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32.憲法

大日本帝国憲法作成に関わったユダヤ人

大日本帝国憲法もGHQ憲法もユダヤ人がかかわっていた。


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 大日本帝国憲法は伊藤博文らがドイツにいきプロイセン憲法を手本にして作成したものです。伊藤博文はビスマルクに会い、ベルリン大学の憲法学者ルドルフ・フォン・グナイストの講義を受けます。グナイストはローマ法の教授だったことがあり、行政実務の経験もあり、イギリス法にも精通しており、かなりの人物でした。
 グナイストはユダヤ人です。弟子にアルバート・モッセという人がおり、この人もユダヤ人で伊藤への講義はモッセも受け持っています。

 アルバート・モッセは明治19年(1886年)に日本に招かれて4年にわたり滞在しました。モッセは憲法の起草を手伝っただけでなく、市、町、村、郡、府など近代的な行政区画単位を制定するのにあたっても助言して大きな役割を果たしました。

 モッセは日本に魅せられて日本を深く愛するようになります。ドイツ帰国後、以下の詩を書いています。

    私は日本人を心から深く愛する。

    日本の風土を心から愛する。

    まるで、わたしにとっては母国のように思われる。

    日本での仕事は、毎日、忙しかった。

    だが、いつも日本人の笑顔によって囲まれていたから、快かった。

    そして、日本を去る日が巡ってきた。

    日本はすばらしい、身近な、大切な思い出として、片時だに忘れることができない。


 
モッセは1925年に生涯を閉じました。

 第二次世界大戦がはじまったころ、駐日ドイツ大使を務めたW・ゾルフの未亡人が、ベルリンの街でモッセの娘マーサに出会います。ワイマール時代に二人は日本関係のパーティでしばしば顔を合わせていたのでした。マーサはまもなくユダヤ人収容所に送られると語りました。そこでゾルフ婦人はその足で日本大使館を訪れ、マーサとその娘エバを保護するように訴えました。日本大使館はアルバート・モッセのことはよく知っていたので、ドイツ政府に特別な配慮を与えるように要請しました。このためマーサもエバも収容所に送られることなく、日本大使館からの食糧、医療の援助を受け、大戦を乗り切ることができました。

 ちなみに現在のGHQ憲法もユダヤ人が関わっています。ホロコーストを免れるために東京へきていたピアニストのレオ・シロタの娘ベアテ・シロタという人です。作曲家の山田耕作が一家を救い出して日本に招いていました。
  ベアテ・シロタさんは、GHQ民政局に通訳要員として採用され、ホイットニー准将はベアテさんをはじめ25人に9日以内に憲法を作るように命じました。ベアテさんは驚いて途方にくれたといいます。もちろん、骨子は決まっていましたが、細部のところや整合性などはここで共産主義者らが作成した憲法案や世界の憲法をもとにして25人の素人によって憲法が作られたのでした。実をいうとシロタさんはアメリカ共産党員でした。



参考文献
 WAC「渡部昇一の昭和史(正)」渡部昇一(著)
 徳間書店「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー(著)
 朱鳥社「日本人が知ってはならない歴史 戦後篇」若狭和朋(著)
参考サイト
  WikiPedia「アルバート・モッセ」

添付写真
  アルベート・モッセ(PD)

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大日本帝国憲法

大日本帝国憲法はどうやって生まれたか。

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 私が子供のころは「イチハヤク大日本憲法発布」と1889年に大日本帝国憲法が発布された年を覚えたものです。この憲法ができるまでの苦労話も何かで読みました。今は学校で近代史は駆け足で教えるそうなので、ほとんど語られていないのではないかと思います。

 明治7年(1874年)からの自由民権運動において、憲法議論が盛んになっていき、明治14年(1881年)10月12日に国会開設の勅諭が発され国会の開催を明治23年(1890年)に行うことが約束され、その組織や権限は政府に決めさせること(欽定憲法)を示しました。

 明治15年(1882年)3月、「在廷臣僚」として、参議・伊藤博文らは政府の命をうけて憲法について調査するためヨーロッパに渡ります。イギリスには明文化した憲法はないし、アメリカは共和制なので参考にならない。そこでドイツ系立憲主義の理論と実際について調査を始めました。伊藤は、ウィーン大学のロレンツ・フォン・シュタインに会いアドバイスを受け、ドイツでビスマルクに会い、ベルリン大学のルドルフ・フォン・グナイストを紹介してもらいます。ビスマルクは「ドイツの帝国憲法はたくさんの小さな国を集めて作ったものだから、日本の参考にはならないでしょう」と言ってドイツ憲法の前のプロシャ憲法が役に立つとアドバイスを受けました。そしてグナイストの講義を受けます。

 日本に戻った伊藤はグナイストと一緒に講義を行ったアルベルト・モッセ、ドイツの法学者ヘルマン・ロエスエルを招き、支援を受け、大日本帝国憲法を作成しました。

 大日本帝国憲法のちょっと不思議な点は「首相」も「内閣」もないことです。では内閣はどこで法的に決められているかというと憲法発布から4年前の明治18年(1885年)に太政官制を廃止して内閣制度が創設されています。そして伊藤博文が初代内閣総理大臣となっています。内閣総理大臣は誰が指名していたかというと元老院が指名していました。元老院の当初のメンバーは伊藤博文、黒田清隆、山県有朋、松方正義、井上馨、西郷従道、大山巌で後に西園寺公望、桂太郎が加わります。明治天皇の信任はあつく、これらの権威によって内閣が成り立っていたわけです。

 よく大日本帝国憲法は統帥権が問題になりますが、考えてみれば日清戦争、日露戦争も同じ憲法下、体制化だったわけで、日清戦争のときには派兵数について軍部は伊藤博文総理の指示は聞かず、独自に派兵数を決めています。司馬遼太郎著「坂の上の雲」では少ない派兵を唱える伊藤博文に対し、派兵数は参謀長が決める、と軍から言われて「憲法だな」と苦い顔をした、と書かれています。自分が憲法を草案したからです。

 統帥権は欠陥といわれますが、当初、内閣は元老の権威がバックにあり、軍部と均衡がとれていたといえます。しかし、元老がいなくなると憲法に定められていない内閣の権威が低下し、憲法に定められている統帥権が強くなり、軍部の意向が強く政治に反映されたということでしょう。ここで問題なのは戦後よく言われる「軍部が暴走した」などということではなく、オールジャパン体制になれなかったこと、ではないかと思っています。軍部と政府が一体化して強い外交戦略を描き、陸軍と海軍も一本にまとまるべきだったということです。全部バラバラでした。

 このほか、憲法発布直後にの明治23年(1890年)に教育勅語が発布されています。これは国民に深く浸透したので、国民精神を説いた憲法のようなものとなりました。



参考文献
 WAC「渡部昇一の昭和史(正)」渡部昇一(著)
 ビジネス社「日本国憲法無効宣言」渡部昇一・南出喜久治(共著)
 文春文庫「坂の上の雲」司馬遼太郎(著)
 徳間書店「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー(著)
参考サイト
  WikiPedia「ルドルフ・フォン・グナイスト」「ヘルマン・ロエスエル」

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  伊藤博文(PD)

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日本国憲法は無効

日本国憲法は憲法ではなかった。

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  現在の「日本国憲法」と呼ばれるものはGHQが作ったものです。1990年以降にワシントンの国立公文書館で、OSSの機密文書が再調査されたことにより、戦後の日本の政策はOSSというCIAの前身にあたるアメリカ戦略情報局による「日本計画」の流れの延長上にあります。このOSSの実体は共産主義者の巣窟で、第一条や第九条をはじめとするGHQ憲法の内容を含め、占領政策に多大な影響を及ぼしています。

  法律家、弁護士である南出喜久治氏は占領憲法(現、日本国憲法 GHQ憲法)は「憲法」としては「無効」である、と述べ、法的階説で言えば一番上位に帝国憲法が存在しており、次に占領憲法があり、そして一般の条約と法律があると論じています。つまり「占領憲法」=「GHQとの講和条約」であり占領を容易にするための中間的講和条約という実質を備えており、サンフランシスコ条約で占領が解かれたのだから復元しなければならないものの、全面否定はしない、としています。

  従来、占領憲法はハーグ陸戦条約の条約附属書第43条[占領地の法律の尊重]に抵触するので無効と言われてきました。

「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為、施し得べき一切の手段を尽すべし」


  しかし、南出氏はハーグ陸戦条約は大日本帝国憲法13条の一般条約大権に基づいて締結されているので、下位の規範にあたるとし、上位の帝国憲法の改正を無効とするのは論理の飛躍と矛盾があると指摘しています。

  南出氏の「無効論」は大日本帝国憲法(明治憲法)第七十五条に論拠をおきます。

  第75条 憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス

  これは摂政を置いているときは憲法を改正できない、とするものです。摂政というの天皇陛下に御不例(病気)があったというような場合に置かれるものです。占領期には摂政はいませんでしたが、この第七十五条は天皇大権を行使し得ない、そのような国家の予期しうる通常の変局時には憲法は改正できないというものですから、軍事占領下という天皇大権が行使できない、独立を奪われた異常下において、第七十五条が適用(類推適用)され、憲法改正はできないというわけです。つまり、憲法改正できないのだから占領憲法は憲法として無効になります。

  では占領憲法はどのような位置づけかというと憲法の直系としての法律ではなく「講和条約」の位置づけとしています。講和条約は国家存亡の折、国家を存続させるために、ある程度、憲法に抵触したとしても締結すべきもので、マッカーサー草案強要から政府原案の作成、国会審議の具体的経過を見れば、占領憲法というのはGHQの占領統治を容易にするための中間的講和条約という実質を備えています。ですから、全面否定しているわけではなく、占領憲法に基づいた法律がすべて無効になるというわけではありません。

  南出氏の「無効論」は私の感じる限り、このところ急速に認識され始めています。政治家でもこの無効論を支持する人が何人かいます。「改憲論」「自主憲法論」もありますが、占領憲法の「改憲」も「自主憲法」も憲法の正統性は保たれません。改正するのであれば明治憲法を改正すればよいのです。明治憲法は自主憲法であり、自主憲法論もその内容を明治憲法改正に向ければよいわけです。「護憲論」も占領憲法でよい部分があるというのなら、その内容を明治憲法の改正内容に向ければよいのです。

  日本国としての正統性、それを維持するためにまず行うことは明治憲法が「憲法」であり、占領憲法は「憲法」としては無効であり、講和条約あるいは占領基本法の位置づけであることを認識することでありましょう。急速に認識されだした「無効論」、近いうちに大きなことが起こるかもしれません。



参考文献
  ビジネス社「日本国憲法無効宣言」渡部昇一・南出喜久治(共著)
  総和社「日本は憲法で滅ぶ」渡部昇一(監修)
  展転社「戦後日本を狂わせたOSS日本計画」田中英道(著)
参考サイト
  WikiPedia「ハーグ陸戦条約」
  国立国会図書館 大日本帝国憲法 http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html

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  ダグラス・マッカーサー(PD)

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新無効論 「日本国憲法」は講和条約 (2-1) 南出喜久治 http://www.youtube.com/watch?v=3pc-SCJncLk


新無効論 「日本国憲法」は講和条約 (2-2) 南出喜久治 http://www.youtube.com/watch?v=Qw_ofGRny-Y

白洲次郎のジープウエイ・レター

従順ならざる唯一の日本人、白洲次郎。

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  戦後占領下、終戦連絡中央事務局・次長の白洲次郎はGHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめました。GHQ憲法に抵抗した白洲次郎の話はNHKで紹介され、テレビドラマでやっていたのでだいぶ有名になってきたでしょう。その中で「ジープウエイ・レター」の話は有名です。国立国会図書館に「ジープウエイ・レター」を見ることができますが、私の手持ちの書籍のジープウエイの絵とはちょっと違います。書き写しなどのためでしょうか。

  昭和21年(1946年)2月3日に憲法改正案(松本案)がGHQへ提出されましたが、それから10日後に民政局ホイットニー准将より"マッカーサー草案"を提出してきました。このとき幣原首相と松本国務相はこの草案はひとつの案だと捉えていました。しかし、白洲次郎はホイットニー准将に面会し、"マッカーサー草案"は指令であることを感じます。それを松本国務相に話をしたところ、松本国務相は手元の紙片に絵を描いて白洲次郎に示しました。その絵がこの「ジープウエイ」です。そして白洲次郎はホイットニー准将にこの絵を添えて手紙を書きます。

「彼をはじめ閣僚は貴下のものと彼らのものとは、同じ目的を目指しているが、選ぶ道に次のような大きな差異があると考えています。
  貴下の道は、直線的、直接的なもので、非常にアメリカ的です。彼ら(日本政府閣僚のこと)の道は回り道で曲がりくねり、狭いもので、日本的にであるに違いありません。
  貴下の道はエアウエイ(航空路)といえましょうし、彼らの道はでこぼこ道を行くジープウエイといえましょう・・・松本博士は、その感想を次のよう(な絵)に描きました・・・」


  これはホイットニーには時間稼ぎと思われ、極めて強い返書が返されました。

「あなたのお手紙では、13日に私がお渡しした文書(マッカーサー草案)を『あまりに急進的な』という言葉で形容されているが、そのような言葉でも表現できないほどに厳しいものになり、最高司令官がお渡しした文書で保持できるよう計らっておられる(日本の)伝統と体制さえも、洗い流してしまうようなものとなるでしょう」(マッカーサー草案が受け入れられない場合のことを言っている)

  もはやこれは恫喝でしょう。これにも白洲次郎と松本国務相ひるまず、返書を書いたところ、48時間の期限付き最終通告を出しました。幣原内閣は揺れに揺れて2月21日に幣原首相がマッカーサーと会見し、受け入れを決定します。3月4日、再度松本案をGHQに提示しましたが、GHQのホイットニーやケーディスが不快感を示し、マッカーサー案を日本語化し、討議が行われ、ファイナルドラフトが作成されました。そして3月6日に閣議で新憲法の最終草案が了承され、発表されると間髪いれずにマッカーサーは声明を出します。

「天皇、政府によって作られた新しく開明的な憲法が、日本国民に予の全面的承認の下に提示されたことに深く満足する」

  このGHQ憲法には日本を管理する為の政策機関として設けられた極東委員会からも「国民は憲法を理解していない。時期尚早である」と反発があがります。しかし、マッカーサーは拒否。強引に押し通しました。
  4月10日の総選挙で日本自由党が第一党になり、鳩山総裁が首相の指名を待つばかりとなりましたが、GHQは鳩山一郎を公職追放にし、吉田内閣ができました。そして8月24日、GHQ憲法は衆議院で圧倒的多数により可決してしまいました。議場では多くの議員が無念のあまり嗚咽を漏らしました。



参考文献
  講談社文庫「白洲次郎」北康利(著)
  河出書房新社「白洲次郎」
     『独立秘話を知りすぎた男の回想』白洲次郎
     『白洲次郎の抵抗』児島襄
  新潮文庫「英国機密ファイルの昭和天皇」徳本栄一郎(著)
参考サイト
  WikiPedia「日本国憲法」「鳩山一郎」
  Letter from General Whitney to Mr. Shirasu, dated 16 February 1946, answering "jeep way letter"
      http://www.ndl.go.jp/constitution/e/shiryo/03/081/081tx.html

添付画像
  「ジープウエイ」国立国会図書館 ハッシー文書より
      http://www.ndl.go.jp/constitution/library/06/hussey/hussey_183l.html

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「国民主権」の危うさ

国民主権の正体。

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 現在、日本国憲法には「国民主権」がうたわれています。

前文

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」

 第一条にも「国民主権」が書かれています。


第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 この国民主権について学校教材用の本を見ますと次のように説明されています。

「『国民主権』などといった場合の主権には、国の政治のあり方を最終的に決定する権力、という意味があります・・・したがって、日本国憲法では、日本国民に国の政治のあり方を最終的に決定する権力をあたえているのです」

 私が子供の頃、憲法の話が書かれた本を読んだことがあり、「国の中で誰が一番偉いか」という問いかけがありました。内閣総理大臣?天皇陛下?国民主権だから国民が一番偉いんだ!という内容です。

 学校教材用の本を更に読みますと、次のように書いてあります。

「民主主義は、個人の価値を認め、個人の人格を尊重する『個人主義』が前提となって成立します。日本国憲法第13条に『すべての国民は、個人として尊重される』とあるのは、まさに、日本国憲法が個人主義を採用していることのあらわれだといえます」

 学校では「国民主権」「個人主義」を通して、「オレ様国民は主権者様だ!」と教えているわけです。

  弁護士の南出喜久治氏によると国民主権というのは非常に暴力的なものだと述べています。100人で構成される国家があり90人が残りの異端の10人を殺してしまうという法律を作ったとします。憲法も改正できるから10人を抹殺することを容認する、これが国民主権であり、人が神になり、そういう暴力が正当化されることがあるというものです。

  国民主権はロック、ルソーによって発展させられた概念で、ルソーは「社会契約論」の中で、「一般意志は常に正しく、常に公共的利益を志向する」としています。一般意志は契約者全体、つまり人民であり、それが主権であると言っており、「主権」は一般的契約(法)の限界を超えるわけにはいかないと述べています。
 しかし、国民主権は南出氏の言うように「国民の意志」自体が法であり、既存の法を一瞬にして無とし、無限定な力として暴走する危険性を持っています。ですから国民主権のような観念を憲法に持ち込むべきではないとする憲法学者が世界に多いといいます。

 南出氏はイエス・キリストの話もあげています。イエスは捕らえられてユダヤのローマ総督であるピラトの前に引き出されますが、ピラトはイエスに何の罪も認められず、しかも、ここでは死刑にすることは許されなかったのに、ユダヤ人の群集に煽られてイエスを十字架刑という極刑にしてしまいます。これが国民主権の源流だと述べています。

 GHQ製日本国憲法は「オレ様は主権者様だ」と国民に教えました。3年前に中華人民共和国の習近平氏が来日したとき天皇陛下が引見しましたが、鳩山総理(当時)、小沢民主党幹事長(当時)が1ヶ月ルールを無視したのが問題になりました。こうした行為は畏れを知らないGHQ憲法世代「主権者様」の特徴でありましょう。主権者様に選ばれた政治家なんだから天皇陛下は思いのまま動くモノだという意識の現れです。官僚を批判し、政治主導にするというのも「主権者様」に選ばれたという意識を持った政治家の奢りでしょう。本来、官僚だの政治家だの言う前に能力が問われるものです。

 「国民主権」によって主権者様となった日本国民はルソーの言う「公共的利益」を志向したでしょうか。否、「国民主権」は日本国民を傲慢不遜な個人主義に育て上げ、自由だの権利だのばかり叫び、"今だけ、カネだけ、自分だけ"のエゴ国民を作ってしまったのです。



参考文献
 日能研ブックス「日本国憲法」(東京出版『あたらしい憲法のはなし』復刻版より)
  ビジネス社「日本国憲法無効宣言」渡部昇一・南出喜久治(共著)
  中公文庫「社会契約論」ルソー(著)/ 井上幸治(訳)
  小学館「天皇論」小林よしのり(著)
  WiLL2010.3「本家 ゴーマニズム宣言 小沢も亀井も不敬な政治家」小林よしのり

参考サイト
  WikiPedia「国民主権」

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 ジャン=ジャック・ルソー(PD)

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不思議の国ニッポン!あるのにナイ、ないのにアル、自衛隊

自衛隊はまるで禅問答?

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 デュラン・れい子著「一度も植民地になったことがない日本」に、れい子さんの夫(オランダ人?フランス人?)がこう言っています。イラク戦争あたりの頃の話と思われます。

「なーんだ。やっぱり日本には軍隊があるじゃないか!」

 れい子さんの夫は昭和49年(1974年)に日本に来て日本の高度成長、日本人のエネルギッシュさに驚いていました。そのとき、日本には軍隊はない、と思っていたようです。


「いったい全体なんだったんだ、あの昔の日本人は!みなインテリでまじめな人たちだと思っていたのに」

「彼らは口をそろえて『日本は平和憲法だから軍隊はない』と言ったんだぞ。だが自衛隊は結局、軍隊と同じじゃないか!なぜ『軍隊はないが、自衛隊はある』と言ってくれなかったんだろう」

 れい子さんの著によると自衛隊のイラク派兵が決まって以来、自衛隊の存在がヨーロッパの一般の人々にも知られるようになり、驚きを隠さない人が多かったといいます。日本通のイギリス人は以下のように表現したといいます。

「あるのにナイ、ないのにアル。日本の自衛隊はまるで禅問答」


 さらにヨーロッパの人からすれば自衛隊のイラク派兵も銃も戦車も大国日本の軍隊がオランダ軍に守ってもらっているのも謎だし、日本が米国を支持したのなら犠牲も覚悟の上が世界の常識なのにサマーワが安全か否かの調査に行くというのは、何のことやら意味不明なのだそうです。イラク派兵については是非の議論はあるでしょうが、れい子さんは自衛隊の活動はテロが起きる前にやるべきではないか、日本がイラクとアメリカの話合いの場は作れないか、と問いかけて、大国日本は不思議の国になるばかり、と述べています。

 このような不思議の国ニッポンになってしまっているのはGHQ憲法第九条があるからなのですが、昭和25年(1950年)の朝鮮戦争で日本は警察予備隊を組織しています。これは再軍備であり、海上保安庁所属の特別掃海隊は13隻の掃海艇と323名の乗組員が、仁川奇襲上陸作戦に参加し、戦死者1名、重軽傷者18名を出しています。それまでマッカーサーなどが説いていたのは日本を非武装中立にして国連によって安全保障を確保すべき、というものでしたので、GHQ憲法は戦後占領下で既に破綻していました。破綻しているのに誤魔化し続けたため、不思議の国ニッポンになってしまったのです。

 実はGHQ憲法第九条は表向きは日本が白人の脅威にならないよう再軍備不可にしたものですが、裏には共産革命の意図が隠されていました。GHQに潜んでいた共産主義者(ピンカーズ)が将来日本で革命を起こしくする目的もあったのです。革命を阻止するのは軍隊ですから、邪魔だったわけです。マッカーサー(真っ赤ーさー)はこうしたピンカーズに操られていました。

 占領下で既にGHQ憲法は国際情勢に合わないものとして破綻していたにも関わらず、講和条約後も後生大事に抱えこんでしまったことは日本を不思議の国にしてしまったばかりでなく、日本国民を平和の豚にしてしまいました。GHQ憲法を早期に破棄しておけば、日米安保なども異なった形になっていたでしょうし、米軍基地問題も解決しやすかったでしょう。拉致問題も起きなかったでしょう。残したために「憲法第九条が平和を守った」などというGHQピンカーズの亡霊に取り付かれた妄想者が叫び、マスコミを通じて平和の豚が量産されてしまいました。

 昨今北朝鮮の核ばかり語られますが、中共(中華人民共和国)はミサイル300基の照準を日本に合わせており、核弾頭も含まれているといいます。東シナ海を脅かす中共はマラッカ海峡へもミサイルの照準を合わせています。インド洋にも中共の軍艦がうろうろしています。人民解放軍の海軍は東シナ海を南下し、太平洋の制海権を得ようとしています。どれも日本のシーレーンです。航行が制限されたり、遮断されれば日本国民の台所に直結する話です。中共にとって目障りなのは沖縄の米軍基地。与那国に自衛隊配置させたくないのも中共。日本はどうすればよいか自明の理でしょう。日本はまずは普通の国家に戻るべきです。



参考文献
 講談社α新書「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)
 ビジネス者「日本国憲法無効宣言」渡部昇一・南出喜久治(共著)
 光人社「ペルシャ湾の軍艦旗」碇 義朗 (著)
 転展社「戦後日本を狂わせたOSS"日本計画"」田中英道(著)
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 護衛艦「こんごう」からのRIM-161(SM-3)の発射(PD)

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GHQ憲法記念日は屈辱の日

外国から押し付けられた憲法など屈辱と感じるのが普通。

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 5月3日は憲法記念日です。「日本国憲法」と呼ばれるGHQ製の憲法は「白洲次郎」の物語の通り、「押し付け」であることが大分、日本国民に知られており、ありがたがる人は一部のマルクス主義系の思想の人やマスコミぐらいでしょう。
 最近ではアメリカの資料公開によってOSSというアメリカ戦略情報局によって作成された「日本計画」にもとづき戦後直後のGHQによる日本統治が進められてきたことがわかっています。その中にフランクフルト学派と呼ばれる知識人向けマルクス主義者が多くおり、その流れをうけてGHQのピンカーズ(赤い奴)が日本の伝統を破壊し、共産革命に導くために日本国憲法は作られました。

 GHQ憲法の英語原文を見たとき松本国務相は幣原首相にこのように述べています。

「総理、実に途方もない文書です。こんな憲法はいまだかつて見たこともない。こういうものを決めては、わが国は混乱するばかりです。まるで共産主義者の作文ですよ」


 GHQ憲法のマッカーサー案にはこんな条文がありました。

Article XXVIII. The ultimate fee to the land and to all natural resources reposes in the State as the collective representative of the people. Land and other natural resources are subject to the right of the State to take them, upon just compensation therefor, for the purpose of securing and promoting the conservation, development, utilization and control thereof.
第二十八条 土地及一切ノ天然資源ノ究極的所有権ハ人民ノ集団的代表者トシテノ国家ニ帰属ス
国家ハ土地又ハ其ノ他ノ天然資源ヲ其ノ保存、開発、利用又ハ管理ヲ確保又ハ改善スル為ニ公正ナル補償ヲ払ヒテ収用スルコトヲ得


 共産主義の考え方が見事に入っています。また、
「第十六条 外国人ハ平等ニ法律ノ保護ヲ受クル権利ヲ有ス」という条文もあり、これはインターナショナリズムです。フランクフルト学派の思想はインターナショナリズムです。この条文含めて外国人利権に関わるところは白洲次郎や法制局の佐藤達夫の懸命の努力により削られました。

 GHQ憲法の首魁はGHQ民政局のケーディス大佐です。彼はユダヤ人であり、OSSに所属していました。ケーディス大佐はGHQが反共に転換した後、帰国しますが、国務省にジョージ・ケナンを訪ねたとき、ケナンはケーディスに向かってこう言います。

「あなた方は日本を共産主義にしてソ連に進呈しようとしていたのだという噂もありますよね」

 ケーディス大佐は失脚し、二度と日本に戻ってきませんでした。ケーディス失脚の経緯を聞いた前第八軍司令官R・アイケルバーガー中将は厳しいコメントを残しています。

「彼は日本人に手本を示した。空虚な理想主義者は奢りと腐敗におぼれて自滅するという手本だ」


  GHQ憲法は英文を一夜で訳したせいか、憲法前文もよく読まないと何が言いたいのかよくわかりません。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」


  この部分は日本以外の国はすべて平和を愛する国だといっており、「生存」まで他国に預けるような言い方をしています。日本には主権がないような言い方です。また日本だけ悪い国で他の国はいいくにだ、とも解釈でき、日本が悪さしなければ平和なんだと言わんばかりです。

 GHQ統治下の日本には主権がなく、その時に日本の憲法が勝手にGHQによって作られたのですから、憲法としての正統性はありません。ポツダム宣言にも憲法を変えてよいことなど書いていません。また、占領下は明治憲法第75条の類推適用により憲法の改正は不可の状況であり、GHQ憲法は憲法としては無効になります。

 戦後占領下、米国GHQは共産主義者の作文憲法を日本に押し付け、プレスコードによって憲法批判を禁じ、公職追放という恐怖で言論を封じました。憲法記念日は屈辱の日なのです。しかし、多くの日本人はGHQが作ったウソの歴史を前提に「GHQ憲法はすばらしい」と洗脳され憲法記念日を祝ってきたのです。



参考文献
  WAC「渡部昇一の昭和史(続)」渡部昇一(著)
  「歴史通」WiLL 2009.3『野坂参三 共産政権の誕生』田中英道
  講談社文庫「白洲次郎 占領を背負った男」北康利(著)
  総和社「日本は憲法で滅ぶ」渡部昇一(監修)
  ビジネス社「日本国憲法無効宣言」渡部昇一・南出喜久治(共著)
  岩波書店「日本国憲法の誕生」古関彰一(著)
  転展社「戦後日本を狂わせたOSS"日本計画"」田中英道(著)
参考サイト
 国立公文書館 3-15 GHQ草案 1946年2月13日 http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html
  WikiPedia「チャールズ・L・ケーディス」

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  ダグラス・マッカーサー(PD)

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【絶対正義GHQ】 http://www.youtube.com/watch?v=wEpg_n_MiYY

GHQ憲法九条の欺瞞

戦後日本人は自らを騙し続けた。戦前全否定、戦後全肯定。思い上がったジャパン・アズ・ナンバーワン。GHQ憲法が平和をもたらしたというウソ。

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 1990年以降、ワシントンの国立公文書館でCIAの前身にあたるOSSの機密文書が再調査されています。これによると「日本計画」といわれる対外基本戦略が作成されていることがわかっています。このOSSが知識人向けのマルクス主義と言われる「フランクフルト学派」の巣窟になっていました。OSS計画のもとGHQは占領政策を行っていきます。

 GHQピンカーズ(赤い奴)たちは「二段階革命理論」で日本共産化を目指しました。「社会主義は軍国主義の破壊を通して、ブルジョア民主革命を達した後に得られる」というものです。象徴天皇を通して日本を統治し、他の改革を待って廃絶に追い込むというものです。これらはそもそも天皇を「KING」と誤解しており、日本の伝統的民主主義を理解していなかったことから出発しています。
 GHQ憲法はこの理論に基づいて作成され、第九条の軍隊を持たない、というのも第二段階の革命を行いやすくするためのものでした。軍隊が革命を阻止するかもしれないからです。九条は国防に関することが目的ではなく、内政の問題だったのです。

 マッカーサーは憲法第九条を強く推し進めています。憲法が国会で成立した後、昭和21年(1946年)10月と昭和22年(1947年)5月の天皇・マッカーサ会談で国際情勢に対して憲法九条を懸念する昭和天皇に対してマッカーサーが憲法九条の必要性を力説していることから伺えます。マッカーサーはOSSの計画通り進めていたのです。ちなみにマッカーサー側の通訳は共産主義者ハーバート・ノーマンです。(後、赤狩りのため自殺)

 マッカーサーがどの時点でGHQ内にピンカーズ(赤い奴)が占めていることに気がついたのでしょうか。昭和23年(1948年)に米国務省政策企画部長のジョージ・ケナンが来日し、GHQ民政局のピンカーズの危険性を警告しています。1948年(昭和23年)米国で出版された「アメリカの鏡・日本」の著者ヘレン・ミアーズ女史とマッカーサーは激しく論争しています。おそらくこの頃から「失敗」を意識したでしょう。

 そして日本は吉田茂らにより戦後レジームを決めていきます。「軍備はやらん・経済再建一本で行く。米国は日本を守れ・それが米国の義務だ」

 その後、日本人はこんなウソをつき始めます。

「憲法九条があったから日本は平和を維持できた」

「軍備にお金を使わなかったから経済が発展して豊かになった」

 
 日本の九条のようなものをもっていなくてもほとんどの国が第二次世界大戦後は世界全体が平和への努力をし、局地的に戦争はあったものの世界大戦を回避しています。平和とGHQ憲法九条は因果関係はありません。軍事バランスや核の抑止力がもたらした平和でしょう。核兵器を持った大国同士はもう戦争はできません。日本は安保によって核の傘下で平和が守られてきたに過ぎません。
 昭和初期から日本は軍事大国でしたが、GNPはどんどん上がり豊かになっています。現在の中共も軍事力を拡大しても経済成長し、豊かになっています。軍備と経済の因果関係はありません。

 豊かになった日本、戦後の成功が日本人を思い上がらせ
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(1980年ごろ)の声に高揚し、戦後を全肯定し、ウソを撒き散らしたのです。フランクフルト学派が日本を破壊し、その後の革命のために憲法九条を作ったことを考えるとなんと悲しいウソであることでしょうか。



参考文献
 ワック出版「歴史通」WILL10月号別冊
   『野坂参三共産政権の誕生』田中英道
 新潮45・9「二重外交展開、占領下も『君主』でありつづけた昭和天皇」河西秀哉
 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 PHP新書「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政(著)

添付画像
  GHQ憲法マッカーサー案 国立公文書館 http://www.archives.go.jp/exhibition/popup_haruaki_19_haru/02.html

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GHQ憲法は日本を共産化する目的でつくられた

GHQ憲法はフランクフルト学派による日本共産化のためのものだった。

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 1990年以降、ワシントンの国立公文書館でCIAの前身にあたるOSSの機密文書が再調査されています。まだ全部は公開されていないようです。これによると「日本計画」といわれる対外基本戦略が作成されていることがわかっています。このOSSが知識人向けのマルクス主義と言われる「フランクフルト学派」の巣窟になっており、マルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムなどがいます。このOSSはコミンテルンの方針に従っていたわけでもないこともわかっています。

 この日本計画は1941年12月の日米開戦直後から準備され、日本の敗北を見越し、日本をいかに軍事的に壊滅させ、以下に戦後の日本社会を攪乱させるかを目的化したものです。天皇を象徴とする方針もこのとき立てられ、伝統の力を利用して、国内を対立させ、軍事力の膨張を抑える方向へと誘導するというものです。これらはマッカーサーにも伝えられています。この話しは終戦連絡中央事務局の白洲次郎の回想と符合するところがあり、憲法改正にあたって白洲次郎は以下の回想をしています。

 ホイットニー(GHQ民政局)氏はつい、口を滑らせた。
「『ミスター・シラス、あの憲法に関係したスタッフは、ここにいるだけではないんだ。日本には来ていないが、豪州時代にこの仕事に参加した人間が、まだほかに何人もいるのだよ』
 
つまり、”マッカーサー草案”は、既にマ将軍が豪州の地にあって、”日本本土侵攻作戦”を開始した時、その作業に取り掛かり始めていたのである」。

 OSSの日本計画がマッカーサーに伝えられ、豪州で憲法作成の準備が行われていたということでしょう。白洲次郎がこの事実を知ったら「やっぱりそうか!」というに違いありません。
 OSSの計画は「社会主義は軍国主義の破壊を通して、ブルジョア民主革命を達した後に得られる」という2段階革命論であり、一気に天皇打倒するのではなく、他の改革を待って廃絶させる段階を待つというものです。以前書きましたが、憲法の「国民主権」「天皇は国民の総意に基づく」というのはまず第一段階のことなのです。ソ連が強行に皇室の廃止を求めたのに対してGHQは計画通り遂行していたのです。皇室の数を制限して立ち枯れ作戦も第二段階を意識してのことでしょう。憲法九条も次の革命のときに軍隊がなければ革命を起こしやすいという目的で作成されました。

 こうして日本共産化のための日本国憲法はGHQピンカーズ(共産主義者)によって着々と進められます。GHQ民政局のケーディス大佐(九条はこの人が書いた)が直接指揮します。よく日本国憲法は7日間で作成されたといわれていますが、実際には準備周到だったわけです。ただ、7日間と言われるのは実際にGHQの民政局の局員を動員して作成していますから、骨子から条文を作るのはその期間で行ったと思われます。ナチス・ドイツの迫害からの逃れて日本にやってきたユダヤ人のベアテ・シロタさんは民政局に配属され、この作業を行っています。民政局のホイットニー准将はこういったと言います。

「紳士淑女諸君!君たちは今日から、憲法制定会議のメンバーとなった。マッカーサー元帥が日本国民に与える、新しい憲法をつくる歴史的任務を、我々に与えた」


 22歳だったペアテさんは驚いてあわてました。回想録には以下のように記してあります。
「憲法の専門家といったら、畏怖する対象でしかなかった。とにかく、私が憲法について知っていることといったら、高校の社会科で学んだだけのことだった」

 民政局の25人が全くのど素人で、その中の一人、ミルトン・エスマンというユダヤ人の青年が「日本の専門家を招いて、相談するべきだ」と提案したところクビになってしまいました。

 GHQピンカーズが日本を破壊する目的で作成した日本国憲法はすばらしい憲法だと信じている日本人が哀れでなりません・・・



参考文献
 ワック出版「歴史通」WILL10月号別冊
   『野坂参三共産政権の誕生』田中英道
 河出書房新書「白洲次郎」『占領秘話を知りすぎた男の回想』週刊新潮75・8・21白洲次郎
 徳間書店「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー(著)
 総和社「日本は憲法で滅ぶ」渡部昇一(監修)
添付画像
 コートニー・ホイットニー、 ダグラス・マッカーサー、エドワードM.Almond少将1950年9月15日(PD)

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絶対正義GHQ

http://www.youtube.com/watch?v=sXIAWMZkoPA

GHQ憲法作成のために葬られた近衛公

近衛公は日本人による憲法改正を阻止するために葬られた。

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 1945年(昭和20年)9月13日、終戦直後、東條内閣の前の内閣総理大臣、近衛文麿はマッカーサーと会談します。このときは米軍の通訳の水準が低すぎ、実りのない内容でしたが、10月4日の会談で近衛公は日本の赤化懸念を強調します。そしてマッカーサーより憲法改正に関する案を作成することを大役を貰うことになります。

「公はいやゆる封建的勢力の出身であるが、コスモポリタンで世界の事情にも通じておられる、又、公はまだお若い。敢然として指導の陣頭に立たれよ。もし公がその周囲に自由主義分子を糾合して、憲法改正に関する提案を天下に公表せらるるならば、議会もこれについてくると思う」

 会談の席ではバーンズ国務長官より派遣されたアチソン政治顧問から私案がいくつか提示されます。そして近衛公は憲法学者の佐々木惣一郎博士に憲法作成を依頼します。ところが、10月末になりマッカーサーが
「自分は近衛に憲法改正を指示した覚えはない」と否定します。そして幣原内閣のもと「憲法問題調査委員会」を設置することになります。このことを知った近衛公のことを側近は「近衛の凄いまでの表情は私の目の前にはっきりと、まだ見える」と回想しています。
 
 「マッカーサーを叱った男」で有名な終戦連絡中央事務局の白洲次郎は以下のように回想しています。

「マッカーサーのこの”前言取り消し”談話の背景には、アメリカ国内に『新憲法を敗戦国民に作らせるとは何事』という批判があったとも言われるし、またこの頃、占領国側に、やがて近衛公を戦犯として逮捕しようと言う認識が固まりつつあったとも思われる。」

 実際、白洲次郎が言うような記事が10月26日にニューヨーク・タイムズ紙に載り、10月29日に朝日新聞と毎日新聞がこの記事を紹介しました。
 この前言取り消しには9月初めに日本に入国したハーバート・ノーマンと都留重人が関わっていました。この両者は共産主義者の同志です。ノーマンは後に共産主義者として糾弾を受け、カイロで自殺しています。ノーマンは都留の情報をもとに「戦争責任に関する覚書」を作成しています。この覚書の中はほとんど近衛批判であり以下の言葉が書かれています。

「一つ確かなこのは、彼がなんらか重要な地位を占めることをゆるされるかぎり、潜在的に可能な自由主義、民主主義的運動を阻止し挫折させてしまうことである。彼が憲法起草委員会を支配するかぎり、民主的な憲法を作成しようとするまじめな試みをすべて愚弄することになるであろう。かれが手を触れるものはみな残骸と化す」

 なんと悪意に満ちた覚書でしょうか。近衛公は昭和20年2月に昭和天皇へ上奏した際に敗戦よりも赤化阻止が課題であることを述べています。反共の急先鋒だったわけです。ノーマンや都留や潜伏していたGHQのピンカーズ(共産主義者)にとっては極めて目障りな存在だったでしょう。

 昭和20年12月6日、GHQより近衛逮捕命令が出ます。出頭の最終期限の12月16日、近衛公は巣鴨出頭を拒否。青酸カリで自決しました。その後、共産主義者たちの日本破壊を目的とする憲法は白洲次郎らの抵抗むなしく成立してしまいます。



参考文献
 中公文庫「われ巣鴨に出頭せず」工藤美智子(著)
 河出書房新書「白洲次郎」『占領秘話を知りすぎた男の回想』週刊新潮75・8・21白洲次郎
 講談社文庫「白洲次郎 占領を背負った男」北康利(著)
 
参考サイト
 WikiPedia「都留重人」「ハーバート・ノーマン」「近衛文麿」
添付画像
 近衛文麿(PD)

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