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31.戦後の日本

戦後を席巻した「青い山脈」的思考

GHQが埋め込んだ爆弾は3年半前爆発した。

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 5年程前、大東亜戦争日米開戦時の首相、東條英機の終戦直前の手記が国立公文書館で発見されたというニュースがありました。。全文は読めておりませんが政府のポツダム宣言受諾に対して「新爆弾に脅え、ソ連の参戦に腰を抜かし・・・」「もろくも敵の脅威に脅え、簡単に手を挙ぐるに至るが如き国政指導者及び国民の無気魂なりとは、夢想だもせざりしところ」と書かれています。多くの人は“東條という人は戦争をはじめて日本を焦土にしたにも関わらず、まだこのようなことを言っていたのか”と思うことでしょう。「東条英機」を書いた太田尚樹氏もそういっており、「読むに堪えない」と述べています。しかし、それは戦後、GHQによるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)で洗脳されているからそういう思考になるのだと思います。当時の国民は抗戦意識が非常に強く、東條英機の言葉は国民感情と一致しています。

 陸軍中将・石原莞爾は戦後、米、英、ソの検事の臨床尋問を受けたとき、東條英機と意見が対立していたというではないか?という問いに対し「東條には思想も意見もなく、意見のない者と対立はない」と言っています。陸相だった宇垣一成も似たようなことを言っていますので、東條英機は組織の目的に忠実に生きることを主とした人だったのでしょう。だから聖戦完遂(せいせんかんすい)の意識が強かった、国民も同じように強かっただけのことです。そして終戦に際しても国民は米に対して不服従の意思でした。

 国民の心に変化が現われはじめたのは評論家の西尾幹二氏(昭和10年生まれ)によると昭和23年頃でアメリカは憧れの国に変化したと述べています。チューインガム、ホットドッグ、映画「ターザン」、ヒッチコックの映画、西部劇、大リーガーなどがもてはやされるようになりました。厳しい検閲焚書公職追放、東京裁判、GHQ憲法、神道指令、などの政策にはまっていったのと、食べるものをはじめとする物資は米国に頼らざるを得なかったし、もともと日本人には異邦人を憎むという感覚は持っていなかったのもあるでしょう。

 そしてこんな歌がヒットします。

 青い山脈(昭和24年)作詞:西條八十 作曲:服部良一

  若く明るい歌声に なだれは消える花も咲く
  青い山脈 雪割り桜
  空の果て 今日もわれらの 夢を呼ぶ

  古い上衣よさようなら 寂しい夢よさようなら
  ・・・

 「青い山脈」は昭和22年(1947年)、新聞小説として“朝日新聞”に連載され、昭和24年(1949年)には映画化され、主題歌の「青い山脈」も大ヒットしました。京都大学名誉教授の中西輝政氏は、この「青い山脈」は「悲しいことは全部人生からなくしていける、『憧れ』というか、過剰なまでに膨らんだ『脱歴的期待感』というか、“理想の日本”がいますぐ、そこまできているという気分が横溢(おういつ)しています」と述べ、「『戦後理想主義』の偽らざる姿」「その裏には『反戦』と結びついた社会主義礼讃の風潮が隠されていた」と指摘しています。日本人は大東亜戦争以前のことは「古い上衣」「悲しい夢」として“さよなら”し、新たな「理想主義」に転向したのです。その日本人のナイーブさに社会主義的理念が入り込んでいったわけです。「青い山脈」の向こうに「赤い星」を見ていたのです。それはベルリンの壁が壊れるまで続きました。ベルリンの壁が壊れても埋め込まれた「戦後理想主義」は団塊世代が最も影響を受けており、その世代が国や経済の中心としての位置を占めたとき、政権交代がおこったわけです。それは3年半前のことでした。



参考文献
 角川学芸出版「東条英機」太田尚樹(著)
 「歴史読本」2009.9『石原莞爾の生涯』阿部博行
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 PHP新書「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政(著)
参考サイト
 WikiPedia「青い山脈 (歌)」

添付画像
 映画『青い山脈』の杉葉子と原節子(右)(PD)

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青い山脈 (1949)
http://www.youtube.com/watch?v=bAKmKJxtWZg

日本なかりせば

日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。

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 昭和30年(1955年)、アジア・アフリカ二十九カ国が集まり、バンドン会議が開催されました。日本は招待されました。敗戦後間もない日本でしたから慎重論が多かったのですが、高崎達之助経済審議庁長官や外務省参与の加瀬俊一氏らが出席しました。加瀬氏は日本はいいこともしたけど、わるいことをしなかったわけじゃないので、あまり気が進まなかったと回想しています。ところが、日本は大歓迎を受けました。

「よくきてくれた!」
「日本のおかげだ!」
「日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった!」
「大東亜共同宣言がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた」
「アジア民族のために日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く」

 平成17年(2005年)、バンドン会議50周年を記念して開かれたアジア・アフリカ会議・小泉首相(当時)は次のように演説しました。
「わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」・・・まったく的外れな演説をしたものです。

 平成4年(1992年)10/14 香港にて マレーシア マハティール首相のスピーチの一部
「東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
 もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう」

 このマハティール首相の演説は暗に大東亜戦争のことも含まれています。この演説を聞いた白人は怒って席を立ち会場を出て行った人もいたといいます。
 マハティール首相は「ルック・イースト」政策(日本を見習え)を実施し、東アジア経済会議(EAEC)を提唱しており、この「日本なかりせば」演説はアメリカをを警戒させました。クリントンの圧力によって河野洋平が走り回り、「白人も華僑も入れよ」などとほざきました。

 平成6年(1994年)にマレーシアに訪問した村山富市首相(当時)、土井たか子衆院議長(当時)は型どおり謝罪するとマハティール首相はこう述べました。

「日本が五十年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ」
「日本に対して今さら戦後賠償を求めるようなことは、わがマレーシア国民にはさせない」

 このマハティール首相の言葉に村山総理は何の言葉も返せませんでした。しかも村山総理はシンガポールで華僑ゲリラの慰霊碑に謝罪を述べています。死者に対して慰霊するのは構いませんが、違法であるゲリラに謝罪するなどキチガイ行為です。東南アジアは華僑を追い出すのに多大な苦労してきており、ゴキブリのように侵入してくる華僑をブロックしたい思いがあります。

 マハティール氏
「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」

 麻生元総理は日本がリーダーシップをとる「自由と繁栄の弧」を主張しました。ところが、3年前半の政権交代で鳩山総理(当時)はシナ様を盟主とする東アジア共同体構想を出してきました。小沢幹事長(当時)が人民解放軍野戦司令官になるというのですって???

 「ルック・イースト」政策から30年。もはやマレーシアでは日本から学ぶものは「先端技術」のみであるという声さえ聞かれます。昨年末、新政権が誕生し、日本は新たな門出を迎えました。再び立ち上げれ、ニッポン!



参考文献
 桜の花出版「アジアが今あるのは 日本のお陰です」桜の花出版編集部(編)
 WAC「自らの身は顧みず」田母神俊雄(著)
 小学館「アジア人と日本人」大前研一(著)
 オークラ出版「反日マスコミの真実2010」『誰のための東アジア共同体か』高山正之
 WAC「渡部昇一の昭和史」渡部昇一(著)
 読売新聞10月31日朝刊「マレーシア『日本流』岐路」
参考サイト
 「日本なかりせば」演説
   http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/maha.htm
 WikiPedia「マハティール・ビン・モハマド」

添付写真
 マハティール・ビン・モハマド(PD)

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知識は力なり

知っている、ということは強い。

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 「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)でれい子さんが列車の食堂車でたまたまベルギー人にワインをおごってもらったときの話が面白いです。

ベルギー人「ところであなたは日本人ですね」「イロイトは元気ですか?彼が昔アムステルダムへ来たとき、どんな男か見に行ったっけ。ずいぶん昔のことだなあ」
れい子「イロイト?ああ、昭和天皇のことですね。彼はもうなくなりました。1989年ですよ。私の伯父がなくなったのと同じ年だったからよく覚えています」

ベルギー人「そうか、それは知らなかった。ところで昔、我々は日本人と戦争をした・・・」
れい子「我々って?ベルギーが日本と戦争をしたということですか?」
ベルギー人「私の父はベルギー人だが、母はオランダ人。私は戦争中、インドネシアで生まれた」

つまりインドネシアでオランダと日本が戦争をしたということを言っています。

ベルギー人「我々は長年にわたってインドネシアにたくさんの投資をした。それを日本は奪って、残忍のきわみを尽くした。なぜだ?」

 ヨーロッパ人というのは恨みは忘れないものだそうです。日本には「水に流す」という便利な言葉がありますが・・・。ベルギー人に対してれい子さんは日本の資源のないことや米英の経済封鎖をあげて説明しますが、ベルギー人は怒り出します。

ベルギー人「私はブリュッセルに住んでいるが、ありとあらゆる戦争の本を集めた。そのどれにも日本人は残忍なことが好きな人種だと書いてある」
れい子「それは何語の本ですか?」
ベルギー人「不幸にしてフランス語とオランダ語」
れい子「それはそれは本当に不幸でした。もしあなたがインドネシア人が書いた本を読めば、または日本人の書いた本を読めば、考えが変わるでしょう」

 実にうまい切り返しです。れい子さんはオランダのインドネシア支配や日本がオランダを追っ払ったことのほか、米英の経済封鎖の話も知っており、海外でも常日頃、日本代表の意識を持っています。昭和17年(1942年)生まれの方なので、戦後教育で東京裁判史観を刷り込まれているはずなのに隠された歴史に関して知識を持っています。だからうまい切り返しができるわけです。

 上智大学名誉教授の渡部昇一氏は「知識は力なり」と言っています。渡部氏のところに北朝鮮関連の問題で朝鮮人が押しかけてきて「おれたちは強制連行されたんだ!」と大声で言うので「ところで、あなたは昭和何年に日本に来たのですか」というと、黙ってしまったといいます。相手に知識があると糾弾しないということです。白人が糾弾してくれば「あなたたちのほうがもっと酷かったのだから、昔の話は止めましょう」と言えばいいと述べています。彼らは対日プロパガンダしかしらず、自分たちのやったことについては知識を持ち合わせていないのだそうです。

 田中角栄首相と中華人民共和国の周恩来首相が会談したとき、周恩来は「中国は日本を侵略しようとしたことはない」といいました。田中角栄は「では元寇はどうですか」と切り返しました。このとき周恩来は何もいえなかったといいます。政治家はかくあるべきでしょう。さらに提言すると中共が歴史を問題に出してきたらこういえばいいのです。「毛沢東主席は『日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです』といっていましたよね」※と。


※ 昭和39年に当時の社会党副委員長佐々木氏が北京を訪れたときの毛沢東と会見したときの発言記録。

参考文献
 講談社α新書「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)
 WAC「渡部昇一の昭和史(正)」渡部昇一(著)
 WAC「渡部昇一の昭和史(続)」渡部昇一(著)
 中公文庫「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子(著)
添付画像
 浦佐駅にある元総理大臣田中角栄の銅像。2005年にはフードが設けられて、2005年10月29日に除幕式が行われた。2005年10月撮影。(CC)

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敗戦をバネに科学技術大国となった日本

日本人の記憶は作り替えられている。

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 大東亜戦争敗戦時、日本人はこう思っていました。

「日本は戦争に負けたのではない、科学の力に負けたのだ」

 科学の力・・・原子爆弾を指しています。そしてひそかに不服従の感情を持っていました。

 大東亜戦争で日本はよく科学技術を軽視していたと言われます。本質は重視軽視の二元論ではないと思いますが、敗戦を自省するにあたり科学技術力の不足を認めていました。昭和20年8月16日の朝日新聞には「科学や物量に敗れた・・・」という見出しが出ました。昭和天皇の終戦直後の回想でも「あまりに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したこと」を敗戦の一因として挙げています。私の祖父の記録にも「日本では“器用貧乏村宝”等と言って、技術者を馬鹿にする。精神一到何ごとか成らざんやとか神風とか言っていて最悪の無条件降伏をした。日本がこんなに良くなったのも技術の力である。指導者は反省すべきである」と書いています。戦争を知っている世代はこのような認識が強かったでしょう。

  よく敗戦時に庶民は「戦争がおわってホッとした」というのを聞きます。そういう人もいたでしょうが、おそらくこれは戦後日本が再び立ち上がらないようにするためのGHQ刷り込みで、「悔しい」が大方の気持ちだったでしょう。原子爆弾で街が壊滅した広島でも抗戦意識が強く、広島逓信病院の院長蜂屋道彦氏の日記にこう書かれています。

「日ごろ平和論者であった者も、戦争に厭ききっていたものも、すべて被爆この方俄然豹変して徹底的抗戦論者になっている。そこへ降伏ときたのだからおさまるはずがない。すべてを失い裸一貫。これ以上なくなることはない。破れかぶれだ。私も彼らのいうように徹底的に戦ってしかる後に、一死をもって君国に殉ずるのが私の本分であると思った・・・(中略)・・・降伏の一語は全市壊滅の大打撃より遥かに大きなショックであった。考えれば考えるほど情けない」

 戦後日本は「悔しさ」をバネに「科学技術」重視に向かい、技術立国日本を建設したといえます。

 1970年代オイルショックがあり、石油が高騰し、ソ連は巨額の資金を油田開発につぎ込みますが、原油価格は暴落し、投資は失敗となりました。それは日本の省エネ技術により日本の石油需要が増えなかったからです。日本は科学技術により省エネ大国に変貌し、ソ連は当てが外れてレーガン時代にはついに米国に屈服することになります。評論家の日下公人氏はかつてモスクワ大学経済学部を講義で訪れた際に多くの教授たちと懇談したとき、彼らが異口同音にこう言っていたと述べています。

「われわれが負けた相手はレーガンではない。日本の省エネ技術と省エネ生活に負けたのだ」

 敗戦の悔しさをバネに日本が科学技術に力を注いだ結果、今度は勝ったのです。

 しかし、歴史はGHQによって書き換えられており、大東亜戦争は「終わったとき、みんなホッとした」「最初から無謀な戦争だった」になってしまっています。戦争を知っている世代は実体験の悔しい思い、科学技術の重要性を実感した記憶がありましたが、知らない世代は記憶がありませんからGHQによって創られた歴史を信じています。現に3年前政権交代があり、国民はマスコミが面白おかしく報じる「仕分けショー」で「科学技術」の予算が削られていくのをヤンヤヤンヤと手を叩いて喜んでいる痴呆ぶりを見せています。日本が日本人自身により弱体化させる姿を世界が不思議がり、ほくそ笑んでいることに気づいていませんでした。その後ノーベル賞受賞などで幾分か目覚めた程度です。「歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」と誰かが言いましたが、まさにその通りになりつつあります。



参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 文春文庫「昭和天皇独白録」
 幻冬舎「昭和天皇論」小林よしのり(著)
 祥伝社「日本人の覚悟」日下公人(著)
 展転社「世界からみた大東亜戦争」名越二荒之助(編)

添付画像
 原子爆弾で廃墟となった広島(PD)

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世界が恐れを抱く日本

先人が残してくれたもの。

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「日本は、アジア、アフリカで一度も植民地にならなかった稀有な国だ」

 欧州人はこういう認識を持っており、ごく一般に言われていることなのだそうです。日本ではこんなことは言われないでしょう。あくまで「日本悪しかれ」と政治家もマスコミも学校もGHQの捏造歴史を通してしか語りません。

 デュラン・れい子(著)「一度も植民地になったことがない日本」は外国人が日本をどう思っているかというのが見えてきてなかなか面白いです。
 平成13年(2001年)9月11日、911テロのときです。事件はニューヨークでおきましたが、フランス・パリではいつも混んでいるカフェはガラガラ。イタリアの新聞はこのテロを「KAMIKAZE」と報じました。テロと神風を一緒にしてほしくありませんが、彼らにはイスラムもヤマトも理解不能でごっちゃなのでしょう。この後、フランスで「浅間山荘事件」が報じられたといいますから、欧州人は戦後60年以上たってもどこか日本を恐れ抱いている部分があるのでしょう。

 米国でジャーナリストが20世紀の最も印象深かった出来事は何か?というアンケートをとったことがあり、結果上位は以下の通り。

1.広島、長崎の原爆投下
2.アポロの月着陸
3.パールハーバー(真珠湾攻撃)

 これは深層心理で日本を恐れている、復讐されるのではないかという気持ちの現われではないでしょうか。

 平成20年(2008年)8月。米のライス国務長官(当時)が東京へ飛んできて2日滞在しましたが、なぜ突然来たのか誰もが不可解に思ったようです。どうもその10日前に麻生外相(当時)がワシントンに行ってライス長官に「アメリカが拉致問題を粗末に扱うなら、日本人は原爆所有を考えるようになります」と言ったらしい。来日したライス長官は一生懸命「アメリカの核の傘下を信じよ」と訴えました。日本の核武装を最も恐れているのは米国であり、深層心理で日本の復讐を恐れているのだと思います。

 白人らが日本を恐れ抱くのならどんどん利用してやればいいと思います。英霊たちが命を捧げて残してくれたものでしょう。ジャーナリストの高山正之氏は「日本は再び軍国主義に向かうのか?」(笑)と質問してくる外国人に対してこう答えているそうです。

「それはあなたたち次第だ。日本は、相手が紳士的に振舞う国であれば紳士的に付き合う。もし野蛮な、理不尽なことを押し付けてくるようならば、こちらもそれに応じて変化する。日本の軍国主義の復活を心配するというのは、あなたがたの中に日本に対して理不尽なことをしているという自覚があるからではないのか」

 日本外交は高山氏のいうスタンスでよいと思います。ただ、その前に日本国内で戦後のGHQの政策に洗脳され、反日イデオロギーに犯された「日本悪しかれ観」を持った人らをなんとかせんといかんでしょう。



参考文献
 講談社α新書「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)
 PHP「アメリカはどれほどひどい国か」日下公人・高山正之(共著)
 祥伝社「日本人の覚悟」日下公人(著)
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之共(著)
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  出撃直前(悪天候で翌日に延期)の第72振武隊の少年兵(PD)

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GHQの呪縛、プレスコードは生きている

「戦後」はまだ続いている。

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 昭和20年(1945年)9月21日、大東亜戦争後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって書物、新聞などを統制するために発せられた規則「日本新聞遵則」(プレスコード)が発せられ、日本の言論は厳しく自由を制限させられました。具体的には以下の内容が調べられました。

 ・連合国軍最高司令官(もしくは総司令部、以下SCAP)に対する批判
 ・極東国際軍事裁判批判
 ・SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判
 ・検閲制度への言及
 ・アメリカ・ロシア・英国・中国他連合国、朝鮮人、国家を特定しなくても連合国一般、満州における日本人取り扱いについて、それぞれへの批判
 ・連合国の戦前の政策に対する批判
 ・第三次世界大戦への言及
 ・冷戦に関する言及
 ・戦争擁護・神国日本・軍国主義・ナショナリズム・大東亜共栄圏その他の宣伝
 ・戦争犯罪人の正当化および擁護
 ・占領軍兵士と日本女性との交渉
 ・闇市の状況
 ・占領軍軍隊に対する批判
 ・飢餓の誇張
 ・暴力と不穏の行動の煽動
 ・虚偽の報道
 ・SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
 ・解禁されていない報道の公表

 検閲は一般の手紙にも及び、日本人にやらせるのです。100通の手紙を検閲して、5通が怪しいといって提出すると残りの95通を別の人にやらせて、もしズルして隠したことが発覚するとクビにするのです。即刻クビですから食糧不足の時代ですから明日から食べるものがない。実に卑劣なやり方です。

 広島の人なら峠三吉の詩「にんげんをかえせ」が発禁処分に処されたことをご存知の方もいるでしょう。終戦直後、アメリカの原爆投下を批判した鳩山一郎の記事がもとで朝日新聞は発行停止を喰らったことがあります。

 プレスコードはよく見ると現代に生きている部分があります。「神国日本」などそうでしょう。政治家が「日本は神の国」と発言するとマスコミは大バッシングを始めます。以前、毎日新聞ニュースで2・26事件の記事がでており、決起軍である青年将校の遺書を紹介していましたが、意図的に掲載しなかったと思われる一文がありました。「孝よ生を神州に享くる者只国に報ゆるこそ第一なれ」。学校教育やマスコミでは軍人の偉業を讃えるようなことはしません。テレビのニュースでは「我が国」「わが日本」というような表現はせず、「政府は」「政府与党は」という表現をしています。自分の国を「この国は・・・」と表現するのも聞かれます。第三者的視点にたって論じることは当然あるのでしょうが、「わが国」と表現すべきところでも使われていると思います。ナショナリズムにつながることを封じ込めてきた名残でしょう。

 平成19年(2007年)に安倍総理(当時)がインドに訪問して、チャンドラ・ボースの遺族に会ったことをマスコミは報道しませんでした。インド独立を日本軍が支援していたからです。戦争擁護、大東亜共栄圏につながるプレスコードにひっかかったのです。
 NHKや朝日新聞は支那、朝鮮批判には控えめでしょう。"シナ批判禁止"は現在では日中記者交換協定というものに変化して批判がかけないようになっています。
 以前、関門海峡で自衛隊の護衛艦と韓国船が衝突したとき、テレビニュースで大々的に報道しましたが、韓国側が全面的に悪いとわかると、報道を見事なまでにピタっとやめました。朝日新聞は犯罪を犯した朝鮮人は通名を使います。「北朝鮮」という呼び方も少し前までは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と長々しく書き、テレビでアナウンサーもそうしゃべっていました。「北朝鮮」と簡単に言えるようになったのは小泉首相(当時)に金正日総書記が、日本人の拉致を認めてからです。広島では北の核に極めて寛大でようやく最近になって批判が少しでてきたぐらいでしょう。

 「シナ」と呼ぶと差別だといわれるでしょう。石原都知事がそうよんでマスコミからバッシングを浴びていたことを思い出します。シナは英語のチャイナと同じなんですが、それは差別といわれないのです。「中国」というのは周辺の民族を野蛮人扱いして「東夷」「西戎」(せいじゅう)「北狄」(ほくてき)「南蛮」とよび自分の国だけを高い位にして呼ぶときの自称の言葉です。「東夷」は日本が含まれます。これはGHQプレスコードではなく、中華民国からの要請で、昭和21年(1946年)6月に公文書化されマスコミや学校から「シナ」の文字は消えました。ほんとは日本が「中国」と呼ぶのはおかしいのです。

 このように日本はまだまだGHQの呪縛から逃れておらず、マスコミは依然としてGHQの忠実なる下僕を続けているのです。



参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 WAC「渡部昇一の昭和史」(続)渡部昇一(著)
 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 文春文庫「閉ざされた言語空間」江藤淳(著)
参考サイト
 WikiPedia「プレスコード」「日中記者交換協定」「支那の呼稱を避けることに關する件」

添付画像
 東京都中央区築地にある朝日新聞東京本社 Auth:PRiMENON(CC)

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【絶対正義GHQ】
http://www.youtube.com/watch?v=wEpg_n_MiYY

浸透したマルクス階級闘争史観

知らず知らずに洗脳されていた日本人。

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 小林よしのり著「天皇論」で小林氏の助手のぽかQ君が皇居の一般参賀で「天皇陛下万歳」とまわりにつられてやりましたが、その後、懺悔するところが書かれています。

ぽかQ君
「実は万歳するのをためらった。俺はすごく抵抗があった。あの人たちが階級の頂上で、俺なんか底辺の身分なんだろうなあと思って!」

 こうした階級闘争史観は学校教育やメディアを通して日本人に浸透している感があります。歴史教科書では古墳は富と権力の象徴、貴族や武士が農民を搾取した、明治憲法は天皇が最高権力者、などと書いているものがあります。天皇は特権階級でも権力者でもないのですが、刷り込まれた人は天皇を特権階級とみなし、国民と対立軸にみるでしょう。

 実は私の妻も同じで、ある日私は聞いてみましたら、
「いつも一流のものを身につけ、一流のものを食べている特権階級の人」と答えました。ヤレヤレです。天皇は無私の存在であり、国民の安寧のために祈られる祭司王であることを教えなければなりません。

 また私の妻は企業も搾取的なものと捉えているようです。何か特別な主張を持っているというより自然にそんなイメージを持ってしまっているようです。経営者と労動者を対立軸に考えています。
 日本型企業というのは日本の「村社会」を肩代わりしており、わかりやすいところでいえば冠婚葬祭を手伝ったりしているでしょう。退職金制度などの福利厚生もそうで、老後や社員の家族らも含んだ考え方をします。そして日本型企業は理念型経営であり、「金儲け」でなく、「企業理念」を中心におきます。企業の所有者は株主というより社員に重きをおきます。そして企業活動の目的を顧客、社員、株主、地域社会といったステークホルダーズを融合したところにおきます。欧米などではやたら多い役員がバカ高い報酬をもらい、株主が利権を主張しますが、日本ではそのようなことはありません。

 学校教育やメディアの報道に染まってしまうと、ポカQ君やわが妻のようになると思います。もちろん私も社会人になったばかりのときは同じでした。

 会社で退職するときに余っている年休を全部消化したいという社員がいると思いますが、階級闘争史観でみると労働者の権利であるとし、経営者と対立軸で考えます。権利は行使するもの、それによって生ずることは会社が何とかするもの、と考えます。おそらく「それはそうだ」という人が多いと思います。しかし、日本型の考えは年休というものは一人が年間これぐらい休んでも周りの人や顧客に迷惑がかからないだろう、一年間通して計画的にそれぞれ取得していきましょう、という考え方をします。上記に書いたようにCompany by employee's(会社を構成するのは従業員)という考え方があるのです。そしてCompany for stakeholder'sといって会社は誰の"ため"のものかを追求しています。

 メディアも弱者に注目して権威や権力を敵視する報道をしますね。以前、派遣村のことが話題になったことがありますが、派遣でクビになった人にスポットを当てて企業がひどい、政府が悪いといわんばかりの報道をします。不況になる以前は派遣社員の組織にしばられない生き方、生活に仕事をあわせる生き方にスポットをあてて賞賛していたはずです。派遣村がマルクス系のイデオロギーに利用されていることも報道しません。

 このように我々は何でも階級闘争を通して物事を見る癖をつけさせられているのです。この階級闘争の思考はユダヤの二元論的思考法がもとになっており、マルクスが虚構理論を作ったのです。このような見方では物事の本質を見誤る危険があります。これは注意しなければならないことでしょう。



参考文献
 小学館「天皇論」小林よしのり(著)
 週刊東洋経済2006.2.18「ミスターWhoの少数意見 リンカーンと"会社は誰のもの"」
 日新報道「日本人に謝りたい」モルデカイ・モーゼ(著)
 
添付画像
 皇居を大手町付近から撮影(JJ太郎 PD)

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日本嫌いの日本人「ジパノフォビア」

おそろしきジパノフォビア。

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 教育学博士の若狭和朋さんは16世紀に最盛期となった「太陽の没することなき帝国」スペイン大帝国はイスパノフォビア(スペイン嫌悪)という自虐に陥り凋落していったと述べています。

イギリスを自慢しているやつはイギリス人だ。
ドイツの悪口を言っているやつはフランス人だ。
スペインの悪口を言っているやつはスペイン人に決まっている。


 イギリスやオランダがスペインに対してプロパガンダ攻撃をしたためスペイン人は自虐に陥っていったのです。以下、プロパガンダの一部です。
「彼ら(スペイン人)は村々へ押し入り、老いも若きも、身重の女も産後間もない女もことごとく捕らえ腹を引き裂き、ずたずたにした」
「彼らは、誰が人たちで身体を真っ二つに斬れるかとか、誰が一撃の下に首を切り落とせるか・・・賭けをした」
「漸く足が地につくぐらいの大きな絞首台を作り・・・13人ずつその絞首台につるし・・・生きたまま火あぶりにした」


 こうしたプロパガンダによってスペイン人は自信を喪失し、自己嫌悪に苦しみ、自虐に親しみ、寂しく自国を嘲笑する国民になってしまったのです。

 これは現在の日本人にも言えることで、GHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムによって日本は侵略国家だった悪いことをした国だと教えられており、捏造の歴史で内外から攻撃されている通りです。「南京虐殺」「従軍慰安婦」「強制連行」・・・

 以前、ブログで「フランクフルト学派」の記事を書いたとき、こんなブックマークコメントが入っていました。
《「誇りある日本、美しい日本へ」最近そういう人は発見即非表示にしています 》

 日本に誇りがもてない、ジパノフォビア(日本嫌い)の例といえます。案外多くいると思います。普通に生活していくと学校教育やメディアのせいでそうなると思います。

 上智大学名誉教授の渡部昇一さんも著書の中で警告を発しています。
「日本人は日本人自身の目で日本の歴史を見るのではなく、占領軍あるいは復讐意識で凝り固まったチャイニーズ、コリアンたちの目で歴史を見るように仕向けられた。とりわけそうした"色眼鏡”をかけさせられ反日的日本人になったのが、日教組の手で戦後教育を受けた世代の人たちです。」

 渡部昇一さんの娘さんはジュネーブの日本人学校で教えているそうで、日本の外交官や商社マンの子弟が大勢きています。ある日子供の作文にこんなことが書いてあったそうです。

「日本がアメリカから原子爆弾を落とされたのは自業自得だと思います。」

 おそろしきジパノフォビアです。英国も植民地を失い国民が自虐に陥ったときがありました。米国もベトナム戦争で負けたときに自虐に陥ったときがありました。どうやって立ち直ったかというと教育改革でした。しかし日本の現政権は日教組がバックにいるため、教育改悪しかできないでしょう。日本嫌いの日本人が増えていくことが懸念されます。



参考文献
 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 徳間書店「日本を賤しめる『日本嫌い』の日本人」渡部昇一(著)
参考サイト
 WikiPedia「スペイン」
添付画像
 16世紀のスペインのガレオン船(PD)

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戦後になって民主主義になったというウソ

戦後日本人はウソを教え込まれた。

Ghq


 戦前は民主主義ではなく、戦後になってGHQが日本を変え日本国憲法が定められ民主主義になりました、と私は教えられて育ちました。ああ、GHQってありがたかったのか。戦前はひどかったのか。日本人は解放されたのだ、と思って大人になりました。

 ポツダム宣言という連合国から日本の降伏条件を記した宣言書の十項にこう書かれています。


「日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化における一切の障害を除去すべし」

 「民主主義的傾向の復活強化」と書かれており、戦前民主主義的傾向があったと言っています。これはイギリスの日本専門家であるサムソン卿が加筆したものです。

 昭和21年1月1日に昭和天皇は「新日本建設に関する詔書」を発布し、一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。 一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし・・・と明治天皇の五箇条の御誓文を提示し、日本には独自の民主主義があることを強調しています。明治天皇の五箇条の御誓文は自由民権運動、大日本帝国憲法につながっています。

 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」で有名な武士道を説いた「葉隠」にも「正義」という分別に対して自分の信じる正義が確認され、実証されるためには、第三者の判断を待つ、という民主主義の原理が取り入れられており、古くからの日本の伝統であったことが伺われます。

 戦争中は戦時体制として軍部が主導権を持っていましたが、もともと日本には民主主義の考え方があったのです。戦時体制化でも国民の声の影響力は強く、東條英機は首相のときに、市中に出かけ、衣料品が不足している、おしめに困っている、砂糖が足りないなどの主婦の声を聞いてまわっています。対米開戦に踏み切ったのも国民が支持したからです。幣原外交に代表される弱腰外交に怒り、アメリカの執拗な嫌がらせに国民が怒ったのです。

 戦後の婦人参政権や男女平等に基づく労働基準法というのは実は大日本帝国憲法下の帝国議会で日本主導で行っています。婦人参政権はワイマール時代にドイツ留学した堀切善次郎内相と大正デモクラシーの普通選挙法を担当した坂千秋次官で行われています。大日本帝国憲法は先に書いたように五箇条の御誓文、自由民権化運動の結晶であり、運動婦人参政権や労働基準法を認めるのになんら障害にはなっていなかったのです。言論の自由や結社の自由は東久邇宮内閣が組閣(昭和20年年8月17日)直後に方針を出しています。

 このように何でもかんでも戦前は悪で、戦後のGHQが与えた民主主義によって光がもたらされたというのはGHQがつくったウソで、GHQに媚びるマスコミや知識人たちが広め、彼等はそういってきた以上、自分達の権益を守るため「ウソでした」とは言えなくなって今日に至っているのです。



参考文献
 小学館文庫「『真相箱』の呪縛を解く」櫻井よしこ(著)
 PHP新書「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政(著)
 文藝春秋「父が子に教える昭和史」『民主主義』岡崎久彦
 中公文庫「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子(著)
 新潮文庫「葉隠入門」三島由紀夫(著)
参考サイト
 昭和天皇「新日本建設に関する詔書」(国立公文書館)
  http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&REFCODE=A04017784700
 WikiPedia「五箇条の御誓文」
添付画像

 動画より

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封印された動画.flv
http://www.youtube.com/watch?v=sXIAWMZkoPA

松下幸之助に見る武士道

武士道は受け継がれていた。

Srsa

 今の平和な時代は死を傍らに意識して生活したり、命をもって事にあたるような必要はないし、そのようなことは存在しないようにも見えます。面白い話があります。
 松下電器(現パナソニック)を創設した松下幸之助さんのエピソードで松下電器の洗濯機が他社に大きく差をあけられてしまったときのこと。会議上でのやりとりです。

幸之助
「他メーカーに劣るような洗濯機をつくっとったのでは、後れをとるのは当然や。将来のことを考えても大問題だと思う。なぜ、そんなものができたのか。きみ自身が本当に命をかけて洗濯機というものをつくっていないのと違うか!」
製造責任者
「いや、まことに申し訳ありません。しかし、あと3カ月だけ待って下さい。3カ月のうちに必ず営業や社長の期待に添うような洗濯機をつくってみせます」

 製造の責任者がその意気込みのほどを見せたので、これで会議が終わるとその場にいた全員が思った。しかし、幸之助は、厳しい調子でさらに続けた。

幸之助「
わかった。3カ月待とう。3カ月待つけど、3カ月たって優れた製品ができなかった場合は、きみ、どうするか。そのときはきみの首をもらうがいいか。その血の出る首だよ! きみ! 首をくれるな!」。そう言って、手をぬっと差し出したのである。

 この話は、物つくりは命をかけるほどの思いで取り組まなければならない厳しいものだという幸之助さんの考えを伝えています。松下幸之助さんは著書「指導者の条件」の中でも閔妃事件の後始末を行うとき、小村寿太郎が勝海舟に教えを請いに行った時のことを取り上げています。

勝海舟
「自分も江戸開城などの大きな交渉で苦労してきたが、結局いえるのは、死生を意にとめたら仕事はできないということだ。身命なげうち、真心を込めてやるという腹さえ決まっていれば、あとはその場合その場合で考えたらいい」

幸之助さんは「命をかけるほどの思いがあって、はじめていかなる困難にも対処していく力が湧いてくるのだと思う。」と述べています。

 この幸之助さんのエピソードは「葉隠」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」に通じるものがあります。「葉隠」というのは江戸時代中期に肥前国鍋島藩藩士、山本常朝の武士としての心得を記録したものです。「死」を常に意識し、生か死かの選択のときには「死」を選べば「恥」にはならない。これが武士道の本質であり、この武士道の本質を得たなら生涯誤りなく奉公ができる、というもので、「生」を輝かせるためのものです。また、「葉隠」では「武士道は死に狂ひなり」とも言っており、これは正気でいては、大仕事も達成することができない、ということを言っています。松下幸之助さんは、武家の末裔ではありませんが、日本人として「武士道」をなんらか感じ取っていたのでしょう。

 こうしてみると現代でも「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」は通用するし、実は日本人の中に生きている、あるいは日本人が必要としているもののように思います。



参考文献
 PHP文庫「指導者の条件」松下幸之助(著)
 「商人道」佐藤悌次郎
 新潮文庫「葉隠入門」三島由紀夫(著)

添付画像
 松下電器歴史館の松下幸之助像 Auther:Rsa氏

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