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04.大東亜戦争・インドネシア

デヴィ夫人とスカルノ大統領

最終的に道を踏み外したが日本と縁の深いスカルノ。

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 テレビでおなじみのデヴィ夫人ですが、インドネシアのスカルノ元大統領の夫人です。この方については色々と評価はあるようですね。私は日本の伝統文化を大切にしようとする行動は好評価しています。
 
 いつだったかテレビでデヴィ夫人の自叙伝的な番組をやっていました。昭和40年(1965年)スカルノ大統領が失脚して苦労の道を歩んできた、というような番組だったと記憶しています。夫人のこうした大統領夫人時代の話が出てくるのであれば、夫人の夫であるスカルノ元大統領と日本と関わりが少しぐらい出てきてもいいものだと思うのですが、マスコミは触りたくないようですね。
 
 インドネシアは第二次世界大戦以前はオランダの植民地でした。スカルノ大統領は1927年インドネシア国民党を結成しますが、逮捕されスマトラ島のベンクルに流刑になっていました。ところが昭和16年(1941年)にオランダが日本に対して宣戦布告し(先に宣戦布告したのはオランダである)日本と交戦状態となり日本は今村均中将率いる陸軍主力16軍がわずか9日間でオランダ、アメリカ、イギリス、オーストラリア連合軍を撃破し降伏させます。昭和17年(1942年)3月のことで350年にわたるオランダ支配の終焉です。そしてジャワの学生や青年の嘆願によって今村中将はスカルノを解放しました。そしてスカルノと話をします。
 
今村
「私が今、インドネシア六千万民衆に公然と約束できることは、私の行う軍政により、蘭印(オランダ)政権時代の政治よりもよい政治と、福祉の招来です。ですから、あなたが日本軍に協力するか、中立的立場をとって何もしないで形勢を傍観しているかは、どちらも随意です」

 数日後、スカルノは今村中将のもとを訪れ、こう決意を話します。
「先日は失礼しました。あれから同志たちとも相談いたしましたが、閣下が、日本軍政はオランダ政権時代よりも、インドネシアの福祉を増進することを約束されましたので、私どもはこれを信用し、私と同志は、日本軍政に協力することにしました」
 
 こうしてスカルノはインドネシアの指導者の地位につきます。今村中将とスカルノは深い信頼関係にあり、デヴィ夫人の話だとスカルノは今村中将を「本物のサムライ」だと言っていたそうです。今村中将(このときは大将)が戦犯でインドネシアに召喚されたとき、奪還作戦を立てていました。

 インドネシアの軍政では日本人、インドネシア人ともに独立へ向けて準備を行います。インドネシア軍の編成、軍の訓練のほか、議会や行政を整備し、学校を作り着々と準備を整えていきました。ところが昭和20年(1945年)8月に日本軍が突然降伏したため19日に予定していた独立宣言を17日に早めてスカルノは独立宣言をします。日本軍は巧みにインドネシア軍に武器をわたし、再度支配に乗り出したオランダ軍とインドネシア軍は交戦しますが、この中には旧日本兵も多く含まれていました。スカルノとともにインドネシア独立へ向けて戦います。そして1949年オランダの暴挙が暴かれハーグ協定によりインドネシア独立が認められました。

 東京都港区の青松寺にスカルノ大統領が建てた石碑があります。ともに戦った二人の日本人にささげられています。

 市来龍夫君と吉住留五郎君へ

  独立は一民族のものならず 全人類のものなり

   1958年8月15日 東京にて スカルノ


 これらスカルノ元大統領の話は「ムルデカ17805」という映画がありましたので、いくらかの日本人は知っているかもしれません。しかしデヴィ夫人があんなに有名なのですからもっと知られてもいいと思います。もちろんデヴィ夫人は戦後にスカルノ大統領に出会い結婚していますのでそれ以前のスカルノの話は直接は関係ありませんが、世界で最も親日の国であるインドネシアの話です。こうした国の話は当たり前のように日本人の耳に入ってくるのが普通だと思うのです。



参考文献
 竹書房「世界が愛した日本」四條たか子著
 光人社NF文庫「陸軍大将 今村均」秋永芳郎著
 桜の花出版編集部「インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実」
 
添付画像
 スカルノ(PD)

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インドネシア独立記念パレード
http://www.youtube.com/watch?v=ElAoXeGmj2k&list=QL





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