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東京裁判が創られた経緯

偽善欺瞞、文明の抹殺、それが東京裁判。

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 昭和20年(1945年)8月30日、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは厚木飛行場に降り立ちました。そして横浜のホテルに着くと対敵諜報部長のソープ准将を呼びます。

「東條を逮捕させ、監禁させろ!ただちに戦犯名簿を作成せよ!」

 東京裁判(極東国際軍事裁判)は戦勝国が作った事後法によって裁くというインチキ裁判ですが、意外なことにマッカーサーは「事後法」の発想などなく、宣戦布告なしに戦争を開始した行為など戦時法や国内法が念頭にあり、その後も「平和に対する罪」「人道に対する罪」には反対していました。つまりマッカーサーの意思に反してワシントンからの指示があったということです。

 昭和20年(1945年)11月7日マッカーサーから副参謀長に命じて作らせたメモランダムの一部
「もし我々が『戦争犯罪人』というはっきりしない表現の下に誰かを捕らえ監禁しながら、裁判なしに釈放してしまうような結果となったら、後世から見て擁護のしようもない立場に置かれかねない。現在の国内、国際規約に反するような行動は、将来にとっての危険な先例となりかねない・・・」

 昭和19年(1944年)に入って、米国では戦争勝利後を見越して「戦後委員会」を組織。このときに日本に課すべき条件として戦争犯罪を犯したとするものを逮捕することが述べられます。しかし、「戦争犯罪」は定義されていませんでした。一方、ナチスに対しては「共同謀議」という概念を取り入れ、裁判なしに即刻処刑することが提唱されています。この後、「極東小委員会」が立ち上げられ、対日政策はこの小委員会が具体案を練り、三省調整委員会(SWNCC)と大統領の裁可を経て連合国最高司令官に指示する形をとっていきます。
 昭和20年6月から8月にかけて「ロンドン会議」が開かれ、「ニュルンベルク裁判」の憲章が定められ、「平和に対する罪」「人道に対する罪」が定義されます。ここで極東小委員会の議論の中に以下のようなくだりがあります。

「極東では、ナチスのユダヤ人に対する行為のような組織的迫害は存在しなかった。日本の従属国に対する政策は、奴隷化や絶滅を究極とする征服や人種優越を指向するものではなく、少なくともある部分は『白人の搾取』からの『解放者』で、『護民官』としての日本に対する忠誠の絆によってすべての極東アジア人を結束させようと努める政策を指向していた」

 ほう、米国が、と思います。少なからず普通の常識的認識です。しかしながらこの後は強引にニュルンベルクと同様の採択がとられます。政治的な動きがあったと思われます。これに対してマッカーサー配下の法務担当者は「厳密には、戦争犯罪としては知られていなかった行為を含めることはヨーロッパにおける合意(ロンドン会議を指す)の革命的な特徴だ」と皮肉っています。こうして東京裁判は創られました。

 C・A・ウィロビー将軍(米GHQ参謀第二部長)
「この裁判は歴史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、自分の息子には軍人になることを禁じるつもりだ。日本がおかれていた状況と同じ状況におかれたならば、アメリカも日本と同様に戦争に訴えていたに違いないと思うからである」

 東京裁判判事・インド法学者パール博士
「勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行うことは敗戦者を即時に殺戮した昔のわれわれの時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである」

 東京裁判は欺瞞と偽善、そして文明の抹殺だったのです。



参考文献
 新潮選書「創られた東京裁判」竹内修司(著)
 新潮45 2009・9「東京裁判はいかに創られたか」竹内修司
 小学館文庫「パール判事の日本無罪論」田中正明(著)
  中公文庫「東京裁判とその後」B・V・A・レーリンク/A・カッセーゼ(編/序) 小菅信子(訳)
  WAC「日本は侵略国家だったのか 『パル判決書』の真実」渡部昇一(著)
添付画像
  ダグラス・マッカーサー(PD)

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日本兵がマッカーサーに敬意を表して背を向けて立っていた。
http://www.youtube.com/watch?v=vuB1n6JcTgI

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