視点にたった言葉です。マスコミは「北京」の視点で報道しているのです。我々はこれらマスコミの正体を知っておくべきでしょう。



参考文献
 「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子編
   『チベット侵略を礼賛した岩波新書の”迷書”』潮匡人 
 オークラ出版「反日マスコミの真実2009」『チベットを貶め続けた朝日新聞』岩田温
 扶桑社新書「中国が隠し続けるチベットの真実」ペマ・ギャルポ(著)

添付画像
 1938年のチベット。新年の催し。Author:Beger, Bruno

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石原都知事 『朝日はチベットについてどう思うんだ!?』 9月14日
http://www.youtube.com/watch?v=4g7zhtDW4sA

GHQの呪縛、プレスコードは生きている

「戦後」はまだ続いている。

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 昭和20年(1945年)9月21日、大東亜戦争後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって書物、新聞などを統制するために発せられた規則「日本新聞遵則」(プレスコード)が発せられ、日本の言論は厳しく自由を制限させられました。具体的には以下の内容が調べられました。

 ・連合国軍最高司令官(もしくは総司令部、以下SCAP)に対する批判
 ・極東国際軍事裁判批判
 ・SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判
 ・検閲制度への言及
 ・アメリカ・ロシア・英国・中国他連合国、朝鮮人、国家を特定しなくても連合国一般、満州における日本人取り扱いについて、それぞれへの批判
 ・連合国の戦前の政策に対する批判
 ・第三次世界大戦への言及
 ・冷戦に関する言及
 ・戦争擁護・神国日本・軍国主義・ナショナリズム・大東亜共栄圏その他の宣伝
 ・戦争犯罪人の正当化および擁護
 ・占領軍兵士と日本女性との交渉
 ・闇市の状況
 ・占領軍軍隊に対する批判
 ・飢餓の誇張
 ・暴力と不穏の行動の煽動
 ・虚偽の報道
 ・SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
 ・解禁されていない報道の公表

 検閲は一般の手紙にも及び、日本人にやらせるのです。100通の手紙を検閲して、5通が怪しいといって提出すると残りの95通を別の人にやらせて、もしズルして隠したことが発覚するとクビにするのです。即刻クビですから食糧不足の時代ですから明日から食べるものがない。実に卑劣なやり方です。

 広島の人なら峠三吉の詩「にんげんをかえせ」が発禁処分に処されたことをご存知の方もいるでしょう。終戦直後、アメリカの原爆投下を批判した鳩山一郎の記事がもとで朝日新聞は発行停止を喰らったことがあります。

 プレスコードはよく見ると現代に生きている部分があります。「神国日本」などそうでしょう。政治家が「日本は神の国」と発言するとマスコミは大バッシングを始めます。以前、毎日新聞ニュースで2・26事件の記事がでており、決起軍である青年将校の遺書を紹介していましたが、意図的に掲載しなかったと思われる一文がありました。「孝よ生を神州に享くる者只国に報ゆるこそ第一なれ」。学校教育やマスコミでは軍人の偉業を讃えるようなことはしません。テレビのニュースでは「我が国」「わが日本」というような表現はせず、「政府は」「政府与党は」という表現をしています。自分の国を「この国は・・・」と表現するのも聞かれます。第三者的視点にたって論じることは当然あるのでしょうが、「わが国」と表現すべきところでも使われていると思います。ナショナリズムにつながることを封じ込めてきた名残でしょう。

 平成19年(2007年)に安倍総理(当時)がインドに訪問して、チャンドラ・ボースの遺族に会ったことをマスコミは報道しませんでした。インド独立を日本軍が支援していたからです。戦争擁護、大東亜共栄圏につながるプレスコードにひっかかったのです。
 NHKや朝日新聞は支那、朝鮮批判には控えめでしょう。"シナ批判禁止"は現在では日中記者交換協定というものに変化して批判がかけないようになっています。
 以前、関門海峡で自衛隊の護衛艦と韓国船が衝突したとき、テレビニュースで大々的に報道しましたが、韓国側が全面的に悪いとわかると、報道を見事なまでにピタっとやめました。朝日新聞は犯罪を犯した朝鮮人は通名を使います。「北朝鮮」という呼び方も少し前までは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と長々しく書き、テレビでアナウンサーもそうしゃべっていました。「北朝鮮」と簡単に言えるようになったのは小泉首相(当時)に金正日総書記が、日本人の拉致を認めてからです。広島では北の核に極めて寛大でようやく最近になって批判が少しでてきたぐらいでしょう。

 「シナ」と呼ぶと差別だといわれるでしょう。石原都知事がそうよんでマスコミからバッシングを浴びていたことを思い出します。シナは英語のチャイナと同じなんですが、それは差別といわれないのです。「中国」というのは周辺の民族を野蛮人扱いして「東夷」「西戎」(せいじゅう)「北狄」(ほくてき)「南蛮」とよび自分の国だけを高い位にして呼ぶときの自称の言葉です。「東夷」は日本が含まれます。これはGHQプレスコードではなく、中華民国からの要請で、昭和21年(1946年)6月に公文書化されマスコミや学校から「シナ」の文字は消えました。ほんとは日本が「中国」と呼ぶのはおかしいのです。

 このように日本はまだまだGHQの呪縛から逃れておらず、マスコミは依然としてGHQの忠実なる下僕を続けているのです。



参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 WAC「渡部昇一の昭和史」(続)渡部昇一(著)
 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 文春文庫「閉ざされた言語空間」江藤淳(著)
参考サイト
 WikiPedia「プレスコード」「日中記者交換協定」「支那の呼稱を避けることに關する件」

添付画像
 東京都中央区築地にある朝日新聞東京本社 Auth:PRiMENON(CC)

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【絶対正義GHQ】
http://www.youtube.com/watch?v=wEpg_n_MiYY

共産党によるチベット人への悪魔の洗脳教育

子供の頃から洗脳されるチベット人。

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 いうまでもなく、チベットは中華人民共和国(中共)によって侵略されました。そして共産党政府はチベット人にチベットの伝統や文化はほとんど教えず、ダライ・ラマ法王を「国家分裂主義者」と批判しています。西蔵ツワンさんは日本でお医者さんになっていますが、子供の頃、洗脳教育を受け、その後父親に連れられて命がけでヒマラヤを越えて亡命してきた人です。

 西蔵ツワンさん
「前合わせのドテラを帯で巻きつけるようなチベット衣装を着て育った私たちには、人民服は目新しく、真っ赤なスカーフを首にまき、ワッペンをつけて得意になっていました。ワッペンは、ランクごとに一本線から三本線まであり、みんなランクの高い三本を目指して『アメリカ帝国主義反対!』『ダライ・ラマは国家分裂主義者』と競い合って叫ぶのです。私は二本でしたが、三本をつけているのは漢民族の子が多かった」

 プロパガンダ映画というのがあり、昭和34年(1959年)のチベット動乱のニュースフィルムでは中共軍が正義でチベットのお坊さんは悪で描かれていたといいます。満州事変の映画などは中共軍が戦って日本を追い出したことになっていたそうです。映画では悪いやつが出てくると石を投げたといいます。

 西蔵さんはそうしているうちに自然に洗脳されていき、インドに亡命した自分の父親も悪と思うようになったと述べています。

 ソナム・ドルカさんの証言 1967年生まれ
「学校には7年程、ラサの人民学校に通いました。授業はすべて中国語で行われて、生徒はチベット人しかいないというのに、学校でのチベット語の使用は固く禁止されていました」
「毛沢東が死んだ日のこともよく覚えています。どんな小さな子供でも皆毛沢東のことをよく知っていました。毎日、毛沢東を称える歌を歌い、毛沢東語録を暗唱させられていたからです。当日、子供たちは胸に白い花を挿(さ)して、葬儀に参加せねばなりませんでした。泣いていない子は『どうして泣かないのか』と言って先生から殴られました」

「先生に引率されて、ラサにある博物館に行ったこともあります。そこには、皆チベットが『封建社会』だった頃の展示物や写真がたくさんありました。一部の貴族が特権を独占し、民衆からの搾取によって私腹を肥やし、奴隷を虐待している様子。野蛮な刑罰を執行していた様子。そんな蛮行が人形となって並べられていました・・・先生はこう説明しました。『偉大なる中国共産党がチベット人たちを、野蛮な封建主義者たちから解放するまでは、民衆は常に虐げられ、苦しみ続けていた。・・・毛沢東主席のおかげで、今日、おまえたちはこうやって何不自由なく学校に行け、勉強することが出来るのだ・・・』」

 大人の場合も毛沢東や共産党がいかに素晴らしいかという思想教育の勉強会があります。街の広場では公開裁判や公開処刑が行われます。貴族や高僧たちを「われわれ解放軍がチベットに入る前、あなたは人民から搾取し、土地を奪いましたね」。抗弁は許されず、裁判官が判決を告げると立て札に漢字で罪名が書かれ、そのまま連れて行かれて、後頭部にズドンと一発、射殺されておしまいです。それまで敬ってきた高僧の死骸に唾を吐きかけるチベット人がいたといいますから、大人でも洗脳される人がいたのでしょう。あるいは踏み絵のように無理やりやらされていたのでしょう。

 平成8年(1996年)5月に中共の「愛国再教育」キャンペーンが着手され、チベットの僧侶や尼僧たちは政治的忠実を約束するため署名をするよう命じらています。そして、工作隊によって再編されたチベットの歴史と宗教を、何の疑いもなく承知するべきと命じられます。僧侶たちは秘密に監視され2,827名がそれぞれの寺院や尼寺から追い出され、165人が逮捕され、9人が死亡し、35人は自主的に寺院を去りました。工作隊は、「ダライ・ラマの悪事とチベット民族主義の弊害」を教え込むのです。

 大人や僧侶の場合は、ある程度洗脳されたフリができますが、子供の場合は恐ろく、まともに洗脳されていきます。西蔵ツワンさんは昭和37年(1962年)の10歳のときに両親に連れられヒマラヤを越えて亡命しました。日本へやってきたのが昭和40年(1965年)13歳のことで、ここでようやく共産党から受けてきた教育が、いかに強烈なプロパガンダだったか、「反ダライ・ラマ」を刷り込まれたかを知って、洗脳から解かれたのでした。




参考文献
 「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子編
   『私が体験した”洗脳・密告・公開処刑”』西蔵ツワン
 扶桑社新書「中国が隠し続けるチベットの真実」ペマ・ギャルポ(著)
参考サイト
 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
   チベットにおける「政治思想教育」 http://www.tibethouse.jp/human_rights/human21.html
   チベットでの中国の存在と人権の侵害- 意見と表現の自由 - http://www.tibethouse.jp/human_rights/human09.html
 チベットでの中国の存在と人権の侵害-宗教の自由- http://www.tibethouse.jp/human_rights/human08.html

添付画像
 チベットのこども 2009年 Author:Antoine Taveneaux

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チベット尼僧 焼身自殺で必死の訴え
http://www.youtube.com/watch?v=bpChB_cf6Z4

チベット同様に日本を侵略せよ!大中華侵略思想

中華人民共和国は侵略国家。

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 平成7年(1995年)、中華人民共和国(中共)の李鵬首相はAPECでオーストラリアのキーティング首相(当時)に「日本などという国は40年後には消えてなくなる」と発言しました。

北京週報(1989年2月21日)チベット独立論に反論する
「周知のように中国は昔から一つの多民族国家である。(中略) いまの中国は中国領土内に生活する多民族(現在生活している民族および歴史上存在していた民族含めて)がともに築き上げたものである。
 元朝の中国統一は、中国各民族人民の政治、経済、文化の発展に大きく貢献した。蒙古族の支配者が中国統一のために進めていた国内民族統一戦争を、外国民族による征服と考える観点が間違っているのは、中国が多民族国家であるというこの基本的な歴史的事実に背を向けているからである。蒙古族が中国を統一して元朝を建立したことは、その後満州族が中国を統一して清朝を建立したのと同様に、いずれも中国国内の支配民族の交代であり、蒙古人または満州人が『中国を征服した』という問題は存在しないのである」

 これが漢民族の歴史観、国家観です。かつて1911年の辛亥革命のときは中華民国は漢人を植民地支配から解放することを目指しましたが、清朝の版図を継承するため「中華民族」という概念をつくったのです。そしてそれをもとに侵略を正当化してきたのです。中共は社会主義イデオロギーから民族主義は否定しましたが56もの民族を統合、融合する必要に迫られ、大中華民族主義を掲げているのです。

 大中華民族に日本民族は含まれていません。が、ちょっとここで志賀島で発見された「金印」のことを考えなければなりません。「漢倭奴国王」と刻まれていますが「倭」はコビト、「奴」は奴隷のことです。これは冊封体制というのがあり、周辺諸国の王が支那の朝廷に貢物を納め皇帝から王に封じてもらい、その権威で国を治めていたものです。古代日本もその例外でなく、起源57年に朝貢して印綬を与えられたものがこの金印です。そしてその冊封から脱却できたのは聖徳太子の優れた外交戦略によるものです。ここで初めて日本は「天皇」という言葉を使います。

 従って中共の途方もない侵略の正当化を考えれば日本は歴史的にシナに隷属していた時期があり、大中華民族の僕になるのを正当化されてもおかしくない話なのです。中共の要人は来日するたびにわざわざ九州の福岡市博物館に金印を見にいきます。冊封関係の歴史を確認しているのです。平成4年(1992年)に天皇陛下に印章を贈呈しようとしたのも冊封関係をなぞらえたからです。

 「日本などという国は40年後には消えてなくなる」というのは中共のたわごとではないのです。かれらの考えていることは大中華思想からくる侵略です。そして日本は徐々に侵略されてきています。支那のことを「中国」と呼ばされていることは既におかしいでしょう。東夷、西戎、南蛮、北狄の野蛮人を教導するのが「中国」です。東夷は日本です。「中国」と呼んで宗主国をあがめろ、と戦後強要されたのです。民主党政権が進めようとしている「外国人参政権」「1000万人の移民」・・・中共国籍者が日本の内政に干渉するということです。夫婦別姓は中共への同化の一つです。民主党政権が掲げていた日本の主権を国連に移譲、共有するということなども国連の常任理事国に中共がおり、拒否権を持っていますから、日本の主権を中共が持つという意味です。東アジア共同体も同様の考え方です。中共の軍事的戦略区の東部戦略区には沖縄が既に中共の領土として組み込まれています。我々は日本が侵略されてきていることに気付かなければなりません。放置すればいずれ日本もチベットと同じ運命をたどります。


参考文献
 文藝春秋「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子(編)
   『胡錦濤への聖火は許せない』櫻井よし子
   『シナ人は如何にして侵略主義者となったか』酒井信彦
 扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄(著)
 小学館「天皇論」小林よしのり(著)
 朱鳥社「続・日本人が氏ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 産経新聞社別冊正論Extra.15「南西諸島が、台湾が危ない!・・・」平松茂雄
参考サイト
 WikiPedia「中華思想」

添付画像
 中国から流出したとされる、2050年の日本の地図
 村上よしあき・オフィシャルブログより http://ameblo.jp/yocchi-mura/entry-10412544514.html

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止まらぬチベット民族の焼身自殺
http://www.youtube.com/watch?v=4MU0E2iYAuw

ウソの歴史でむしり取られる国民の財産

国会議員が外国のために日本国民の財産をむしりとろうとしている。

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 民事裁判では国が一方の当事者である時は、国は政府が対外的に宣明した立場や方針に拘束されます。たとえ訴えが事実ではなくとも裁判では国の代理人(弁護士)は政府の見解と異なる主張をすることはできません。「従軍慰安婦訴訟」や「強制連行訴訟」「勤労挺身隊訴訟」に関して「河野談話」「村山談話」がある限り、何も反論ができません。反論ができなければ「当事者主義」というのにもとづいて原告が正しくなくても言い分が通ります。このたぐいの訴訟のニュースを見ればわかるでしょう。しかし、原告側が敗訴になっているのは「国際法上、個人が直接外国に対して戦争被害の損害賠償を請求することはできない」というのがあるからです。

 国際条約が効力を発揮することもあります。平成11年(1999年)に米のカリフォルニア州で「南京大虐殺」の謝罪と損害賠償を求める決議が行われ、カリフォルニア州地裁も同様の判決を下しました。この頃、アメリカでは日本企業を標的にして100兆円に及ぶ請求訴訟が提起されていました。被告の日本企業は28社、原告は戦時中の元米国兵捕虜、在米国シナ人、韓国人らです。これらは米国連邦高裁はサンフランシスコ講和条約によって賠償問題は解決済みであるとし、州地裁判決を破棄しました。100兆円などとは実に危ないところでした。

 村山談話などは「国会での謝罪決議」を本日は採択しない、とウソを流しておいて、土井たか子議長が会議再開のベルを鳴らし、山崎拓氏が提案し、256名の議員の欠席者を出したまま可決したところから始まっています。そして、村山首相は事前の説明なしに「村山談話」を発表しました。村山富一、土井たか子、山崎拓は歴史的大罪を犯しています。国家反逆罪と言っても過言ではありません。

 「従軍慰安婦」という韓国問題は、作家の吉田清治が昭和18年(1943年)に済州島で「慰安婦狩り」があったといい、ウソがバレると落ち着くはずでしたが、当時の官房長官・河野洋平が慰安婦強制連行について強制を示す公文書は見つかっていないし、客観的史料もないにも関わらず、曖昧に強制の事実を認めるような談話を発表しました(河野談話)。これは後に副官房長官だった石原信雄氏が暴露していますが、"強制"を認めれば、慰安婦問題は未来永劫持ち出さないとする韓国との密約外交でした。密約など何も証拠は残らないし、一旦認めれば未来永劫"ゆすりたかり"をするのが韓国のやり方です。宮沢喜一、河野洋平は大馬鹿ものです。歴史的な大罪をおかしています。これも国家反逆罪です。そして現在では韓国の日本大使館前に慰安婦像が設置されたり、アメリカのアイゼンハワー公園に慰安婦の石碑がたてられるという事態にまでなっています。河野洋平は腹を切って国民に謝罪すべきです。

 現在のところ、国際法や国際条約によって日本国民の財産は守られているように見えますが、反論できないことにより事実認定されたとしてデマゴギーがまかり通るようになっています。その結果、政治的に何らかの形で日本国民の財産はむしりとられていっています。非公式ではあるものの補償を口走るようなルーピー総理や歴史の捏造歪曲である「菅談話」を語るコリアン総理が現れたかと思うと、外国人へバラマキ可能な「子供手当て」を創設したり、朝鮮学校の無償化を推し進め、朝鮮王室儀軌(ちょうせんおうしつぎき)を引き渡し、そして日韓通貨スワップの拡充、韓国債の購入案・・・など続々と国民の財産はむしりとられていっています。



参考文献
 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 文藝春秋「日本よ、『歴史力』を磨け」櫻井よしこ(編)
 徳間書店「歴史を偽造する韓国」中川八洋(著)
添付画像
 河野洋平 原典Flickr: Japan, April 2008 Auth:Cluster Munition Coalition(CC)

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「卵管を根元から引き出したときの苦しみといったら・・・」チベットでおこっている悪魔の民族浄化政策

中共はチベット民族の抹殺を画策しているのか。

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「卵管を根元から引き出したときの苦しみといったら・・・耐え難いものでした。」

 チベット人女性が無理やり不妊手術を受けさせられた話です。麻酔など使わず、卵管を引っ張り出し、切除して縫い合わせる手術をされたのです。手術後は痛み止めのアスピリンを渡されただけで翌日には自分の面倒を自分で看、必要な点滴も自分で買わざるを得なかったそうです。これは英国のテレビ局チャンネル4が平成20年(2008年)3月以降にチベットへの潜入取材を決行し放送したもので、ジャーナリストの有本香さんはこの女性の体験は「最近の話ではないか」と分析しています。チベットの女性たちが、中共の当局によって不妊手術をさせられたり、避妊具の装着を強制されたとの話は以前より多くの亡命者が語っています。

 平成元年(1989年)2月26日付のワシントンポストに次のような目撃証言が掲載されました。
「"人口抑制隊"は僧院の隣にテントを設営した。村人たちは『すべてのチベット人女性は中絶と避妊手術を受けるためにテントに出頭するように。出頭しなければ重大な結果を招くことになるであろう』との連絡を受けた。拒絶した女性たちは強制的に連行され、手術された上、術後の処置も受けられなかった。妊娠数ヶ月になる女性たちは胎児を摘出された。たくさんの女の子たちが泣き叫んでいた。テントの横には胎児が積み重ねられ、異臭を放っていた」

 男性の場合はパイプカットという手間のかかる手段は良いほうで、性器そのものを切断する方法もあるといいます。支那では宦官が長く存在したせいか性器を切り落としてもなんら憐憫はわかないといいます。
 ラサ蜂起当時のIJC(国際司法委員会)のレポートによると28歳の小作人はアムド地方に派遣されてきた7人の医師たちに、頭をよくし、背を高く、体を丈夫にするための特別な治療を施すと告げられました。支那人医師たちは村人全員にこの治療を受けるように命じ、背いた者は殺されると伝えました。小作人は服を脱いでカウチのようなものの上に横にならされ、先に小さな鉤(かぎ)状の何かが付いた鉗子(かんし)のようなものを尿道へ挿入され、小作人はあまりの苦痛で意識を失いました。
 また、生殖器の検査と治療を受け、退院した後も一ヶ月間、家で寝ていたという23歳の男性の報告もあります。
「この治療を受けた後、彼は性欲が一切なくなり、妻と一緒に暮らしていたが一年間まったくセックスをしなかった。また、頭がボンヤリするようになり、自分の家に戻ろうとして間違って他人の家に行ってしまうこともあった。なお、同じ治療を受けた友人の一人は5ヵ月後に死亡した」

 中共は漢民族をチベットへ大量移住させ、行政も経済も漢民族が握っています。現在、チベットでは、チベット人600万人に対し、支那人は750万人で支那人のほうが多くなっています。チベット人との経済格差は広がり、チベット人の若者は働き口もなく結婚もままならないのでチベット人女性は漢民族の官吏に嫁ぐケースも少なくないといいます。無理やり離婚させられ支那人に囲われたり、強姦によって支那人の子を宿すケースも少なくないそうです。

 チベットでは住民20人に1人の割合で軍人が駐留しています。平成21年(2009年)4月には駐留する軍人の数は倍に増やされたという情報もあります。この監視のもと、チベットの悪魔の民族浄化政策は着々と進められているのです。



参考文献
 WiLL2009・12『中国の悪魔の所業 チベット民族浄化政策』有本香
 オークラ出版「チベット大虐殺の真実」
   『シナチズムという民族浄化』若杉大
 扶桑社新書「中国が隠し続けるチベットの真実」ペマ・ギャルポ(著)
参考サイト
  ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
     現在のチベットの状況 http://www.tibethouse.jp/situation/index.html#03
     産児制限と中絶・不妊手術の強制 http://www.tibethouse.jp/human_rights/human34.html

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 チベット人アバ四川省 Author:Jialiang Gao www.peace-on-earth.org

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マスコミが報道しない大乱闘シーン! IN長野駅前1/2 Beijing Olympic Torch in Nagano
www.youtube.com/watch?v=tJCinEN6eds

チベット大虐殺に沈黙する平和・人権団体

日本の平和・人権団体は似非だった。平和を叫ぶ広島人はどう思うか?

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 外出しても、何を叫んでも、殺されないこと

 これがチベット人が望んでいる「自由」であり、この声を日本の平和団体、人権団体はどう捉えているのでしょうか。

 平成20年(2008年)3月10日、チベットのラサで僧侶や尼僧を含む10人がチベットの旗を振り、ビラを配っていたところ、中共の武装警官がやってきて殴るなどの暴力で制圧しました。同日、300人規模のデモも行われましたが、これも数千人規模の武装警官に封じ込まれ50人以上が拘束されました。これを受けて翌日には600人規模のデモとなりました。14日、僧侶を中心とする数十人が座り込みの抗議活動をしていたところ、武装警官が僧侶たちに殴る蹴るの暴行を加え、数人の死者がでてしまいます。そして怒ったチベット人たちによる大規模な騒乱に発展していきました。中共政府はラサ市内に戦車や装甲車まで投入してデモを鎮圧し、大きな寺院を包囲して、事実上の戒厳令を敷きました。しかし、激化する運動は四川省や青海省、甘粛省に波及していきました。この騒乱の中共の弾圧によって多くのチベット人が命を落としました。正確な犠牲者数は不明ですが、少なくとも100人は犠牲になったと言われています。

 このラサの騒乱での中共政府のチベット人弾圧と虐殺について日本の平和団体、人権団体は一様に沈黙を守ったといいます。ジャーナリスト野村旗守氏の記事をみると3月18日になってようやくアムネスティー・インターナショナルの日本支部が中共大使館宛に抗議書簡を送ったとのことです。3月26日に日本ペンクラブ「チベットの事態を憂慮し、言論表現の自由と人権の尊重を求める」という声明を出すに留まっています。ピースボートは4月3日になってようやく声明。なんとも鈍く、アリバイ作りの匂いがします。

 野村氏によるとその理由について日本ペンクラブ「(協議の)時間的に余裕がなかった」「声明は日本国内問題に対して行われることが多く、慣例的に諸外国の事件に対しての発信はあまりおこなっていない」という答えが返ってとのことです。ペンクラブはアフガンの空爆では会長名で積極的に厳しい声明を出していたにも関わらずです。時間的に余裕がないのであれば、今後、会長名でチベット問題について声明を発表するつもりはあるのか?と問うたところ、「その予定はない」という回答が返ってきました。このほか、米兵や自衛隊の不祥事やイラク問題、中東問題にはガンガンに声をあげる日本国民救援会、自由法曹界、九条ネット、日本ジャーナリスト会議、バウネット・ジャパンは沈黙したと述べています。更に、ジャーナリスト水間政憲氏の記事でも反戦共同行動、反戦アクション、ストップ「報復」戦争・市民の会も沈黙したとあります。

 平成7年(1995年)に北京女性会議というのが行われ、亡命チベット人女性がチベットにおける迫害状況を紹介し、世界に伝えて欲しいと強く訴えました。チベット人女性の政治囚に対する激しい拷問は電気棒を用いて性的な拷問を加えるやり方ですから、初めて知った人たちは衝撃を受けたことでしょう。ところが、自由チベット協議会代表の酒井信彦氏によると、この会議は外国人5000人が参加しましたが、日本女性たちはチベット人女性の声を冷淡に無視したと述べています。たまたま会議に参加してチベット問題を初めて知りショックを受けた日本女性が、チベット人の声を日本で伝えようとしたら、周囲の妨害にあったといいます。

 現在進行形の大虐殺、世界を震撼させる現代版ホロコーストに申し訳程度しか声を出さない、あるいは沈黙するこれら平和団体、人権団体が平和や人権を守るためではなく、別の目的で動いていることは明らかでしょう。



参考文献
 オークラ出版「チベット大虐殺の真実」
   『日本の人権団体は黙ったままか』野村旗守
   『日本=チベット化の跫音が聞こえる』水間政憲
 文藝春秋「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子(編)
   『国境あり人権団体のチベット女性見殺し』酒井信彦
 扶桑社新書「中国が隠し続けるチベットの真実」ペマ・ギャルポ(著)
添付画像
 チベットの若い僧侶 Author:onwardtibet.org

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チベットでの衝突 真の元凶は
http://www.youtube.com/watch?v=N9ewtLNtoeY


なぜ中共はチベットにこだわるのか

チベットは資源が豊富。

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 昭和16年(1941年)9月、英領インドの解放工作のために日本陸軍藤原岩市少佐以下10名程からなる特務機関が作られました。F機関といいます。桐蔭横浜大学のペマ・ギャルポ教授はこの藤原岩市少佐に戦後の昭和45年(1970年)に会ったことがあると述べています。藤原氏の自宅にいくと大きな世界地図があり、そこにはチベットの河の河川すべてに線がひかれていて、河川の深さや流れのスピードを測ったり、水量などを計測した数値が事細かに書き込まれていたと述べています。これは何のためなのかと聞くと「チベットにアジア全体に供給できるような水力源を作る考えがあったんだ」と述べたそうです。

 中共がチベットにこだわる理由の一つにこの「水」があるといわれています。インドシナに流れるメコン河、サルウィン川、インドのガンジス川、パキスタンのインダス川とアジアのほとんどの大河がチベット一帯をを水源としています。チベットを押さえることはアジアの蛇口を握ることなのです。命綱を握った上で、ラオス、タイ、ミャンマーの国境「メコンデルタ経済圏」へ投資して経済支配権をとっていこうとしています。また自国の膨大な水の需要をまかなうことも必要であり、雲南省に多くのダムを建設しています。

 それからチベットには莫大な資源が眠っいます。126種の鉱物の存在が確認されており、リチウム、クロム、銅、哲の埋蔵量は世界的に見ても有数だといいます。アムドには油田もあり、ガス田も眠っているといいます。鉱物資源のほか森林資源もあります。しかし中共人には山をもとに戻すための植樹という考えがないらしく、山が丸坊主になれば次を探すという行動パターンのようで、この森林伐採は深刻な環境問題になっています。森林を伐採しすぎると土砂が河に流れ出し、堆積し河底が上昇して洪水がおきやすくなります。中共で、しばしば河川の氾濫があるのは行き過ぎた森林の伐採が原因と言われています。また、森林の伐採は動物の生態系を崩し、ジャイアントパンダなどの希少動物が絶滅してしまう危険を生んでいます。

 あと良く知られているのが軍事拠点としての天然の要塞となりうることと、増えすぎた中共の人口の受け入れにすることがあります。そして今では観光の収入も欠かせないものとなっています。チベット自治区に訪れた旅行者は平成19年(2007年)には400万人を突破(前年比60%増)となりチベットの地域のGDPの70%を占めるといわれています。そしてそこに民族融和政策の「ショーケース」として政治的な利用価値があるのです。それから奪った財宝で「大チベット展」を開き、収益を得て、「チベット文化を大切に保護している」とアピールしています。これに加担しているのが朝日新聞とTBSです。

 さらにチベットは核廃棄物の投棄場になっています。その管理はずさんなもので、安全性の確保は10年しか保証されていないといいます。このため風化作用によって地下水が汚染されていき、その水が飲料や灌漑用に使用されていくのです。中国国家環境保護局は「1980年から1985年に1200人が放射能により健康を害し、20人が死亡した。放射能が漏れたことへの責任は、放射性廃棄物処理の規則に従わなかった管理者にもあるだろう」と発表しています。工場が排出する汚染水もひどく支那人は通告を受けて水を飲まないようにしているのに対し、チベット人は何も聞かされておらず、汚染された水を飲み続けているといいます。

 アジアを支配できるチベットの水、地下資源、森林資源、軍事拠点、観光収入、興業収入、増えすぎた人口の受け皿としての土地、核廃棄物の投棄場・・・中共にとってチベットはどうしても手放せないのです。それでも開発によりチベット人が豊かになればまだ良いのですが、漢民族が搾取しているのが実体なのです。



参考文献
 オークラ出版「世界に愛された日本」『チベットと日本の百年の友情』ペマ・ギャルポ
 祥伝社「チベット問題を読み解く」大井功(著)
 WiLL2009・12『中国の悪魔の所業 チベット民族浄化政策』有本香
 扶桑社新書「中国が隠し続けるチベットの真実」ペマ・ギャルポ(著)
参考サイト
 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
   環境問題 Environment 森林 http://www.tibethouse.jp/enviroment/envi01.html
   「聖地チベット ~ポタラ宮と天空の至宝~」展に関して日本の皆様へのお願い http://www.tibethouse.jp/news_release/2009/090928_appeal.html
 WikiPedia「特務機関」

添付画像
 チベット、金箔をかぶせた青銅、サンフランシスコのアジア美術館(PD)

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中国がチベットを手放せない理由
www.youtube.com/watch?v=xWql0K8pI0o


パンチェン・ラマ

拉致されたパンチェン・ラマ。

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 パンチェン・ラマをご存知でしょうか。チベットの高僧です。ダライ・ラマがチベット人にとって「太陽」であるのに対してパンチェン・ラマは「月」であり、阿弥陀仏の化身と言われています。

 昭和25年(1950年)より中華人民共和国(中共)はチベット侵略を開始しました。中共はパンチェン・ラマ10世を利用してダライ・ラマ14世との対立構造をつくろうとしました。侵略の開始に先立ち、パンチェン・ラマ10世を利用して「チベット解放」はパンチェン・ラマから毛沢東への要請という形にしたのです。そして中共はパンチェン・ラマ10世を確保し続けました。

 パンチェン・ラマ10世は最初はチベットには改革が必要だと思っていました。ところがダライ・ラマ14世がインドに亡命した2年後の昭和36年(1961年)、中共の国内の視察にいくと、中共はやっていることと言っていることが違うということに気づきます。そして昭和37年(1962年)、パンチェン・ラマ10世は毛沢東に7万言の意見書を提出し、中共政府の政策を批判しました。このため投獄され、80年代まで軟禁状態にされます。

 昭和39年(1964年)、中共はパンチェン・ラマ10世にダライ・ラマ14世を批判させようと企みました。そしてラジオで演説させようとしたところ、パンチェン・ラマ10世は原稿を無視してマイクに向けてこう語ったのです。

「私は一日も早くダライ・ラマ法王が玉座に戻り、そのもとでチベット民族が繁栄することを希望しています。ダライ・ラマ万歳」

 パンチェン・ラマ10世は昭和54年(1979年)に漢民族の女性と結婚し、一女をもうけます。中共は「チベット族と漢族の架け橋」と宣伝します。パンチェン・ラマ10世の派の僧は結婚してはならないことになっていましたから、中共の謀略です。
 パンチェン・ラマは恥辱にまみれながらも文化大革命で破壊されたチベットの寺院の再建に力を尽くします。中共はダライ・ラマとパンチェン・ラマの関係を悪化させようと企みますが、昭和60年(1985年)、モンラム祭をラサで祝う集会の席で、パンチェン・ラマはこう語っています。

「ダライ・ラマ法王と私は、精神的な絆で結ばれています。法王と私は一心同体なのです。世の中には私たちを対立させようともくろんでいる人がいるようですが、それは無駄な骨折りです」

 昭和62年(1987年)3月、北京で開かれた全人代チベット自治区常務委員会において、パンチェン・ラマは、教育、経済開発、移住、チベット人への差別待遇などについて、中共政府のチベット政策をあからさまに批判します。
 平成元年(1989年)1月24日には、中共によるチベット支配をシガツェで再度非難し「チベットは中共から得た恩恵よりも中共によって失ったもののほうが大きい」と述べます。このときも中共政府が用意した演説原稿を無視して演説したといわれており、この歴史的な反中声明を出してからわずか4日後、パンチェン・ラマ10世は謎の死を遂げました。

 パンチェン・ラマ10世の死後、チベット人僧侶によって平成7年(1995年)に後継者の6歳のニマ少年を探し出し11世を認定します。しかし中共政府は別の少年を転生者として11世としたのです。平成20年(2008年)のチベット騒乱で「愛国的メッセージ」を述べたのは中共の造ったパンチェン・ラマであり、本物のパンチェン・ラマは中共によって両親と共に隔離されています。その生死は現在も不明です。



参考文献
 祥伝社「チベット問題を読み解く」大井功(著)
 文藝春秋「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子(編)
   『中国に操られた朝日のチベット報道』酒井信彦
 扶桑社新書「中国が隠し続けるチベットの真実」ペマ・ギャルポ(著)
参考サイト
 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
   パンチェン・ラマ10世 http://www.tibethouse.jp/history/panchen_lama.html

添付画像
 パンチェン・ラマ9世 1900年(PD)

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チベットにおける中国軍の蛮行
www.youtube.com/watch?v=hTKNENM2WoQ

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