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50.歴史

マスターズ・カントリーがない日本

高い文化資本がその秘密だった。

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 「一度も植民地になったことがない日本」の著者、デュラン・れい子さん(アーティスト)はオランダのアムステルダムの画廊で版画の個展をやったとき南米のスリナムというオランダの植民地だったところから来た掃除係の女性にこう聞かれました。

「私は日本について何も知りません。日本のマスターズ・カントリーはどこなんですか?」

 れい子さんは何のことかわからずキョトン。マスターズ・カントリーは支配していた白人の国のことですが、日本人としてはすぐには何のことかわからないでしょう。スリナムの女性はオランダに来るまでアーティストとうい職業があること知らなかったといいます。先進国以外の国は食べることが優先で、そのような職業は公認されていないのでしょう。れい子さんはスリナムの女性は同じ有色人種なのに、なぜ日本人はマスターズ・カントリーが無く、白人らと同等に生活ができるのか不思議に思ったのではないか、と述べています。オランダでは外国からの労働者、特に旧植民地から働きに来た人をオランダ国籍の取得有無を問わず「ゲスト・ワーカー」と呼びます。でもキャノンやトヨタで働く日本人はそう呼ばれません。

 メキシコのチャバスというマヤ文明の名残のある街があります。もともとの住民はスペイン人によって男は皆殺しにされ、女は強姦され、メスティーソという白人とラテンアメリカの先住民の混血がほとんどになってしまいました。純粋なマヤ族の女性は「なぜ先祖はスペイン人と結婚しなかったのか」と言って恨んでいるといいます。メスティーソなら都会に出れたのに、と。メスティーソはスペインに行くと「父の国に来られた」と喜ぶそうです。植民地になり、文明を抹殺されるということはこういうことなのです。

 白人の植民地だった国は今は独立したとは言え、まだまだ発展途上国の地位は低いものです。日本人が他の有色人種と異なり、白人と肩を並べて渡り合えるのは明治維新以降、近代化を遂げ、独立を維持し、白人を相手に日露戦争、大東亜戦争を戦い、敗れても経済大国になったからです。

 日本の近代化がなぜ成功したのか?比較文化学者の金文学氏(満州の韓国系三世 日本に帰化)は日本の文化資本の強さをあげています。知識、知性、教養、マナー、伝統的なものを指し、それは社会資本よりも強いというものです。明治期の識字率は50%を超えていました。それは当時の世界最大の国、イギリスの20%を超えていました。ジャポニズムブームを起こした精錬された美、こうした高い文化資本を持っていた国だから西洋文明を吸収していくことが可能であったといいます。

 元自衛隊一佐の池田整治氏の父は軍人で、日本敗戦後シンガポールに抑留されました。イギリス軍との交渉の席上、部下に清書するようメモを渡すとイギリス軍将校が「日本の兵隊(下士官以下)は文字が書けるのか」と質問してきました。池田氏の父は「日本人なら誰でも読み書きソロバンはできる」と答えるとイギリス人たちはびっくりしました。池田氏の父は「部下を無事に日本に連れて帰れば日本は必ず復活する」と確信したといいます。日本の高い文化資本に気がついたわけです。そしてその通り日本は廃墟から立ち上がり経済大国となりました。

 こうした日本の高い文化資本は一朝一夕にできたものではなく、我々の先人が2600年もの年月をかけ育ててきたものです。そのお陰で日本はマスターズ・カントリーを持たない稀有な国として現在の地位にいれるわけです。われわれは先人に感謝しなければなりません。



参考文献
 講談社α新書「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之共(著)
 南々社「広島人に告ぐ!我々は平和を叫びすぎる」金文学(著)
 ビジネス社「マインドコントロール」池田整治(著)

添付画像
  鈴木春信の絵(PD) 江戸時代、日本の識字率は高かった。

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先人たちの創り上げた国、日本
http://www.youtube.com/watch?v=y-gK3jT0bNU

奴隷制度を憎んだ日本人

日本人は昔から非人道的な奴隷制度を憎んだ。

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 カール・ツンベルク、日本語表記ではツンベリーといわれています。スウェーデンの植物学者で医学者でもあります。1771年オランダ東インド会社に入社し、ケープタウン、セイロン、ジャワを経て、1775年(安永4年)8月にオランダ商館付医師として出島に赴任。翌1776年4月、商館長に従って江戸参府を果たし徳川家治に謁見しました。ツンベリーは、わずかな江戸滞在期間中に、吉雄耕牛、桂川甫周、中川淳庵らの蘭学者を指導しました。1776年、在日1年で出島を去り帰国し、1781年、ウプサラ大学の学長に就任しました。

 ツンベリーの逸話に日本人から冷たい視線を受けたというのがあります。ツンベリーはオランダ人として来日しているので、日本人にはオランダ人だと思われていました。オランダは奴隷貿易をしており、日本人はそれを蔑んでいたのです。有色人種が白人を蔑視するなど想像もしていなかった彼は随分戸惑ったようです。ツンベリーの著書にも次のような記載があります。

「日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている」

 日本は明治維新以降、人種平等を掲げていましたが、江戸時代からも人種差別を嫌っていたことがわかります。幕末の頃はポルトガル人も日本に来ると見下されるのでわけがわからなかったといいます。幕末の書には「奴隷制度を廃止しない連中は犬畜生だ、人の道に反している」と書かれているそうで、攘夷論とあいまって白人の行いを憎んでいたのでしょう。

 明治5年(1872年)、上海からシナ人を船に乗せてアメリカ大陸で奴隷として売り飛ばすペルー船籍のマリア・ルス号が修理のために横須賀港に入港したとき、脱走したシナ人がイギリス軍艦に助けを求めました。イギリス在日公使からの要請をうけ、副島種臣外務卿(外務大臣)はシナ人救助を命じています。ペルー側は怒りましたが、ロシア皇帝が仲裁裁判を行い、日本側が勝訴しています。(マリア・ルス号事件)

 日本の歴史の中で国家的に奴隷制度を敷いたというようなことは見当たらず、シナの魏志倭人伝に日本人が奴隷を連れてきたと書かれていますが、シナの史書はそもそも政治のために「造る」ものですから怪しい。日本の人種平等的、人道的な考え方は2000年の歴史によって醸造されたものでしょう。

 大正8年(1919年)のベルサイユ条約で日本は「人種平等案」を提出しました。この提案は17票中11票の賛成を得ましたが、アメリカ大統領のウィルソンとオーストラリアが組んで潰されました。ウィルソンは議長であり、全会一致を主張して不採択としたのです。

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「日本の提案の真意は、移民に関する諸問題を国際連盟の支配下に置かんとするものにして、斯くの如きは国家の威厳を害し、主権を毀損せしむるものなり」

 日本は伝統的な考えに基づき人種平等を提唱したわけですが、日本の台頭は奴隷制度によって国家を成り立たせている白人にとって危険な存在となっていました。大東亜戦争はこのとき既に始まっていたと言えるかもしれません。



参考文献
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之(共著)
 PHP「アメリカはどれほどひどい国か」日下公人・高山正之(共著)
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 平凡社「江戸参府随行記」C.P.ツュンベリー(著) / 高橋文(訳)
 転展社「大東亜戦争への道」中村粲(著)

参考サイト
 WikiPedia「カール・ツンベルク」

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 奴隷船 1869年のもの(PD)

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日本のパスポートの実力、国家のありがたさ

世界に冠たるわが日本。

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 先月、コンサルタント会社ヘンリー&パートナーズが「パスポートの能力」ランキングを発表していました。日本はアジア最上位の5位です。ビザなしで入国できる国の数を反映した「ビザ規制指数」から決められたと報じています。デンマークが1位。スウェーデン、フィンランド、ドイツが同列で2位。3位はイギリス、オランダ、フランス、ベルギー。4位はルクセンブルク、イタリア、アメリカです。

 実感として日本のパスポートの実力はどうなのでしょう。台湾出身の評論家・金美齢さんは日本国籍を取得しました。自身の子供たちには早くから日本国籍をとらせたものの自分たち夫婦は台湾籍(中華民国)のままでした。しかし、平成20年(2008年)の民進党の敗北により、これまでの努力や矜持、そういうものが一気に弾けたような気がした、と述べています。

 金さんは「日本のパスポートはミシュランガイドの星三つより実力がある。五つ星といえる価値がある」と述べています。中華民国籍だったときはビザを取るのに非常に苦労されており、外国で足止めをくったりしました。
 スペインのビザでポルトガルへ行こうとしたときのことです。イミグレーション(出入国管理)がないだから大丈夫だろうと思っていたところ、飛行機内でイミグレーションを通るようアナウンスがありました。同じラテンの国だから何とかなるだろうと期待していましたが、やはりイミグレーションで止められ、オフィスに連れていかれました。

「私たちはフォルモサ(台湾の別称)の人間です。かつてポルトガル船が台湾を通った時に、台湾を"フォルモサ"(美しい国)と呼んだんですよね」

金さんはこう説明しましたが、台湾とは国交がないとして帰るよう命じられました。

 イタリアのビザをとるときも、現金から通帳まで見せなければならなく、職業欄に「作家」と書いても、在日イタリア大使館の窓口で「作家かどうか、どうやって証明するんですか?」といわれて完全に頭に来ました。「どうして真面目に生きてきた私が、こんな屈辱的な目に遭わされるのか」と思ったそうです。

 上智大学名誉教授の渡部昇一さんは50年前にアジア・アフリカ学生会議に日本代表として参加したときのこと、当日にもなってこない国があったそうで、国境からなかなか先に入れなくて足止めを喰らっていたのだそうです。鉄のカーテン下のブタペストで開催された書物の学会に参加すべく、入国審査をすると他の国の人は手荷物の中まで調べられているのに、自分はパスポートひとつでどこでもスイスイと通れたと述べています。前述の金さんは「日本人はパスポートのありがたみを知るべきです。そのありがたみがわからない人は『国家』というものがわからないでしょう」「日本という国に生まれたことを日本人は感謝すべき」と述べています。

 先人たちの知恵と努力によって築かれたわが国日本は世界に冠たるものです。現在を見れば経済大国、技術大国としての日本があります。日本独自の優れた文化も評価されていることでしょう。民度の高さも評価されているでしょう。そして日露戦争、大東亜戦争で白人とがっぷり四つで戦い、「カミカゼ」を生んだという歴史も世界は畏敬の目を持っていることでしょう。ローマ法王と並ぶかそれ以上の権威である天皇陛下の存在も大きいでしょう。

 日本国内を良く見てみると長寿の国であり、娯楽もあり食べ物もあります。教育も充実しており、セーフネットも生活保護年収約300万(障害2級、3人家族の場合)と充実しており、障害者福祉も充実しています(現在負担になっていますが)。そして世界一治安がよい国です。マスコミのいう犯罪の急増、凶悪化、低年齢化は統計を見ればウソということがわかります。保険証さえあれば自己負担3割ですむ健康保険制度は世界でも珍しい優れたものです。月額自己負担が8万円超えればストップするシステムも大したものでしょう。

 日本はすばらしい国です。世界が認めています。しかし、日本のマスコミは悲観論、自虐説ばかり流してウケを狙います。「格差」だ、「貧困」だ、姥捨て山だ、学級崩壊だ・・・等など。NGOセーブ・ザ・チルドレン調査(07年)「子どもの発達指標」137カ国中1位。「環境的にすみやすい国」(米リーダーズダイジェスト調査)12位、英BBCの「世界によい影響を与えている国」は常時ベスト3入り、今年は第一位。・・・こうしたことは一つも報道しません。

 「国というものがわからない」というトボけたことをいう政治家や自分は"地球市民"などとほざくような人、国旗掲揚、国歌斉唱に反対する"あんぽんたん"は一度日本国籍を捨ててみるといいでしょう。日本国家の良さ、ありがたさが良くわかるでしょう。


参考文献
 ワック出版WiLL2010.3「国家とは何か、国民とは何か」渡部昇一・金美齢
 WAC「戦後の日本人の忘れ物」金美齢(著)
 小学館「SAPIO」2009/7.8
  『なろうと思えばホームレスにもなれることこそ日本の”豊かさ”だ』日下公人
  『犯罪、急増、凶悪化、低年齢化、はマスコミの嘘』浜井浩一
  『生活保護の年収300万は果たして弱者に厳しい国だろうか』SAPIO編集部
参考サイト
 「パスポートの能力」ランキング、1位はデンマーク、日本は5位―中国メディア:2012年9月10日 http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=64497

添付画像
 2006年3月以降の日本のICパスポート 10年用 Auth:Muttley(CC)

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世界各国のホテルで、最も評価が高いのは「日本人」 www.youtube.com/watch?v=vKc0QtBg0_c

日本人は子供を可愛がった

日本人は子供を神聖なものとして見ていた。

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「江戸の街頭や店内で、はだかのキューピットが、これまたはだかに近い頑丈そうな父親の腕に抱かれているのを見かけるが、これはごくありふれた光景である。父親はこの小さな荷物を抱いて見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこちを歩き回る。ここは捨て子の養育院は必要でないように思われるし、嬰児殺しもなさそうだ」イギリス公使 オールコック 安政6年(1859年)来日

「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断していると、子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい」エドワード・S・モース 考古学者 明治10年(1877年)来日。

「私はこれほど自分の子供に喜びをおぼえる人々を見たことがない。(中略)他人の子供にもそれなりの愛情と注意を注ぐ」イザベラ・バード 女性旅行家、紀行作家 明治11年(1878年)来日。

 英国人ジャーナリスト エドウィン・アーノルドは「街はほぼ完全に子供たちのものだ」といい、スイスの外交官アンベールは「日本人の暮らしぶりで一番利益を受けるのは子供たちである」、イギリスの書記官オリファントは「子供の虐待を見たことがない」と述べています。

 民俗学者の宮本常一氏(故人)はエコノニミー(子供本位の呼称法)のあるところは非常に子供を大事にする風習がある、と述べています。一郎くんのお父さん、花子さんのお母さん、という具合に本人の名を呼ばずに子供中心の呼び方をするのがそうだといいます。

 西尾幹二著「GHQ焚書図書開封」を読んでいると焚書された戦前の本の中に日本軍兵士が現地の子供に注意引く様子が出ています。以下、マレー攻略の話です。

「避難民は日本軍の幕舎の傍らを通ると、腰をおろして動こうともしない。兵隊は攻撃準備のために目がまわるくらい忙しいのであるが、可愛い子供など見ると、つい手をとってあやしたりする。開戦当初は日本兵を見ると逃げ回っていた住民たちも、今では規律正しい日本軍にすっかり慣れて、日本兵の傍らにおれば一番安心だと考えるようになっていた。そして何やかやと、兵隊の手伝いさへ自分からするようにまでなっていた」
星港攻略記(昭和17年5月)

 上海事変の書でも日本兵が孤児となった支那の子供と遊んでいて情が移り別れが辛かったということが書かれています。日本人の子供好きは戦前まで受け継がれていました。大正9年(1920年)に日本はシベリアからポーランド孤児を救出していますが、八紘一宇の精神のほか、子供好きの日本人の心を揺り動かしたがための行動だったのかもしれません。

 長岡藩城代家老の家柄だった稲田家の六女の杉本鉞子(えつこ)(明治五年生まれ)のエッセイに鉞子が初めて子供を生んだとき、母から絵本が贈られてきたときのことが書かれています。この絵本は鉞子が子供の頃に母から絵にまつわる話を聞かされたもので「剣の山」のところに印がありました。「剣の山」の話はわが子ばかりに愛情を注ぎ、他者への愛情や思いやりを忘れることを戒める話でした。母から子へ伝承していっていたのです。また、江戸時代は子育て論を書いた本は男性が男性向けに書いたものがほとんどだったといいますから驚きです。

 日本人は非常に子供が好きでとても大切にしていました。他人の子供にも愛情を注いでいました。子供を中心にそえて生活していました。今はどうでしょう。個人主義で人生は自己を中心におくような時代になりました。子供の虐待がニュースを賑わす世の中になってしまいました。戦後に失われてしまった日本のよき伝統の一つでありましょう。


参考文献
 小学館新書「明治人の姿」櫻井よし子(著)
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 岩波文庫「大君の都」オールコック(著)/ 山口光朔(訳)
 平凡社ライブラリー「逝きし世の面影」渡辺京二(著)
 平凡社ライブラリー「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」宮本常一(著)

参考サイト
 WikiPedia「イザベラ・バード」「エドワード・S・モース」

添付画像
 「日本兵と中国人の子供」江南地方(昭和12年11月6日) ~ 日新報道「南京の真相」より

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歴史を貧困にみたらあかん ~ 松下幸之助

人を不幸にする見方はあかんな。

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 上智大学の名誉教授、渡部昇一さんは、「歴史というものは暗くも明るくも語れる。史実の並べ方ではどうにでもなる」と述べています。

アメリカの明るい歴史
「信仰の自由を求める聖なる有志ピルグリム・ファーザーズが苦労しながら独立宣言をし、憲法をつくり、そして自由主義と民主主義を世界に広めた」

アメリカの真っ暗な歴史
「ヨーロッパで食い詰めた連中が船に乗ってアメリカにわたり、おとなしく親切な先住民から食べ物をもらっていたが、力をたくわえてきたら、自分たちに報いてくれた土着の人々を殺し始め、バイソンや旅行鳩と同じく絶滅寸前に追いやり、生き残った人たちを一定の地域に押し込めた。そうして労働力不足になると、アフリカから黒人を連れてきて、ローマ帝国以来の奴隷帝国を作った」

 どちらも事実であり捏造歴史ではありません。私はどちらかというと後者のイメージが強いですが・・・

 パナソニック創業者の松下幸之助さんは高校の歴史講座をテレビで見ていて、その先生が古事記とか、日本書紀の作られた過程や、奈良の大仏の建立の説明しているのを見て、秘書の江口克彦氏に電話してこう述べています。(昭和51年、1976年)

「テレビ見とったらな、高校の歴史講座というんかな、日本史の講義を、どっかの大学の先生がやっておったけどな、それを見ておったら、あの古事記とか、日本書紀の、そのつくられた過程を説明しとるんや。ところがな、それが、いかにも天皇の作為というか、天皇さん個人が自分の都合のいいように作ったんや言うて説明しとるんやな。八つの島をつくったとあるが、あれは"こうとうむけい"な話なんだと言うとるんやな。また奈良の大仏さんの建立にしてもな、多くの民衆の塗炭(とたん)の苦しみによってできたんやと言うとるんやな」

 戦後、公職追放がなされ、教育界やマスコミのドンであるNHKに共産主義者やフランクフルト学派が入り込み、マルクス主義史観が席捲したことがよくわかる話です。

「そりゃそういう面もそれぞれにあったかもしれんけど、一面、天皇さんにしても、日本をよく治めたいという思いもあったやろうし、大仏をつくるんでも人心の安定とか、仏教の興隆を願うといったそういう思いもあったろうと思うな」

「それを、もう全部悪かったように言うとるんやな。なんとか日本をよくしたいという思いでやったことも、いわば悪意で解釈している。どんなことでも、いろいろな考え方が含まれているんやから、それを考えるときには、みんなが幸せになるようにとらえんといかんのやないやろうか。日本の歴史が偽りの歴史であり、邪悪な歴史であると考えたりする姿は、自分の国、自分たちの祖先を貧困に見ている姿や。
 なんでもそうやけど、いったい悪意からなにが生まれるんやろうか。せっかく日本はいいものを持っているのに、わざわざ悪くするようにするのは、まるで金になるものを、サビた鉄にしようとするのに似てるな。歴史については、いろいろな見方、考え方もあるやろうけど、人間を不幸にする見方、考え方はあかんな。こういう考え方がされているとするならば、日本の将来、日本の未来にとって重大な問題だと思うな」


 我々日本人は戦後、マルクス主義史観を刷り込まれてきました。搾取する側と非搾取側の二元論で考えるよう仕込まれました。政府VS国民、天皇VS国民、企業VS国民。そして捏造と歪曲の東京裁判史観により「戦前真っ暗」と刷り込まれ、あるいはその延長上の司馬史観によって「明治の栄光と昭和の破滅」で押さえ込まれてきています。それは戦後GHQフランクフルト学派により仕組まれたものです。それらは日本弱体化や共産革命といった悪意ある意図から仕組まれたものです。我々はそれに縛られることなく、歴史を貧困に見ることなく、日本の歴史から伝統的にいい物を学び、未来を育てていきたいものです。



参考文献
 ワック出版「歴史通」2009.7『唇に歌があふれていた日々』渡部昇一
 PHP文庫「松下幸之助随聞録『心はいつもここにある』」江口克彦(著)

添付画像
 松下電器、国民ソケットの昭和10年(1935年)のポスター(PD)


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アメリカは正義の国か

アメリカは昔も今も腹黒い。それを見抜けぬお花畑論者たち。

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  アメリカの独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンは「人類は等しくつくられた」と言いましたが、彼は黒人の女性奴隷を所有し、子を孕ませています。

  リンカーンは黒人奴隷制の廃止を宣言したことで有名ですが、彼はダコタ族の討伐命令を下し、集団処刑しました。また、黒人の代わりにシナ人を奴隷にしました。

  日露戦争のとき、日本軍が勝利しはじめるとアメリカの新聞は戦争の結末を予想し始めました。
「日本はペンシルバニアの会社に軍用トラックと鉄道資材を大量注文した。ロシア陸軍を翻弄してきたクロキの軍がさらに北に展開するための準備と見られる。目的地はロシアの最大の拠点ウラジオストクで、制海権を失ったいま、陥落は必至だ」
  太平洋の覇権と大陸の権益を狙っていたセオドア・ルーズベルトは日本の力が強くなるのを恐れ、講和の仲介に乗り出しました。日露戦争後は反日に転換です。

  フランクリン・ルーズベルトはアメリカ市民に
「あなた方のご子息がいかなる外国での戦争にも送られることはありません」と約束しておいて、マッカラムメモランダムという戦争挑発行動8項目の戦争開始計画を実行し、日本を戦争に引きずり込み欧州参戦を果たしました。

  第二次世界大戦でドイツ降伏後、トルーマンは日本になかなか降伏勧告せず、ポツダム宣言も陸軍長官スティムソンの原案から、天皇の地位保全条項を削り、日本が絶対に受け入れないように細工して原子爆弾を広島と長崎に投下しました。スターリンやチャーチルに対して力を誇示するためです。

  戦後、アメリカは食糧不足の日本に牛や馬の餌用のトウモロコシや脱脂粉乳を売りつけるという偽善をやりました。
  マッカーサーは「民主的」といって日本国憲法を押し付けましたが、作成したのは共産主義者であり、二段階にわけて日本を共産化する目的の憲法でした。
  マッカーサーは日本の水道水に殺菌のため塩素を入れるよう指示しました。在日米軍は
「日本の水道水はポイズン(毒)が入っているからそのまま使えない」と言います。

  レーガンは雇用の創出のために日本企業を誘致しましたが、進出した企業は屑ビルなどを掴まされ、詐欺にやられました。1980年代にはカリフォルニアに800の企業が進出し、雇用の30%を支えていましたが、90年代には1年で100社ずつ減っていきました。

  サブプライムローンというインチキ商品を世界にバラまいたアメリカは困って黒人を大統領にしました。オバマは「核なき世界」をうたいましたが、国際テロリストへの核流出、中共への牽制、米国の優位保持が目的であり、日本の核武装を抑止する効果もあります。偽善をうたいアメリカの国益を守るということです。おめでたいどこかの市民は「オバマジョリティー」とか言ってお花畑を咲かせました。独立総合研究所社長の青山繁晴氏によると
「オバマさんは原爆投下をついに反省したんですか」と聞いてくるお花畑市民がいたそうです。そんなバカなわけありません。オバマはこう思っているでしょう。「原爆投下は日本の自業自得だ。だって平和祈念公園に『過ちはもう繰り返しません』って書いてあるじゃないか」

  アメリカはご都合主義であり、昔も今も腹黒い国です。



参考文献
 PHP「アメリカはどれほどひどい国か」日下公人・高山正之共(著)
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之(共著)
 文藝春秋「真珠湾の真実」ロバート・B・スティネット(著)
 文藝春秋「日本よ、歴史力を磨け」櫻井よしこ(編)
 WiLL2010.3月「本家ゴーマニズム宣言」『日本的世間と、わしの個人主義』小林よしのり
 オークラ出版「反日マスコミの真実」『消え行く言論の自由』青山繁晴 西村幸祐 三橋貴明
 転展社「戦後日本を狂わせたOSS日本計画」田中英道(著)
 ビジネス社「マインドコントロール」池田整治(著)
添付写真
 アメリカ第3代大統領トーマス・ジェファーソン(PD)

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マニフェスト・デスティニー

白人の侵略の歴史。

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 1898年、米国はスペインと戦争を起こしました。キューバ、フィリピン、グアムが主な戦地になります。フィリピンは当時スペインの植民地で「独立させてやる」という米国の甘い言葉に乗ってスペイン軍と戦います。しかし、米国はフィリピンを植民地にしてしまいました。フィリピン人は抵抗して戦いましたがアーサー・マッカーサー(ダグラス・マッカーサーの父)の指揮で住民を殺しまくり、餓死させ、その数60万人にのぼったといわれています。(米比戦争, 1899年-1913年)

 アーサー・マッカーサーはサマール島で住民を殺しまくる米兵が逆に殺されると、報復としてこの島と隣のレイテ島民を皆殺しにします。あまりにも残忍だったので昇進を逃したといわれています。この後、フィリピン人は米軍の恐ろしさを体験し、もはやアメリカだけには反抗できなくなりました。フィリピンの小学校では全教科書が英語で行われ、教室にはワシントンの写真が貼られました。
 昭和16年(1941年)、日米開戦となるとフィリピンの米軍はダグラス・マッカーサーが指揮官となっており、日本軍を侮ったためコレヒドール島から逃げ出しましたが、二年後に再びフィリピンに戻り、レイテ島にやってきました。「島民は歓喜して出迎えた」と彼の自叙伝には書かれているそうですが、この島はマッカーサーの父が大虐殺を行ったところで、島民はそっぽむいていだそうです。
 
 「マニフェスト・デスティニー」明白なる天意、神の摂理という意味です。米国の外交政策百科事典には以下のように説明されています。

「国家の命運信仰は何も米国人だけのものではない。その信仰を持たない国家や帝国はこれまで存在しなかった。しかしながら、1840年代の『マニフェスト・デスティニー』の推進者たちにとって、この言葉は米国が政治的にも領土的にものし上がっていくのだという一般の人々による信念を反映していた。彼らはこの言葉の信念を根拠として、国家の拡大は米国民のユニークな資質 - 自分たちのエネルギー、気力、米国という国家の持つ民主的制度、自らの文明の恩恵を他の不幸な人々にまで及ぼさなければならないとする義務感 - によって実現するのだ、との考えをもっていた」

 早い話、有色人種を虐殺して領土を広げることは正当な行為としているのです。1859年に米国の司法長官は
「有色人種にキリスト教化、文明化の恩恵を与えてやろう、従属させ、征服し、君臨する権力と特権を白人は持っている」と言うような演説をして大喝采を浴びています。

 大東亜戦争で米国は対インディアン、対フィリピン、と同じように日本を見ていました。インディアン、フィリピンのような運命が見えていた日本はカミカゼ特攻隊を組織し、兵士たちは自らの命をもってして愛する日本を守ろうとしたのです。沖縄では軍民一体となり悪魔と戦ったのです。それが戦後、占領軍にとっての脅威となり、日本はフィリピンやインディアン、ハワイほどまでのことにはならなかったのです。「鬼畜米英」は単なるスローガンではなく当時の常識と言ってよいでしょう。戦後、敗戦国日本が侵略国家のレッテルを貼られましたが、それは事実ではなく、白人の国こそが侵略国家です。



参考文献
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之(共著)
 小学館「天皇論」小林よしのり(著)
 週刊新潮 09.7.30「変見自在」高山正之
参考サイト
 WikiPedia「米西戦争」「米比戦争」

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 1872年に描かれた「アメリカの進歩」(PD)

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日本人は出っ歯で近眼

日本人に対する偏見の歴史。

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 「日本人は出っ歯で近眼でチビ」・・・米国では大東亜戦争までは日本人をデフォルメして描いていましたが、軍事においても悪意で歪んで伝わっていたものがあります。

 軍事評論家のフレッチャー・プラット

「日本人は首が座る前から負ぶわれゆすられるから、バランスをつかさどる内耳に異常をきたし、急降下飛行ができない」
「近眼で鳥目だから夜間飛行はできない」
「個人主義が発達していないから一人で乗る戦闘機が被弾や故障に遭うと、何をしていいか分からない。ただ腕を組んで地上に激突するのを待つ」


 こんなことを言っていたのですから驚きです。またそれを信じた人もいるというから人種差別の強さは現代では想像できないところです。

 昭和7年(1932年)の第一次上海事変で支那軍の飛行教官だったロバート・ショートはボーイング218戦闘機に乗り込みます。そして日本の空母加賀から発進した三菱13式複座艦上攻撃機6機編隊にいきなり機銃をぶっ放していきます。日本側はなぜ米軍機が?と訝っていましたが反撃し撃墜しました。単機で6機に攻撃するなど普通ありえませんが、フレッチャー・プラットの言うことを信じていたのです。

 大東亜戦争当時もこういわれていました。

「日本人はほとんどサルに毛が生えたようなものである」
「日本の飛行機を操縦しているのはドイツ人の飛行士に決まっている」
「日本人には飛行機なんか作れない」


 そんな劣等民族が真珠湾を攻撃したのですから、驚いたことでしょう。ブレーク・クラーク著「真珠湾」では以下のように書かれています。

「われわれは日本人は独創力と想像力に欠けている - わずかに能力ありとすれば、それは単に模倣性にしか過ぎぬといったような根も葉もない話ばかり聞かされてきた」
「もしそれが真実であるとするならば、日本海軍の軍艦は荒天に乗り出すやいなや、ただちに一隻残らず転覆していなければならぬ筈である」


 戦後すぐ、淵田美津雄大佐はGHQのG2に呼び出され、真珠湾攻撃隊長だったことがわかると
「失礼ながら、われわれは日本人を侮っていましたからね。ジャップにしては出来すぎると思いました。それで指揮官はドイツ人将校だろうなどと話し合っていたのでしたがね」と語りかけられています。

 大東亜戦争を転機に米国人の日本人に対する見方は変わってきましたが、そう簡単に大きく変わるはずもなく、戦後も
「日本人にはテレビはつくれない」「自動車をつくれるはずがない」と言われたのです。映画「猿の惑星」の猿は日本人がモデルだそうです。

 今は黒人が大統領になる時代ですから、米国の人種差別意識はかなり薄れていると思いますが、まだまだどこか潜在的に残っているでしょう。



参考文献
 「歴史通」2009.10『日本を潰せ - 支那の背後にちらつく露・独・米の影』高山正之
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 講談社文庫「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」中田整一(編/解説)

添付画像
 ビゴーが創刊した漫画雑誌『トバエ』の表紙(PD)
 欧米における日本人描写のステレオタイプとなった「眼鏡をかけて出っ歯」という姿はビゴーが広めたとも言われる。ビゴー自身は偏見を抱いていなかった。

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ビゴーの絵

魚(朝鮮)を釣り上げようとする日本と中国(清)、横どりをたくらむロシア

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鹿鳴館での舞踏会のあいまの淑女のようすを風刺したビゴーのスケッチ

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ノルマントン号事件を風刺したビゴーのスケッチ

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愛国虚言

中共ではウソは正当な行為。

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 1930年代に上海におかれた米国総領事館の副領事であったラルフ・タウンゼントはアメリカ政府が支那政府を盲目的に信用し、逆に日本を敵対視していることに警告を発していました。その中にこんな言葉があります。

「中国に長くいる英米人に、『中国人の性格で我々とはもっとも違うものを挙げてください』と訊いたら、ほぼ全員が躊躇なく、『嘘つきです』と答えると思う」
「欧米では嘘は憎悪や軽蔑と同じ響きを持つものであるが、中国語にはそういう語がない。必要なかったからである。そこで、それに近い中国語を使って『嘘ではありませんか?』と言ったとしても、非難の意味はない。ましてや侮辱には全くならない」


 「愛国虚言」・・・この言葉はウソをついて国に報いるというものです。平成11年(1999年)の「日本新華僑報」で林思云という人が以下のように述べています。

「近代に入り支那人の心性には国を愛する余りの誇張表現である『愛国虚言』が出現したという。国への愛が深ければ深いほど、また国の敵への恨みが深ければ深いほど、虚言の規模は大きくなる。そしてひとたび『愛国虚言』が出現すれば、たちまち民衆にとてのタブーとなり、虚言と知りつつも敢えて異論を唱えられない状況が構築される」

 林氏によると事実を歪めたことによる重大な代償をともなったといいます。大躍進の餓死者、文化大革命の異常、天安門の民主化運動の混乱。おもしろいのは「南京大虐殺」は虚言性の故に日本人が支那に対して謝罪しなくてもよいという理由を与えてしまった、と言っているところです。南京大虐殺は「虚言性」ではなく、「虚言」そのものです。

 支那には「愛国無罪」という言葉もあります。このほか、読み方が良くわかりませんが「政治掛帥」という言葉もあります。政治がすべての学問に優先するというものです。歴史の研究は史実の研究よりも政治へ奉仕するのが優先するというものです。だから政治のために歴史を捏造、歪曲することは正当な行為となるのです。
 数年前に中華人民共和国共産党ナンバー5・李長春氏「良好な世論を作るよう努力してほしい」と日本のメディア14社に語りましたが、我々の感覚では「世論は作られる」ですが、支那の感覚では政治優先で「世論は作る」のが当たり前ということです。
 
 だから中共の政治家や知識人は「南京大虐殺」をはじめとする歴史認識やチベットやウイグル問題でもウソをつき続けます。ウソだと知っている。でもウソは国ため政治のために正当な行為だと思っているのです。

 このように支那は日本とは全く考え方が違うわけです。果たして日本はこのような国と付き合うべきなのでしょうか。

 ジャーナリストの櫻井よし子さんはブログで
「人的交流を進めることで、中国人の反日感情は必ず消えていく。日本人は日本のあり方に自信を持ってよいのだ」と述べています。(http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2007/06/02/post_515/) ブログでは中共の友人のことや留学生のことが書かれています。確かに私の経験でも中共から来日した人は日本人の礼儀正しさ、正直さ、性善説社会に驚き、賞賛し、日本流社会の中に溶け込んできます。しかし、彼らは国に帰ったらどうなるでしょうか。再び「愛国虚言」戻らないでしょうか。いや、戻らざるを得ないのではないでしょうか。   



参考文献
 光人社「騙しの交渉術」杉山徹宗(著)
 文春新書「『南京事件』の探求」北村稔(著)
 朱鳥社「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 芙蓉書房出版「暗黒大陸 中国の真実」ラルフ・タウンゼント(著)/田中英雄・先田賢紀智(訳)
参考サイト
 櫻井よしこブログ「日本を知れば消える反日感情 日中の人的交流が示す可能性」
    http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2007/06/02/post_515/

添付画像
 建国宣言を朗読する毛沢東(PD)

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日本人に助けられたユダヤ人たち

ユダヤ人は恩を忘れなかった。

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 昭和15年(1940年)、リトアニアでナチス・ドイツに追われたユダヤ人に対し、領事代理だった杉原千畝(すぎはら ちうね)は日本通過のビザを発給しました。その数は6000にのぼったといわれています。杉原千畝は日本のシンドラーと言われています。

 杉原千畝に助けられたユダヤ人は戦後、杉原を捜し、日本の外務省に照会しますが、「該当なし」を返されます。これは杉原がユダヤ人に
「センポ・スギハラ」と教えていたためと言われています。しかし「リトアニアの領事代理のスギハラ」で照会しても「該当なし」だったといいます。私にはどうもおかしな話に思えてきます。戦前の功績を隠そうとしたのでしょうか。ちょっと話しは違いますが、ジャパンタイムズの川口ユディさんが2003年に「南京大虐殺」の取材をしてアイリス・チャンの矛盾点を指摘した記事を書いたところ、なんと日本の外務省から苦情がきたそうです。おそらく外務省には日本の光を消し、GHQ製の捏造歴史を容認するような風潮が続いているのでしょう。

 昭和35年(1960年)、杉原はリトアニア・カウナス領事館でビザ発給について協議したユダヤ難民の代表のひとり、ジュホシュア・ニシュリ氏と日本のイスラエル大使館で再会しました。そして杉原は昭和44年(1969年)にイスラエルを訪問し、宗教大臣のゾラフ・バルファフティクと再会します。ゾラフはこのとき杉原千畝のビザ発行が独断であったことを知り、「ヤド・バシュム賞」を贈ることになります。賞が贈られたのは昭和60年(1985年)のことです。

 杉原千畝に助けられたユダヤ人の中にベンジャミン・フィッショフという人がいます。この人は日本への恩を忘れず大戦後に米国でソニーと松下電器の北米、南米地域の輸入総代理業者となります。やがてトランジスターの時代がやってくることになるのですが、この特許は米国のRCAが所有していました。しかしRCAはトランジスターにあまり関心がなかったので、フィッショフはソニーにその特許を買うように勧めます。その結果はいうまでもありません。

 ショウネル・アイゼンバーグは杉原千畝のビザで助けられた人ではありませんが、昭和15年(1940年)難民として日本にやってきています。日本は敗戦後、米国の占領下では海外から原料を直接調達できませんでした。(渡航が禁止されている) そこでアイゼンバーグは日本企業に代わり、海外へ鉄鉱石の買い付けを行い、八幡製鉄所と富士製鉄に供給します。後に、三菱、日立、古河電工の海外における代理権を手にいれ世界にビジネス展開するようになります。

 戦後、日本製品は品質が悪いというイメージが残っていましたが、アメリカ市場に日本製品を輸入したのは半数はユダヤ人といいます。ニコンもユダヤ人ジョセフ・エーレンライヒが35ミリカメラを作るよう進言して、大当たりしたものです。ブラザーもユダヤ人と手を組んで成功しました。ユダヤ人は商才に長けているので日本製品に目をつけたというのはあるでしょうが、ユダヤ人は日本への恩を感じており、日本人は信用を重んじる民族であるということを見抜いていたものと思われます。



参考文献
 竹書房「世界が愛した日本」四條たか子(著)
 徳間書店「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著
 オークラ出版「世界に愛された日本」
    『日本ほど素晴らしい国はない』田母神俊雄・川口ユディ・西村幸祐

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 杉原領事代理による手書きのビザ(PD)

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