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歴史を変えたマレー沖海戦

有色人種でもやればできるという自信を与えた。

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 昭和16年(1941年)12月8日、日英開戦。日本軍はマレー半島のコタバルに上陸します。マレー半島はイギリスの植民地でした。9日、最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を旗艦とするイギリス東洋艦隊主力Z部隊は日本船団を攻撃するため出撃します。日本軍の伊号第六十五潜水艦がZ部隊を発見。日本第一航空部隊が索敵に出動しましたが、この日は天候が悪く補足できませんでした。

 10日、朝から再び第一航空部隊が索敵攻撃に出撃します。11時13分、元山空が駆逐艦「テネドス」を発見。ついで「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパルス」を発見します。美幌空の96式陸攻8機、元山空の96式陸攻16機、鹿島空の最新鋭機一式陸攻26機が爆撃、雷撃を加えました。

-「空の少年兵戦記」(昭和18年10月 GHQ焚書図書開封3より)-----
 敵は真下だ。艦橋や甲板の上から、見張り員が眼鏡で上を見ている。我が機が爆弾を投下したと見れば、大急ぎで変針して避けようというのだ。
「用意、打テッ!」
 指揮官機から命令が来た。窓から見ていると、爆弾は黒い尾を引いて刻々に小さくなりながら、敵艦に吸いつけられていく。敵艦はジグザグに蛇行しながら逃げ回る。
 弾着を見届けなければならない。敵の戦闘機、そんなものはお構いなしだ。俺は窓に頭を突っ込んむようにして覗いていると黒い煙が上がった。艦尾の左舷に命中したのだ。
    (中略)
 俺たちが第二撃目に移った頃は、すでに味方の雷撃隊が肉迫していて、敵は気息奄奄(きそくえんえん)と言った形だった俺たちが帰途についた時だ。レパルスだか、ウエルズだかわからなかったが、戦艦が一隻、我が雷撃隊の挟撃を受けていた。雷撃隊は右から左から左から右から、入れ代わり立ち代り攻撃していた。
    (中略)
 魚雷は白い航跡を描いて追いかけている。中(あた)るか?中ってくれ!ひやひやしながら見詰めていると、水煙があがった。黒煙もあがった。一緒だったかもしれぬ。はっきりと命中するのが見えたのだ。思わず喝采を叫んだよ。

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 レスパルスは午後2時20分轟沈。プリンス・オブ・ウェールズは午後2時40分に轟沈しました。これまで「作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることはできない」というのが常識でしたが、それを覆し、世界の海軍戦略である大艦巨砲主義に影響をあたえました。戦略的なものだけでなく精神的な面でも世界に大きな衝撃を与えています。

 イギリス首相チャーチル
「12月10日、私の部屋で電話が鳴った。それは軍令部長であった。彼の声は変だった。咳をしているようでもあり、こみあげてくるものをこらえているようでもあり、はじめは明瞭に聞き取れなかった。『総理、プリンス・オブ・ウエールズとレパルスが、両方とも日本軍に沈められたことを報告しなければなりません・フィリップス(極東艦隊司令長官)は水死しました』『その通りかね』『全く疑う余地はありません』私は受話器を置いた。私はひとりきりであることが幸だった。戦争の全期間を通じて、私はそれ以上の衝撃を受けたことがなかった」

 インドの元大統領であるラグ・クリシュナン 昭和44年(1969年)時
「(イギリスの植民地であった)インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは、想像もできなかった。それを、我々と同じ東洋人である日本が見事にも撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって、東洋人でもやれるという気持ちが起きた

 イギリスの歴史学者であるアーノルド・J・トインビー 毎日新聞 昭和43年(1958年)3月22日付
「英国最新最良の戦艦二隻が日本空軍によって撃沈された事は、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。何故なら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のヴェトナムに明らかである」

 プリンス・オブ・ウェールズの撃沈は白人にとっては悲痛な出来事でしたが、アジアのマレー人、タイ人、インドネシア人、インド人は飛び上がって喜び、白人は絶対ではない、有色人種でもやればできる、という自信を与えたのでした。



参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封3」西尾幹二(著)
  展転社「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助(編)
  学研「帝国海軍 太平洋作戦史Ⅰ」
  展転社「アジアに生きる大東亜戦争」ASEANセンター(編)
参考サイト
  WikiPedia「マレー沖海戦」
添付画像
  日本軍機の猛攻撃を受け轟沈するプリンス・オブ・ウェールズとレパルス(PD)

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マレー沖海戦「攻撃」 Sinking of Prince of Wales and Repulse 3/3 - Attack http://www.youtube.com/watch?v=vE6_s1Tg0Ps

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02.大東亜戦争・マレー・シンガポール」カテゴリの記事

コメント

そのマレー沖海戦により歴史を変えてしまったせいで、
戦艦武蔵・大和が大した戦果を上げられずに撃沈されてしまうとは
なんとも皮肉な話ですよね……。


えんどーさん、コメントありがとうございます。

そうですね。大鑑巨砲時代の終わりを日本軍自ら教えてしまっちゃいましたね。

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